2009/6/26

お舟と長助  

お舟と長助               山門 正雪作
 江戸橋近くの、どどいつ長屋のうらだなに、長助という、小柄で小太りの、平凡な顔つきの男が住んでいた。その男の生い立ちはと言うと、江戸で指折りの造り酒屋の長男として生まれ、一人っ子とて、あの手この手と何不自由無く育てられたが、十二の時、明暦の大火で家族と身代の全てを失い、一文無しとなった。その後といえば、かえって育ちのよさがわざわいし、なんとはなしにいやがられ、親せき中をたらい回しにあずけられたあげくに、十年後の今では、縁もゆかりもない料理茶屋、たこ八でまかないとして働いている。
 もちろん、まじめ一方というわけではなく、賭場(かけごとをする所)や岡場所にも行ってはみたが、どっちも一回こっきりですんだ。賭場では、大負けして身ぐるみはがされ放りだされたが、明け方近くで、肌寒く、商家の裏手の物干しの取り忘れた赤じゅばんを拝借し、歩いていたところを、たまたま役人に出くわし、捕らえられ、牢に入れられ、五十たたきの刑を受けた。岡場所では、四十過ぎか、竹のつつっぽのような手足をした、あぶらっけの抜けたのように、ひからびた女にあたり、ほうほうのていで逃げ出した。だが、逃げている途中で、岡場所のに雇われているならず者につかまり、ふくろだたきにあい、おまけに着物までひったくられたのであった。
 ところで、長助はあちこち職や住まいを転々とはしてきたものの、いたって生まじめな性格で、ある意味では、ともかくも若いが苦労人であった。しかも、ものしりで、とんちがきき、そのうえ口がかたかった。それがために、話しやすかったのか、近ごろ、特に女からいろんな相談を受けるようになっていた。

ある日の夕暮れ時、小間物屋、木瀬屋のおかみが長助に会いに来た。
「商いがこのごろうまくいかなくてねえ。そろそろ夜逃げしようと思ってるんだよ。でもね、口はたっしゃなんだが、足の不自由な、ばばあがいてさ。どうにもならないんだよ。死んだ亭主の母だろ。まさか、置いて逃げるわけにゃあいかないしねえ」
「そうなんですかい。ええ、たやすいことでさあ。おばばが死にゃあいいんですよ」
「え、えーっ。・・・ま、まさか」
「いえいえ、そうじゃあねえんで。言い方がよくありやせんでしたね、もうしわけありやせん。ええ、おばばによくいいふくめて、死んだふりをさせなせえ。そのうえで、ちゃあんと葬式を出して、おばばを入れたまま、かんおけをうめるんでやす。で、夜逃げした後、すぐに掘り出せばいいんでさあ」
 数日後の昼時、料理屋のたこ八はたいそうにぎわっていた。そこに、役人らがどっとおしかけて来た。
「また、お前か。こりないやつだのう。木瀬屋のおばばから、訴えがあってな、お前を召し取りに参った。しんみょうに致せ」
「・・・・・」
「おばばのもうすには、いくら待っても誰も助けには来なかったそうだ。そのうちに、息苦しくなってな。それで、あらん限りの力でふたをあけ、命からがら逃げ出したそうだ。足腰はまだぴんぴんしとってな。嫁の手伝いをしとうはなかったので、悪いふりをしていただけだそうだ」
 長助は番屋で倍の百たたきの刑を受けた。ふらふらとなったが、ようやくのこと、たこ八にたどりついた。だが、真っ赤な顔をして待ちうけていた主人に、たちまち、あちこちぶんなぐられ、しまいには、首根っこをつかまれ、店の外へとたたきだされた。
「どうしようもねえ野郎だ。こうもたびたび踏み込まれたんじゃあ、迷惑だ。二度とそのつらは見たくはねえ。てめえは首だ」
 長助は行く当てもなく、ぶらぶらと歩いていたが、いつの間にか、夕暮れ前となった。どこからか、暮れ六つのの音が聞こえる。空腹で、腹が音を立てた。気がつくと、佐助の家の方に足が向いていた。佐助は、今は明暦の大火でつぶれて無いが、長助の生家である伊勢屋の番頭であった男である。途中、吾妻橋という大橋のたもとに来たが、民費でかけられた橋だそうで、二文の通行料がいるとか。そんな橋があるのかよと、めんくらった。それで、ふところに手を入れたが、あるはずの財布が無い。数十文しか入ってはいなかったが、どうやらなぐられている時、たこ八で落としたらしい。
