2007/6/19

豪徳寺  史跡散策-東京

世田谷散策の続きです。

「世田谷八幡宮」を後にして、この日の一番の目的、ひこにゃんのモデルになった猫を訪ねて「豪徳寺」へ向かいます。

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「豪徳寺」は、もとは「弘徳庵」といって、吉良政忠が、文明12(1480)年に小さな庵を結んだのが始まりなのだそうです。この側には「世田谷城跡」も残っていまして、このあたりは、吉良家の領地だったそうです。「世田谷城跡」は、のちほど訪れますのでその時に…。
で、吉良氏が豊臣秀吉の小田原攻めの時、北条氏とともに降伏してからは衰退して、寛永10(1633)年に世田谷を領とした彦根藩井伊家の菩提寺となったわけです。
その菩提寺となるきっかけになったのが、ひこにゃんのモデルであり「招き猫」のモデルになったという猫と、二代目彦根藩主の井伊直孝さんとの出会いです。
そのお話をするのは、もうっちょっと後にして、門をくぐります。

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まっすぐ伸びる参道が、とても気持ちよい風景となって目に飛び込んできました。
ちょっと伸びをしたくなる気分です。
左手にひときわ目立つ三重の塔
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かなり綺麗なので、後で御朱印をいただく時に尋ねてみたとろこ、去年の5月に建てられたものだそうです。
四方に3匹づつ十二支が彫られているのですが、なんと子の所に猫がいる!?と
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遠くなので、ズームがうまくいかず、ちょっとわかり辛いですが、猫の脇に鼠がいます。
猫も十二支の仲間入りにしてもらったのだなぁ〜と、神様の宴会に呼んでもらえたのねぇ〜とマニアックなことを思っていました。

正面の香炉(?)には、しっかり井伊家の橘の家紋がありました。
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本堂の屋根には、橘と井の紋がありました。

さて本堂です。
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第四代彦根藩主の井伊直澄の菩提を弔うため、その娘さんの掃雲院が施主となって、延宝5(1677)年に建てたのだそうで、釈迦如来坐像、阿弥陀如来坐像、弥勒菩薩坐像の三世仏他、合計五躯の仏像が安置されているそうです。
これらを彫ったのは、目黒の五百羅漢像を彫った松雲の手によるものだとか。
…あ、そういえば「目黒不動尊」行ったのにレポ書いてないですねぇ…
だいぶ記憶が曖昧になっているので、また行こうかなぁ…(^^;<情けない…

この本堂の横に、しっかりこんなポスターが貼ってありました。
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やはりひこにゃんのモデルなのですねぇ〜♪

本堂向かって左手に「招福殿」があります。
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こちらが、例の招き猫のモデルになった猫が祭られているところです。
格子のすきまから中をのぞくことができます。
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なんと、猫が中央に鎮座!
こちらは「猫観音」といい、れっきとした観音様なのです!
「招福殿」の左手には、ずらりと並ぶ奉納招き猫。
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なんとも微笑ましい風景でした。

さて「招き猫」さんのお話をしましょう。
吉良氏が降伏したのち、衰退し貧寺だった時の和尚に可愛がられていた猫がいたそうな。
ある日、和尚が愛猫に向かって「汝我が愛育の恩を知らば何か果報を招来せよ」と言ったそうな。しばらくは、何も起こらなかったが、とある夏の昼下がり、俄かに門のあたりが騒がしい。
和尚が何かと出てゆけば、鷹狩の帰りと覚しき武士56騎が…。
和尚に向かって「我等がこの前を通り過ぎようとしたところ、猫がうずくまって我等を見て手を上げて招くので、訪ねて来たのだ」といい、和尚は寺に迎え、渋茶などを入れてもてなしたそうな。
するとたちまち曇りはじめ、夕立が降り出し、雷まで鳴り出した。
和尚は、三世因果の説法などをして、武士はおおいに喜んだという。
この武士こそ、彦根藩主井伊直孝であり、猫に招かれ雨をしのぎ、法談に預かり、これは仏の因果だといい、これののち井伊家の菩提寺となり、田畑など多くを寄進され一大伽藍となったとか。
これらはすべて、招き猫のおかげと、和尚は猫の姿形をつくり「招福猫児(まねきねこ)」と称しお祀りしたといいます。
これが、今もあちこちのお店でも見かける招き猫のお話です。
「ひこにゃん」は、その猫がモデルとなっています。何故「兜」と「刀」を持っているのか…などは、サンライズ出版さんから発売されている「ひこねのよいにゃんこのおはなし」という絵本をご覧下さい。(*^^*)

