2007/2/26
スサノウノミコトが天下ったとされる
斐伊川上流の
鳥上(古事記では鳥髪)です
高天原から追放された
スサノウノミコトはおそらくこのあたりで
流れてくる箸を発見し
川上に人が住んでいると確信するわけです
「魏志倭人伝」では
“手食す”とあり
卑弥呼の国では箸を使っていなかったらしく
箸についての記述は古事記のそれが
一番古いようです
スサノウノミコトは何故に
こんな山深いところに降り立ったのでしょうか?
私にはさっぱりわかりませんが
オロチを退治した後
この地に新居を構えず
他所へ行ったのかはわかるような気がします
このあたりは夏は酷暑、冬は酷寒という
盆地特有の気候なのです
特に冬は雪が深いので
「冬はスーパーに買い物行くのにも大変なの!
雪の少ないところへ引っ越しましょう!」
と稲田姫にせがまれスサノウノミコトはしぶしぶ
新しい土地を探したとか・・・
kouでした

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2007/2/25
松江の八重垣神社は
スサノウノミコトがオロチ退治の後
クシナダヒメと住居をかまえたといわれていますが
実際は明治5年
大原郡大東町の八重垣神社を合祀し
明治11年に佐久佐神社から
八重垣神社へと改称されました
ですので
八雲たつ 出雲八重垣
妻隠みに 八重垣作る
その八重垣を
という本邦初の和歌は
現在の八重垣神社ではなく
須賀神社が発祥の地になります
一方、奥出雲にも八重垣神社は存在します
明治40年に移転し、現在は伊賀武神社の境内にありますが
元の鎮座地周辺には
手名槌、足名槌の「長者邸」という屋敷跡
クシナダヒメが髪を梳る時に用いた
「元結掛松」や「連理の蔓」
2月17日に紹介した
鏡の池「和泉谷」
オロチが火をふいて荒狂った「火の谷(樋ノ谷)」
があり
こちらも由緒ある神社ではないかと思われます
伊賀武神社周辺地図
kouでした

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2007/2/24
大型の装飾円形硯や墨書土器が出土した
カネツキ免遺跡です
寺院か郡家の関連施設があったのではないかと
推定されています
ご覧の通り今はただの田んぼで
よく通る道沿いにあるのですが
今までまったく知りませんでした
常楽寺古墳
岩屋古墳
そしてここ
佐白の遺跡みたいに
もっとキチンと調べれば
すごい発見がありそうなんですが
その辺誰が決めるのでしょうね?
kouでした

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