『廻文歌の歴史』
【V】
『江戸時代の廻文歌』
江戸時代初頭に狂歌人が復活した。当時の代表的狂歌人とされるのは
後水尾天皇、尊純法親王ら皇族、源通勝、烏丸光廣、正親町公通(風水
軒白玉)ら公卿。松永貞徳をはじめとする俳諧師たちも狂歌をたしなん
でいましたが、あくまで主力となるのはいわゆる上つ方の人たちでした。
◇ 蛍めを どっこいそっこい 遣るまいぞ
あんだ辧慶 武蔵野の原(後水尾天皇)
◇ 池に咲く はちす見てくむ 酒の友
水のやうなる 淡きまじはり(正親町公通)
この期までの狂歌は京都を本拠とし貴族的な上品さ、微笑、
揶揄、程度の笑いが特徴です。
◆「永き代の 遠のね振りの 皆めざめ 波乗り舟の 音のよき可奈」
問題の、この歌など江戸時代、庶民文化が花開いた時期、言葉の文化を
遊びの中に取り入れた狂歌の作者が後に「黒船騒動」を客観的に揶揄し
たものとして使いはじめ、何時しかそれが“宝船”となり当時流行の
神仏の現世利益信仰と相まって浮世絵版画や正月のおめでたい歌として
「初夢の枕絵」の題材に使われた。和歌の「廻文歌」となると作るのに
手がこんでいて“頭を使う”ので限られた者にしか出来なかった。
多くは意味不明や言葉のこじつけがあり良い作品はなかなか出来ず、
先の「聖徳太子」の伝歌とされたものも、太子の作かどうかはさておき、
「この様な歌を作れる人は太子の様な頭脳の持ち主でないと作れない」
とする“誇り”作りを反映したものであろう。聖徳太子の名を作を持ち
出すことで「廻文歌」全体の印象が好くなるのである。当時は「廻文師」
という専門家がいたという。現在でも京都の太秦にある芸能の神様を
祀っている車折神社の絵馬に文人画の大家、富岡鐡斎の筆で描かれた
“七福神”の画と共にこの歌が書かれている。
『江戸時代の廻文歌』・年代別記載例
【四生の歌合】『魚の歌合』 寛永(1624〜1643)頃
【歌人・木下長嘯子】〔豊臣秀吉夫人の北政所の甥〕
◆ 白むかと 問ひよるよしに 求めきめ 供にし寄るよ 人咎むらし
◆ 知らるるは 悲しきけなし 常闇(とこやみ)や
ことし嘆きし 中晴るるらし
『古き歌・年・作者不明歌』
◆ 群草に 草の名はもし そなはらば なぞしも花の 咲くに咲くらむ
◆ むら草の 名は知れぬすら この庭に のこらずぬれし 花の咲くらむ
◆ 種々(くさぐさ)の 名は知らぬらし 花守も
名はしらぬらし 花の咲く咲く
◆ 白雪は 名へつつめども 小野山や 野を求めつつ 経ねば消ゆらし
◆ 長がつまを水際(みぎは)に高し一つ松訪ひしかたには君を待つかな
◆ のどけきに端折(つまおり)傘の名ばかりか花のさかりを松にきけとの
『毛吹草追加下、廻文之狂歌』【松江重頼編】
正保四年(1647)刊 回文の百韻が二巻
◆ 池のみか浪つづけかし遠き滝おとしかけつつ水上(みなかみ)の景
◆ 白萩のもとに蘭咲く名はしるし花くさむらに友の気晴し
◆ 白雪の消ゆる春野か駒しばし馬子が乗る春雪の消ゆらし
◆ 田植唄調子(てうし)早みつつてんてん手鼓やはし打て田植唄
◆ 冬らしき気色面しろ岩の木の葉色霜置きしげき白木綿(しらゆふ)
◆ 身の留主(るす)に来ては折取るこの花は残る鳥をば敵にするのみ
◆ もいのとやふとやるせなし鐘鳴るな音が仕なせるや問ふ宿の妹
『紙屋川水車集、下』
◆ 折りかざし人訪いて来(き)見その花は望み来て人とひしさかりを