「やっぱりなあ、おれってえ男は、とことんついてねえ。どんづまりか、ふんづまりか、知らねえが、どうしようもねえ。この世はきついわな。とほほほ」
と、か細い声でつぶやくと、そのあと、ためいきを何発もついた。そして、川べりを歩くが足がふらつき、ついにしゃがみこんだ。そのまま、しばらく川面をじっと見つめていると、
「ねえ、そこのお人。なんで、そんな所でしゃがみこんでいるんだい。今にも、川に飛び込みそうな顔してさ」
声の方をふりかえると、今までに見たことも無いほどの美形で、小股の切れ上がったいい女である。これが、長助とお舟との最初の出会いであった。
「あらら、ひどい顔だねえ。けんかでもしたのかい。・・・しょうがないねえ。よかったら、ついといでな」
 お舟は長助をかわいそうと思ったか、そば屋へと連れて行ったのである。
「そうかい。あんたはよくよくついてない男なんだねえ。・・よし、あたいがひと肌脱ごうじゃあないか。一分と二文貸してあげるよ。死ぬのは、いつでもできるさ。もう一度やりなおしてごらんよ」
「えーっ、ほんとかい。みずしらずのおれにかい。けえせねえかもしれねえぜ」
「いいってことさ。そん時は、そん時さ」
 後から人づてに聞いたが、お舟は江戸橋の髪結い床、島田屋の売れっ娘髪結いで、瓦版にものったことがあるそうな。住まいは、島田屋とは目と鼻の先の、太呂兵衛長屋である。様子からして、おっとりとした人柄に思えるが、みかけによらず、勝気で、世話好きで、心根がやさしいと、評判の女であった。長助より二つ年上であるが、そんな評判の女が、ひとり身を通しているのが、不思議であった。
【当時、髪結いになるには両替商や札差と同様に幕府が発行する鑑札が必要であった】
 長助は佐助の紹介で、日本橋近くの小料理屋、花道のまかないを手伝うことになった。しばらくして、長助はお舟に借りた金を返したが、どういうわけか、お舟はさしたる用事もないのに、長助の住む長屋や花道に、時々顔を出した。
 ある日の夕暮れ時、長助はお舟の暮らす長屋で、馳走に、舌づつみを打ちながら、世間話に花を咲かせていた。そこに、めずらしく、お舟が酒を飲もうと言い出した。
 二人で酒をくみかわしていると、お舟がいきなり長助の隣に横座りするや、なまめかしく、つやっぽい声でのたもうた。
「ねえ、あたいと所帯をもたないかい」
「うっ、ごほっ、ごほっ」
「あらら、だいじょうぶかい」
「よ、よせやい。おめえ。このおれをからかうんじゃあねえ」
「ふふふ。実はね、あたいの母親も髪結いなのさ。髪結いは、かせぎがいいから、亭主をだめにしちまう。あたいは母親のつらい涙をずいぶんと見てきたのさ。だからさあ、一生、亭主は持たないと心に決めてたんだ。・・でも、長さんはそこらへんの男とはきっと違う。ねえ、あたいたち、しあわせになれるよ」
 長助はなんでお舟がひとり身をとおしてきたのかを初めて知った。願ってもない話だが、お舟と自分とでは、見た目も何もかも、月とすっぽんである。しかも、自分は運無し男で、これまで一度も自信をもって生きてきたことはないし、自分とかかわって幸せになった者など一人もいない。それに、今働いている花道は近ごろ客の足が遠のき、給金もままならないようで、お舟の所に来たのは、ここ数日ろくなものを食っていなかったからで、実は当てにして来たのである。自分はどうしようもない男だと、黙ってさかづきをぐいと飲み干した。
「ねえ、そうしようよ」
「おめえ、からかうんじゃねえ。自分で言うのも何だが、おれはなんのとりえもねえ、つまらねえ男さ。おめえを幸せにする自信なんてこれっぽっちも、あらま、あーっ」
