母の祥月命日。
午前中の大雨を予想したわけではないけれど
先日、既に墓参は済ませておいたので助かった。
その日、私たち夫婦と息子一家が行く前に
弟夫婦が来たそうで、きれいに墓掃除がしてあり、
花もあがっていて嬉しかった。
美空ひばりも今日が命日だそうである。
母はひばりの歌い方を「下卑ている」と嫌っていた。
ある時、問屋からの招待で美空ひばりの舞台を観劇した。
一部がお芝居で、二部が歌謡ステージ。
母はひばりの<観せるプロ根性>に感激したという。
「歌がうまい。お芝居も面白くて客を喜ばせるプロだった」
とコロリと変わってしまった。
母は独特の価値観を持っていて
平気で学校を休ませて、私をよく観劇に連れて行ってくれた。
机上の勉強より自分の目で観る勉強、だったのかもしれない。
日劇、歌舞伎座、明治座、こま劇場など懐かしく思い出す。
そのお蔭?で高校時代、
私は自分の都合(映画とか)で欠席する事に
何の罪悪感も持たなかった。
その結果、出席日数が足りず下駄をはかせてもらい
卒業、進学できたのである。
こんな事もあった。
中学入学の時「家族調査票」に欠損家庭に○をつける欄があり、
その2年前に夫婦別れしていた母は憤慨し、
「母子家庭を欠損家庭と呼ぶとは教育的配慮がない」
と校長に意見した。その調査票は廃止となった。
高校の時は、体育の授業ではく白い体操ズボンが
「あんな薄い白い生地では女の子は困る日があります。
もっと厚地のを売っている店の物を自由に買わせて下さい」
と保護者会で堂々と意見を述べたのも有名な話。
実は町の洋品店からのリベートをたんまり受け取り
「学校指定の体操着」としていた高校側は頭を抱えた。
しかし、教育的配慮?から
「どの店で買っても良い」ことにしたのである。
私はそんな母が恥ずかしく、
それ以来保護者会のお知らせを母に見せなかった。
最近流行のモンスターペアレントとは違い、
一応、母なりの正論で、筋は通っている。
短歌を詠む母はエッセーも残している。
ああ、負けてるな! と私はうな垂れる。
後者を選ぶ母、母性より女だったのか。
母の我と私の我の長い闘いも終わった。
母のエッセイを載せて、冥福を祈ろう。
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<エッセイ> ○○ 繁子
茜さす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖振る 額田王
数有る万葉女流の中でも私は額田王が一番好きである。そしてその作品の中でも、特にこの一首が好ましい。大らかな詠いぶり、またさわやかなリズム感。この歌からイメージされる彼女は、大柄でふくよかな、たっぷりとした情感味あふれる女性だったのではないかと思はれる。
大海人、中大兄という今を時めく兄弟の皇子たちに愛されながらも、遂にどちらの妃にもならず愛人の座を守り通したについては諸々の事情があろうけれど、一方にはまた女帝斎明天皇にお仕えして、こよなき従者として確固たる自分の社会的地位を維持していったところを見ると、非常に聡明で理知的な女性であったのだろう。
この作は時の中大兄皇子が即位されて、宮廷一統を率いて蒲生野に遊ばれた時、大海人皇子が大勢の中で彼女に向かって手を振られたので詠んだのだが、古来この歌にはふたつの解釈があって、“あなた、そんなに袖をお振りにならないでください。野守が見ていますよ”といふのと、“まあ、私の恋人があんなに私に袖を振って居りますよ、みなさんも御覧なさいませ、あれが私の恋人なのですよ”といふまるきり反対の説があるが、私は後者をとりたい。
この作には、恋人の臆面もない振舞いを誇らしげに受けて立つ彼女の魂のよろこびが見えると思っている。或いは他説に云ふ様に、もうすでに若くはない昔の恋人同士が思ひ出に遊ぶ即興的な戯れ唄であったかも知れないが、二人の異性に同時に愛されながらも、曖昧模糊のうちにこのような恋歌の交換を楽しむ彼女は、なかなかの痴れ者という外なく、ほんとうの恋だったか見せかけの恋だったのか、それともそれをしも大人の恋といふのか、全く彼女の真意が分からないような処に、私はたまらなく心ひかれて了うのである。