◆ かず和歌の芸望月も作はよは草も木つちも池の蛙(かわず)か
◆ きし涼むすずみて泉むすぶらう(ふ)すむ水出でみ涼むすずしき
◆ 奇特さや草の名はただ芍薬(さくやく)や草ただ花の咲くやさく時
◆ 中な淵身もふとるより底てりてこぞり寄るとふもみぢ鮒かな
◆ ながめん木続き咲きさき神の木の御垣さくさきつづき梅(むめ)かな
◆ 夜は更けるいく年まかで七夕は名たてがましと悔いる今日はよ
『吾吟我集』 慶安2年(1649年)【石井未得】 俳人、狂歌師
◆ 君のためとひ寄りたあく門の戸のとかくあたりよ人目たのみき
◆ 草くきの葉にふる霜に見やるなる闇にも著(しる)う庭の菊咲く
◆ しら雪は今朝野良草の葉にもつも庭の桜の咲けば消ゆらし
◆ しろ髪は毎日見るぞ憂かるなる髪剃る道に今は身かろし
◆ ねぶりつる篝(かがり)たき捨て浪くらく出過ぎたりかがる釣舟
◆ 長き代は君民の躰尊(たうと)しと歌いて飲みた御酒はよきかな
◆ 経(へ)難しと年月事を望むらむその男来つしとと従へ
◆ 又飛びぬ女(め)と男とあはれぬし知らじぬれは跡をとめぬ人玉
◆ 湊川 苫のぞきつつ回りけり浜続きその窓は門(かど)なみ
◆ せうつり高鼻ひかむ貞徳といでむかひなばかたり通ぜむ
◆ 身の留守にきてはをりとる此の花はのこる鳥をば敵にするのみ
『崑山集』【雲峰】 慶安四年(1651)刊
◆ 和歌の名は残して庵(いほ)に代々しるし代々匂ひてしこの花の香は
『世話焼草』 【釈皆虚・著編】 明暦二年(1656)刊「回文詞」
◆ 気のつまる気色うとし日気のひぬ日軒ひしと憂きしげる松の木
◆ 消ゆらしの似た色もなしかが原はかかしなもろい谷のしら雪
◆ 名は聞くも木々の育ちをそこ知らじ去年落ちたその木々もくき花
『古今夷曲集八、廻文、尺教』【行風編】寛文6年(1666)
◆ 知らるなりいま清水の名ばかりかのつみよきまいりなるらし
『後撰夷曲集・八』廻文歌 【生白堂行風】寛文十二年(1672)刊
◆ 草の名はくさのこがねの鈴の音の鈴の音かこの咲く花の咲く
◆ 足緒うて雀(えつ)さいとると飛ぶ小猫ふと捕るといざ杖でうて追へ
◆ 皆の来た方を避(よ)きつつ花のみの名は続きよを高滝の浪
◆ 棟木の外そこで地(じ)をみず猫なけな小鼠怖じてこそとのきなむ
◆ 群草の名ははれむ哉千(ち)たびたびたちながむれば花のさくらむ
『卜養狂歌集』【半井卜養著】 寛文9年(1669)(写本)
延宝元年(1673)〜6年(1678)
◆ 雉子料る今や君のみその友と望みの御酒(みき)やまいるうれしき
『狂言鶯蛙集・18』 【 朱楽管江(山崎景貫)】編 天明4年(1784)
◆ 桜木のとびしかをりは花の園(その)縄張りをかしの気らくさ
◆ みなの川つたへつ流れ持つしるし積れ金津へ立つわかの波
『万載狂歌集・15』 【四方赤良・撰】
◆ 群芝で見つつ摘み草名はしらじ花咲く見つつ摘みては知らむ
『狂歌才蔵集・14』【 紀定丸(野原雲輔)】赤良の甥
◆ むらさきもついやれつつぞ女の身の猶ぞ襤褸やいつも着ざらむ
◆ 宿やどもたまにも訪ひぬばくち打食はぬ日ともにまたもどやとや
『俳諧廻文百韻』『俳諧廻文帖』【俳人・素更】
百韻の連句一巻 文化6年(1809)
◆ 未得と見句よ言の葉のとこ目とめ言の葉のとこよく見とくと見
『廻文歌百首』及び『風車塵の言の葉』【 錦字楼笑寿(大福窓)】
跋文に五、七の二十三句・長歌「車尽くし」