 突然、お舟が長助にのしかかってからんできた。
「よすんだ]」
「どうしてえ」
「よせ」
「なんでよ」
「あは、よそう」
「ふふふ」
「お願いだ、よして。ひひひ、あーっ」
とうとう、二人はちぎりを交わしてしまったのである。
それから、めでたく数年がたち、今ではおしどり夫婦として世間も認め、二人とも幸せに暮らしていた。
 ところがである。
 ある日の夜更け、銭湯へ行っての帰り道、お舟が長屋のどぶ板をふみはずし、打ち所が悪く、あっけなくあの世に旅立ってしまった。
「ほらな、やっぱしだあな。こんなになるってえ、わかってたんだ」
 長助はあっけらかんとしていた。
 翌日、お舟をとむらう盛大な葬式があったが、そこでも長助はあっけらかんとしていた。それもそのはず、葬式が終わってから、どこかに、なわでも引っかけて、お舟の後を追いかけるつもりだったからである。
 葬式が終わり、長助はお舟と過ごした薄暗い部屋にひとり、ぽつんとすわっていたが、もう生きていく気力をすっかりなくしていた長助は、そろそろ、どこぞになわをかけようと立ち上がった。すると、何のひょうしか、お舟のやなぎごおりの底あたりが、奇妙にも、ほんのりと明るく見えた。そろそろと歩みよって、動かしてみると、床の板のすきまから光るものが見えた。ふしぎに思い、床をはぐると、床下に小さなかめが置いてあった。それを引き上げようとするが、ずしりと重い。ようやくのこと引き上げたが、ひっくり返すと、中から小判など、数十両もの金子が出てきたのであった。
 思わぬことで、一晩あれやこれやと考えあぐねたが、長助の性分や今までの生き方からすると、金を捨てるとか、人様にめぐんだりなどするのはいやである。どうせなら、はなばなしく使い果たして、それから死のうと考えた。
 ところがである。
 あちこちの賭場に行ったが、不思議なことに勝ち続けて、あれよあれよという間に、なんと十数倍にふくらんだのである。
 困り果てた長助は、そこで考えついたのが、あの吉原である。さっそく、身なりを大商人風に仕立ててくりだしたが、使ったのは、たかだか十両ほどであった。
 ほとほと困り果てた長助は、とうとう大家に相談に行ったのである。
【江戸の御世、大家とは借家の持ち主ではなく、その管理人の呼び名で、持ち主は家主(いえぬし)と言った】
「ええ、吉原にいったんですがね。太夫(たゆう)とやりてえって言ったんでさあ。ところがでさ、ええ、さーほいっていうのがありやして」
「それは作法じゃあないのかい」
「ええ、それそれ、そのさほうで。すぐにゃあ、だけねえそうで。最初も、次も、ただただ、酒をかっくらって、話をするだけで、それもですよ。くんくんなましとか、あちきかわちきか、とにかくへんてこりんな言葉を使いやしてね。話があっちに行ったりこっちに来たりで。へえ、三度目でようやく抱けやしたが、海ん中を泳ぐようなもんで、果てはごめんなさいでさあ」
「ところで、あたしに相談というのはなんだい」
 長助はふろしきづつみを大家の面前に差し出し、包みを解いた。
「ここに、六百両ありやす。これは、あっしがお舟の残した金をもとでに、賭場でかせいだ金でさあ。でも、あっしにゃあ、大きな金の使い道がわからねえ。大家さんと言やあ、親も同然、あっしのかわりに使って欲しいんでさあ」
 数ヶ月が立ち、初夏となった。
 長助は大家に頼んでから、酒びたりの日々となっていた。お舟の後を追って死のうという気持ちはあるものの、なかなかふみきれない自分に腹を立てたり、あいそをつかしたりしていて苦しかったからである。だが、近ごろは、大金は大家が使い果たしてくれたろうし、そろそろ、自分の持ち金もつきる、そうなれば、また、やる気が起こるに違いないとほくそ笑む日々であった。
 ある日、突然、大家が長助をたずねて来たが、なぜか、満面の笑みを浮かべていた。