ところで「招福殿」を出ようとしたとき、ふと手前の小さな祠を眺めました。
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Σ( ̄□ ̄;
「庚申塚」ではないでしょうか…こんなとこにも…という気分です。猫と猿とは相性は…いかがなのでしょうか…(^^;

「招福殿」の左手には、墓地が広がります。
そこに「井伊直弼の墓」があります。
墓地の一番奥…といってもいいかもしれません。
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井伊直弼さんのお話は当ブログ「彦根城<3>」で書いていますので、そちらをご参照ください。
井伊直弼さんのお墓の周りには、よくはわかりませんが、やはり橘紋のついたお墓ばかりが並んでいました。
わたしが知らないだけで、井伊家ゆかりの方々なのかもしれません。

本堂の裏手にも、いくつかの建物があって、広々とした境内があります。
本当に広いお寺で、これもすべて「招き猫」のおかげなのだろうなぁ〜と思いながら、御朱印をいただいていると、お札が目に入りました。
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お札にはもやっぱり猫さんが描かれています。
もちろん、奉納の招き猫もこちらでいただけますし、御守り他も充実です。
なんともかわいらしいご利益だなぁ〜と思うのでした。

さて、本堂脇ぷらぷらしてしていたら、赤門がありました。
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このお寺に、赤い門があるのも珍しい…と撮影したのですが、実はこちら、井伊家の上屋敷の長屋門を移築したものだそうです。
そういえば、あの有名な東大の赤門も、加賀藩前田家の上屋敷の御守殿門だったんですよね。
他にも、こちらには井伊直弼は愛用した茶室「無二庵」も保存されているだとか…どこにあるのでしょうか…一般公開していないのか、わたしが見落としたのか…
当ブログ「龍潭寺」でもアップしていますが、やはり井伊直弼は、茶の湯が好きだったのですねぇ。

さて、本堂向かって右手には「梵鐘」があります。
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延宝7(1679)年に鋳造されたという、世田谷区最古の梵鐘なのだとか。
現在でも定刻になるとつかれているそうです。
延宝7年ということは、本堂が出来て2年後ということになりますか…。大戦中も溶かされずに守られて来たのですね。

とりあえず、これでぐるりとまわったことになります。
でも、新緑の楓などが、光をキラキラさせて、心地良い風も吹き、ぼんやり腰を下ろして境内を眺めていたくなる感じで、なかなか離れられませんでした。
とても良い雰囲気のお寺さんだと思います。
後ろ髪をひかれながら、ぼちぼち腰を上げますか…(笑)という気分で「豪徳寺」を後にしました。

門を出て、正面の道をまっすぐ進むと、正面入口らしき門が…
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こちらがどうやら正面で、わたしは「世田谷八幡宮」から来たので、西からこちょこちょっと入ったことになります。
この門のある前の道を、左手に進みます。
しばらくすると「世田谷城跡」が登場しますが、今回はこれにて…。
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2011/8/6  2:04

投稿者:未経験


未経験の女性も沢山いらっしゃいます。
一度ご賞味くださいませ。



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2011/7/12  1:36

投稿者:あおあお

はじめまして、ひこにゃんを検索していてたどり着きました。豪徳寺まだ参拝したことがなかったのですが、彦根藩の菩提寺とはしりませんでした。観音様におすがりすることが多いのですが、「猫観音様」にはびっくりです。そういえば東京に来た”ひこにゃん”がお参りしていたような気もしますが。。。これから時々こちらにおじゃまします。よろしく。

2007/6/20  23:52

投稿者:さくら

>手鞠さんへ
こんばんは〜
招き猫の大群怖いですか〜(´д`;
わたしは、テンションが上がっていたのか、可愛い〜可愛い〜と盛り上がってしまったのですが、
日暮れに見たらちょっと怖いかもしれないなぁ〜と思いました(^^;
暗闇で、これだけの大小様々な猫の目が光っていたら…
うわ…けっこう怖いですね…
夢に見ないように気をつけて下さい〜(><)
怖かったら、全部ひこにゃんだと思えば、ゆるゆるな気持ちになれますよ!…きっと…。

2007/6/20  19:24

投稿者:手鞠

さくらさん、こんばんは〜♪
中程の「奉納招き猫」ご一行様の団体写真(爆)、圧巻ですね!
これだけ一度に視界に入って来ると、さすがにちょっと怖い感じも…。
こんなのが夢に出てきたら、それこそうなされそう…(~_~;)

http://kiratemari.exblog.jp/

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