『風車塵の言の葉』の表題 『廻文歌百首』・廻文歌より
◆ 池の面(も)よ波ながめむに香りけりほかに梅(むめ)がな皆四方も景
◆ 惜しきをぞ見つむら草や名は知らじ花や咲くらむ摘みぞおきしを
◆ 数があひ夜(よ)まに訪(と)ひきし生駒山恋しき人に迷ひ明かすか
◆ 消ゆるなよ今年降るもつ六つの名の積む積もる富士とこよなる雪
◆ 陸地(くがち)とやいつしか旅もまはる春浜も日高しつい宿近く
◆ 草も餅ついくせのない(ひ)妻も子も待つ雛の節供いづち桃咲く
◆ 里清く腰を伸しよし見よ花はよみし吉野を至極よきとさ
◆ さと群れつ人目遠さえ歌ひ結ひ田植早乙女とひ連れむとさ
◆ 小夜きつるけふぞまたきし涼風か涼しき玉ぞふける月よさ
◆ 小夜照れば望は軒端に来つるなる月には木の葉地もはれてよさ
◆ 繁る葉のまた引けよ持つ孫の手の小松も余計玉のはるけし
◆ 信心よ残るべきはらみつた歌罪らは消へるこのよむしむし
◆ 白川のたうのねぶりの皆めざめ波のり舟の歌の和歌らし(古歌)
◆ 知らぬ身がつい思い出しくどき泣きとく下紐をいつか見ぬらし
◆ 時世見る様のよしよし何処もかも今年よし世の優る身よきと(賀)
◆ 流しつつ波のま残る川の瀬の分かる木の間のみなつつじかな
◆ 長し日のいつのひまにかのぼる鶴ほのかに舞のついのびしかな
◆ 長旅もつい遅き春友どちと戻るは木曾をいつも日高な
◆ 早や戻る酒手(さかて)車かエイやらや家がまるくて飾るともやは
◆ ながむらし落葉も忍べ冬の夜の夕べの霜は地をしらむかな
◆ ながめむに老も身の楽またしばし手枕の身も庵に梅(むめ)かな
◆ 日ごろよき家内は世継継ぐとく継ぎつ齢(よはい)長き喜び
◆ 空(くう)の世界なり地も水も火も罪も塵無い風のうく波
◆ 中もみな分かるな岸に落葉せば地を錦なる川波もがな
◆ 群れ集ひ波の数よりどちらやら千鳥よすがの皆人つれむ
◆ 戻つたぞ時鳥はや来つ鳴けな月やは杉戸とぼそたつとも
◆ やがて見つ日をのべる葉も咲く花は草も春べの老い(ひ)摘みてかや
◆ 宿る露玉は軒端の葉に繁し庭の萩の葉またゆず(づ)るとや
◆ 藪に葉のなびけたる様にぎはひは木にまさる竹雛の埴生や
◆ 若草の名は知らず見る友どちと戻る身すらし花の咲く川(野遊)
『古版やまとことば』
◆ きし日こそ松が水際に琴のねの床(とこ)にはきみがつまぞこひしき
『旅立ちの際無事帰宅のまじないに唱えた』
◆ 岸ひこの松が汀(みぎは)に琴の音のとこには君がの恋しき
◆ 中臣のみ神楽一人舞の手の今りと開く神の御戸哉『譬喩集』【比喩】
◆ 流るべき水清けらし川の辺のわがしらけよき罪きえるかな【釈教】
◆ むら雪に去年(こぞ)の南の草花は咲くのみなみのそこに消ゆらむ
◆ 詠み送る友とし書きし俳諧歌(か)言わじ聞かじともどる句を見よ
『詠腐廻文歌』【三宅経香】(寛政3年・1791〜安政3年・1856)歌人
◆ みも見よ姿はもしにみなかりかなみにしもはたかすよみも見き
以上、取り上げたものだけで「廻文歌」として百作程度の作品が残って
いる。小生が初めて作った昭和58年の「廻文歌」はやはり
「古き歌に習い」最初の出だしは「ながきよの」で始まる歌を作った。
それから基本は毎年一作づつ正月の年賀状に出す歌を作り続けている。

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