「頼まれたことなんだが、あの金で長屋を五棟建てさせてもらったよ。あつかっているのが、古い長屋ばかりだったから、あたしも助かるよ。これで、お前は大家主というわけだ。これが今月の賃料だ。十両と二分あるよ」
 長助はすわったまま、あおむけさまにひっくり返った。うすれゆく意識の中でつぶやいた。
「なんということをしてくれたんだ。これじゃあ、お舟の所に行けねえじゃあねえか。とほほほ」
 その日の夜のこと。妙にむし暑く、寝苦しい。汗が出て、体のあちこちがかゆくて、
ぼりぼりとかいた。突然、ぼんやりだが、枕もとが青白く、しだいに明るくなっていく。長助は仰向けに寝ていたが、あごを突き上げ、上目づかいに、それをまばたきもせず、じーっと見ていた。女のようであるが、頭には三角の額帽子をかぶり、白い寝間着を身にまとい、ざんばら髪で、顔は見えず、しだいに、その姿が濃くなった。
「なんでえ、こりゃあ。酔いがまわっているからかな。ふむふむ、夢かもしれねえ」
「あんたー、あたいだよ。あんたが、心配で、心配で。それで、あの世から引きかえして来たんだよ。酒ばかり、飲んでいるそうじゃあないか。しっかりおしよ」
 ゆうれいは、ざんばら髪をかき分けたが、確かにお舟である。長助は、ほおをつねるや、がばっと起きると、神妙な心持ちで、お舟に向かってちょこまかと正座した。
「お舟、すまねえ。あの世のおめえにまでしんぺえかけてよお。おれはつまらねえ人間だ。おめえの所に行きてえよお。そうだ、おめえはゆうれいだろ。とり殺してくれ」
「なんだってえ、情けないねえ。何、かいしょうのないことを言ってるんだい。しっかりおしよ。あんたはまだまだ生きて人の役にたつんだ。それに、ゆうれいは二つに分かれてるんだよ。人をうらんで死に、その人にとりつき殺す悪玉と、あたしらみたいに、この世に心残りの人を残して死に、その人のそばにいて守る善玉といるのさ。あたいは、善玉さ。だから、とりついて殺すことなんてできないのさ」
「じゃあ、おれはこれからどうすりゃあいいんだよ」
「もう二度と賭場に行くんじゃあないよ。あたいが、知りあいのゆうれいに頼んで、勝たせるようにしたんだからね。ところでさあ。ほんとに、あんたはなんのとりえも無い人だけど、他人様の気持ちはよく分かる。他人様の悩み事を聞いてあげるあきないをしたらどうだい。手伝うからさ」
「とほほほ。おめえ、けなしてるんだか、ほめてるんだか。でも、ううっありがてえ」
 数日後、江戸橋広小路の路地を入り、やや奥まった所の一角に、五尺四方の奇妙な店が出現した。間口には外からはのぞかれない様に腰のあたりまでむしろがたらしてある。木札がつるしてあり、【よろずお悩み解決いたします】とある。中に入ると、高机とそれをはさむようにいすが置いてあるだけの質素なものである。そこには易者風の身なりをした長助の姿があった。
 朝四つ、初めてのお客が入って来た。やつれた様子の、小柄な老人が、つえをつきながら、よろよろと足をふらつかせながら、いすにこしかけた。よーく見ると、近所のまき屋の主人であった。
「ひどく、やつれなさっちゃあいるが、どうなさったんで」
「あっしゃあ、わけえころは元気坊で、よくはめをはずしておりやした。とほほほ。今じゃあ、はずすのは、かつらぐらいのもんで」
「泣きなさるんじゃあねえ。いってえ、どうしやしたんで」
「あっしたち夫婦はまきを仕入れに、時々近くの山に登るんで。で、きのうも山に登ったんでやすが、急にあっしの腰がたたなくなってしまいやして、長助さんも知ってのとおり、あっしらはノミの夫婦で。それで、かかあにかかえてくれって言ったんでやすが、「あんたをかかえて、あたしも腰をやられたらどうすんだい」の一言を残して、かかあはまきを背負ってさっさと山を降りていったんでさあ。とほほほ。それで、しかたがねえんで、はって帰ったんです。ところがですよ。途中で、でっけえ熊が現れやして、気がついたら、必死で走っておりやした。帰りついて、そのことをかかあに言ったんです。そしたら、「なんだい、くたばらなかったのかい」の一言で。とほほ。若いころ、かかあの顔を見るだけで、心がときめいたもんで。今じゃあ、見るたんびに、ふけえためいきが出やす」
