今では長野新幹線がその主役となり、横川〜篠ノ井間は廃止、3セク化された信越本線。国鉄時代から多くの特急列車が走っていました。言うまでもありませんが、信越本線といえば碓氷峠。碓氷峠といえばEF63と私などは連想してしまいますが、当時の国鉄〜JRでは最急勾配であった横川〜軽井沢間です。EF63補機なしでは登坂ができないほどの特殊区間でした。
この度、189系が配置されたことから、当区所属の国鉄信越特急を勢ぞろいさせてみました。
まずはキハ82系「はくたか」。

信越本線に初の特急列車が登場したのは、このキハ82系による「白鳥」が昭和36年10月に登場。運転区間は上野〜(直江津、金沢経由)〜大阪で、直江津で青森からの編成を連結。いわゆる2方面特急だったわけです。現在では考えられないような経路ですが、もし今でも存在していたら乗り通してみたい列車であることは間違いありません。ただ実際のところ、上野から大阪までの利用客は少なかったためか、昭和40年10月の改正で「はくたか」として独立、上野〜(信越経由)〜金沢の運転区間となりました。

編成は食堂車を含めた7両編成。旧アプト区間はじめ、EF63の時代も非協調の運転だったため、編成両数の制限があったようです。昭和44年10月の改正では北陸方面の電化が完成し、「はくたか」を485系電車化の上、上越線経由の運用とし信越本線からは撤退。当時はまだ489系の開発技術はなかったようです。
昭和47年10月に登場したのが「白山」です。

キハ82系特急「はくたか」の改名電車化ではなく、3年のブランクを経て、改正前まで走っていた客車急行の格上げで登場しました。仮に489系の落成もしくは北陸電化が3年前後していたら、金沢行き信越特急は「白山」ではなく「はくたか」のままだったかもしれませんね。登場当時、EF63との協調運転をしていたのは169系急行列車のみ。非協調の電車は編成両数を8両以下としなければならなかったため、大きなネックとなっていました。489系が登場したことにより、特急列車の12両化が実現され、輸送効率が大幅にUPしました。
信越特急の代名詞的存在の「あさま」ですが、その登場は「白山」よりも早く、昭和41年10月。横軽間の含めた高崎〜長野間の複線化完成、直江津電化完成のころです。ただこのときは、181系での運転だったため、EF63とは非協調のため8両編成となっていました。

輸送力アップのため昭和50年に189系が登場。順次181系を置き換えていきました。登場当初は10両編成でしたが、のちにモハユニット2両を加え12両編成化され、前述の「白山」2往復とほぼ1時間ヘッドの運用を組み、信越本線は有数の特急街道に成長しました。
昭和50年代はそんな感じで進みましたが、昭和60年ごろには「あさま」だけで1時間ヘッドを組み、「白山」2往復はその間を縫うように設定されていたりしましたが、これは車両の新造による増発ではなく、短編成化、先頭車化改造などで賄い、増発に必要な車両数を確保したとのことです。
横川〜軽井沢間が特殊な区間であったにもかかわらず、多くの需要があったために、設備投資をして作られた車両たちは、今はその装備を使うことはありませんが、ここ最近の車両の動きをみると489系や189系もカウントダウン間近かな・・・と思ってしまいます。
さて、本文はまるで見てきたように語りましたが、当然そんなことはなく、参考文献はイカロスMOOK「新・名列車列伝シリーズ3『信越線の名列車』」でした。