道州制に続き、日本で政権交代が起こりにくい理由について考えてみたい。
日本で政権交代が起きたことはある。戦後では、社会党の片山内閣、つい最近では、非自民連立政権の細川内閣である。しかし、政権交代が起きにくい国であることは間違いない。よく、「自民党一党独裁」という言葉が選挙では口にされるが、私は正確でない表現であると感じている。なぜならば、自民党が独裁政治をしているわけでもなく、国政選挙で、たまたま自民党が比較第一党に、自民党を中心とした与党が過半数を衆議院で議席を占めている状態が続いているに他ならないからである。決して、北朝鮮のような独裁国家でないことは、百も承知であると思う。また、日本ほど不正選挙が起きない国もないからである。
しかし、政権交代が起きにくい。これは、単に野党民主党の体たらくだけとは言えないのではないかと、私は考えている。つまり、構造的な理由があるのだ。その理由とは、地方分権の未完結と第二院である参議院の存在であると、私は考えている。
地方分権の未完結が、なぜ政権交代が起きにくい理由の一つであるのか、つまりは国政に対する国民の意識にあると考えている。現在に日本では、東京を除くほとんどの都道府県や市町村は、国からの地方交付税や各種の補助金なくしては予算が立てられない状況にある。そこで、国政選挙ではもちろん、都道府県知事選挙などの地方の首長選挙では、必ずと言って程、「中央との太いパイプ」が候補者の売りになり、官僚出身候補がもてはやされる傾向にある。また、衆議院選挙でも、小選挙区制度になり、与党と野党の対決の構図が鮮明になると、「政権与党でなければ、予算が持って来れない」との議論が出てくる。この傾向は、地方に行けば行く程、顕著である。
もし、日本に地方分権が完結し、地方自治体が自分たちの税財源を確保しているならば、地方の首長に求めることも、「中央との太いパイプ」から「地域を活性化させるアイデア、その手法」に様変わりするに違いない。また、国会議員にしてみても、地元への利益誘導のための政治力から、外交や教育といった「国のかたち」を議論できる能力が求められるようになるだろう。
地方分権議論は、何も国との対立軸で論じるものではない。地方分権が完結してこそ、中央政府である国の仕事がスリム化され、真の国益を追求できる国家体制ができあがるのである。現在の、国会議員が地元のことに汲々としている状況では、国全体の議論ができにくい。地元という「部分」をいくら合わせてみたところで、「全体」にはならず、せいぜい、「全部」にしかならないのである。とうてい、国会議員が「国民全体の奉仕者」にはなれない。
私は自民党の所属しているが、自民党が従来の既得権益のおかげで政権の座にいる限り、日本の将来はないと考えている。地方分権が完結し、ガチンコ勝負で政権を取ってこそ、真の構造改革ができる。私は政権交代を望む者ではないが、政権交代が起きやすい政治体制は必要なことであると考えている