恩師が天国へ旅立たれました。
恩師といっても、学校の先生ではなく、少年野球の時のコーチ。
普通、少年野球のコーチを恩師と呼ぶことは少ないかもしれませんが、私はコーチから色んなことを学びました。
野球の基本・技術・状況判断はもちろん、野球の楽しさ・チームワーク・礼儀、そして人間は努力をした分、必ず自分の力になるということを。
高校まで野球を続けたこと・今も野球が大好きなのは、コーチと出会ったからかもしれません。
コーチは、コーチという立場でありながら、「おっちゃん」と呼ばれる、明るい人。
指導する時も、ユーモラスなジョークで、よく笑わせてくれました。
しかし、真剣に怒る時は、目をギラッと光らせる、そんな恐い人でもありました。
コーチに何回泣かされかなぁ?
私のポジションは、セカンドでした。
あまり上手くなかった私は、エラーばかりして、よく途中で交代させられていました。
小学生ながらに、悔しさもあって、友人達と自主トレをしていました。
小学生だけの自主トレは難しいということで、自主トレという名目ですが、練習をお願いすると、快くに引き受けてくれました。
今を思えば、仕事で疲れているのに、申し訳なかったなぁと思います。
私がコーチの立場なら、断っていると思います。
それぐらいコーチは、頑張っている人間を応援してくれる人でした。
努力の甲斐もあってか、エラーも少なくなり余裕を持って守れるようになった頃、油断してエラーをしてしまったことがありました。
エラーばかりしていた頃、エラーした後にチームメイトを見ると「またか?」みたいなイヤな顔をされていましたが、その時はチームメイトが「おいおい」と言っているような笑顔で私を見ていました。
子供ながらに、チームメイトが、私を信用してくれているのかなぁ?と思いました。
ベンチに戻ると、コーチに「寝とったんか?まぁたまにはしゃあないな。」言われ、その瞬間、エラーをしたのにコーチに褒められた気がしました。
市民大会の決勝戦、最終回にライトに抜けそうな打球を、私が飛びついて捕球し、勝利した試合がありました。
しかし、その時コーチは褒めてくれませんでした。
お酒が飲める年齢になり、コーチ・友人達と飲んでいる時、そんな思い出話をしていると、コーチはその試合のことを憶えてくれていました。
「あの時は、褒める必要はなかった。優勝できると思って緊張しとったんか?ただお前のスタートが遅れただけやろ?お前の実力やったら普通のセカンドゴロやろ。」とコーチが私に言いました。
完全にバレていました。
緊張はしていませんでしたが、ただスタートが遅れたので、飛びついて捕っただけのことなんですが、コーチは全て分かっていたようです。
少年野球を卒団して、10年ぐらい経っていましたが、小学生の時のように褒められた気がして、その日はお酒がよく進みました。
コーチと何度か飲みに行きましたが、最後に会ったのが、友人の結婚式。
スピーチを話し終わった後、自分の席に戻ると、いいプレイをした後にコーチがする、いつもの握手がありました。
その頃、すでに義手生活をしていた私に、披露宴中、ビールを飲みながら、コーチが言いました。
「よくここまで頑張ったな。これからもっと先が長いんやから、ボチボチ頑張れよ」と。
そういえば、大事な場面で「力むなよ」と、よく言われました。
友人の結婚式以来、私も友人達も忙しくなり、1度も会うことが出来ませんでした。
昨日、友人達と「もう1回、おっちゃんと飲みに行っとけばよかったなぁ」と話をしました。
祭壇の上のコーチの写真を見ながら、色んなことを思い出していると、不思議な気分になりました。
後ろから「冗談や!」と言いながら、コーチが現れそうな気がして。
告別式の途中に泣きそうになりましたが、コーチに笑われそうな気がして我慢しました。
通夜が終わった後、友人達と一緒にコーチの顔を見せていただきました。
病気と闘い続けたコーチは、穏やかな顔をしていました。
コーチの顔を見ると、我慢しきれず、涙が出てしまいました。
本当に、逝ってしまったんだなぁと。
今日、告別式に行き、コーチと最後のお別れをしましたが、お世話になった方が、亡くなるのは、すごく寂しいです。
最後にコーチの顔を見て、「ありがとう」とお礼が言えました。
やっぱり、今日もコーチの顔を見て、泣いてしまいました。
ほんとに、感謝の気持ちでいっぱいです。
ブログに、こんなことを書くのはどうかと思いましたが、コーチとの思い出、そして感謝の気持ちを書きたくなったので、書いてしまいました。
コーチへ
おっちゃん、お疲れさま。
ゆっくり天国で休んでください。
いつになるかわからんけど、俺がそっちに行ったら、ゆっくり酒でも飲みましょう。
では、またお会いしましょう。
コーチに礼。
ありがとうございました。

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