25日は、マイケルジャクソンの死去で、全世界のファンを嘆かせたが、実はこの日、私の教え子の一人も、この世を去っていたのだ。電話があって、昨日の葬儀に、参列して来た。その教え子は、女性。まだ55歳の若さだった。
高校では3年間、私のクラスにいた。同学年には、9クラスもあり、1年毎にクラス替えがあるから、3年間、同一生徒が、同じ担任のクラスになる事は、あまり無い。そうなった生徒達は、卒業後のクラス会などで「腐れ縁」などと憎まれ口を利いたりする。この女生徒は、優秀で、地元の名古屋大学に進学し、高校教員になった。嬉しい事に、私と同じ「国語教師」になってくれた。
結婚式にも招いてくれた。式場で初めて紹介を受けた新郎は、長身、秀麗の美男子で驚いた。高校教員だと言う。教え子も、小柄で可憐な美女だったが、同じ大学で学んだこの美男子を射止めた「幸福」に、文字通り祝福の気持ちを伝えた。しかし、その後は年賀状の交換くらいで、年月が過ぎて行った。
驚いた事は、私が新設高校に転勤になり、教務関係の主任を任された時、彼女の夫だった人が、転勤してきた事だ。この人は、美男子の他に、理科教員としても優秀で、その上、教務に所属して、本当に私の手足になって良く支えてくれた。新設校は、当時の生徒数の増加で、10クラスを抱える大規模校だったのだ。
それから何年経ったのだろう。私は公立校を辞め、私学に8年在籍して、それも辞職し、教員生活にピリオドを打った。その間の消息に、教え子の夫だった人は、能力を認められて、教頭に昇進していた。両方からの転勤挨拶も嬉しい事だった。それが突然の「訃報」である。慌ただしく「葬祭場」に駆けつけた次第だ。
まだ、開始まで30分ある。片隅の「お茶飲み場」で、亡き人と同じクラスだった人達と雑談していたら、「喪主」の夫が、沈痛な面持ちでお茶を飲みに来た。私が「この度は・・」と声を掛けたら、突然、「うっ」と両手で顔を覆い、声を呑んで泣き始めた。今や、社会的にも地位のある立派な教師の「慟哭」に、私も、貰い泣きをしてしまった。「芯から優しい人柄なんだなあ」と感動したのだ。
お焼香の際にも、納棺の際にも「慟哭」の激情は、彼を襲った。しかし、会葬者へのお礼の際には、見事としか言いようのない「妻への愛情に溢れる立派な言葉」を連ねた。聞く者等しく、その愛の深さに感動した事だった。「共に歩いた30年、妻として、母として、教師として、尊敬できる人だった」と讃え、「旅行に、趣味に、同じ喜びを共にして来た」と振り返り、「これからも末永くと思っていたのに、癌に奪われた」と悔しさを滲ませたのだ。
このご夫婦の間のお子さんは、男子2人。共に既に大学を卒業した立派な社会人だ。しかし、まだ未婚とか。母親としては、子供の結婚を夢見、孫の顔も見たかっただろうにと、同情に堪えない。「老幼不定」と言うが、逆縁で、教え子を、送る時ほど「無常」を感じるときは無い。教え子がまだ高校生だった頃の姿が目に浮かぶのだ。そう言う嘗ての生徒を、何人送っただろうか。悲しい事である。

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