「へえ、それで相談ってなんですかい」
「今のかかあを下取りに出して、新しいかかあをもらいてえ」
「何だとう。あんたねえ、女房は道具じゃあないんだ。花の咲かない枯れすすきになったかもしれねえが、もう何十年もつれそってきたんだろ。気の毒だがな、今の女房が最高なんだと、自分の胸に強く言い聞かせて辛抱するんだ。どうせ、早晩迎えが来らあ」
 いきなりほおかぶりした酔っぱらいの男が入ってきた。屋根職人の留吉と名乗った。
「あっしにはかかあと九つの子を頭に子が五人おりやすが、はたらかされっぱなしの毎日でさあ。三日前のことでやすが、あっしは屋根をふみはずして、下に落っこちたんで。頭を打ったんですが、もう休みたかったんで、気絶したふりをしてたんでさ。で、戸板で医者の所に運ばれたんですが、・・・くそう、やぶ医者め。やって来たかかあに「亭主はもう助からん」って言いやがったんで。驚いたあっしゃあ、がばっと起きて、「おりゃあ、まだ、ぴんぴんしてらあ」ってさけんだんです。そしたらですよ。「うるさい、あんたに何が分かるんだい」って、かかあにぽかっとやられやしてね。とほほ」
 留吉はほおかぶりを取るなり、机に突っ伏した。こぶが、鬼のつののように二つもっこりと突き出ていたが・・。
「泣くんじゃあねえ。かわいそうになあ。よしよし、水で冷やしてやらあ。・・で、相談とは、なんでえ」
「へえ。で、あっしのかんにんぶくろのおが切れやして、「こんりんざい、おめえと暮らしていくわけにゃあいかねえ」と、たんかをきって家を出ちまったんで。とほほほ」
「なるほど。はずみで言っちまったが、もとのさやに、おさまりてえってことだな。だが、男のめんつがあって、かみさんに頭は下げられねえってえとこかい」
「へえ、そのとおりで・・・」
「じゃあ、朝っぱらから酒を飲んでねえで、もとのように仕事に精をだすことだな。そうすりゃあ、かみさんのほうから頭を下げてくらあな」
 帰り支度をしているところに、ごま塩頭で、四十がらみの、おかまみたいな男がなよなよと入ってきた。
「あたしは、もう長ーいこと失業しております」
「じまんそうに言うんじゃあねえ。こちとら、店を閉めようってしてたところなんでえ。てみじかに言ってくれねえか」
「へえ。・・あたしには、十二を頭に九人の子がいるんで、それに、七十になるくそばばあ、いえ、あっしの母親なんですがね。くたばりかけで、もう、とりがらみてえになってるんですが、これがなかなかしぶとい。おっと・・いえ、薬もろくに飲ませてやれません。かかあはになっているんですが、かせぎがたりないんで。とほほほ」
「じゃあ。子供は、おまえさんがめんどうをみているんじゃあないのかい」
「へえ、そのとおりで。だから、子らがねむってから、はたらきてえんで。でも、やったことがないんで、やりかたをおしえて欲しいんでさあ」
 男はしょぼしょぼと目を細め、よよと泣き始めた。
「よしよし、そう女みてえに泣くねえ。ところで、その仕事とはなんでえ」
「へえ、どろぼうで」
「な、なんだとう。おれがどろぼうをしてたように見えたかい。こんちくしょうめ、とっとと、帰りやがれ。・・とほほほ、こっちが泣きてえや」
 その日の五つ、定番どおり、なま暖かい風が吹き、あんどんの灯がゆらーりゆらーりとゆれ、足が無いお舟が現れた。
「あーあ、ろくな相談しかねえ。腹が立つばっかりでえ。もう、勝手にしやがれだ」
「まあまあ。最初から、そうそううまくいく商いなんてないさ。久しぶりに料理をしたんだ。あんたの好きな鉄火みそ、かつおのたたきにあさりのみそ汁だよ。さあ、めしあがれ」
「えーっ、まかないができるのかい」
「ああ、夜だったら前とおんなじさ。なんでもできるよ。しばらく冷酒ばっかりだったろ。今日から毎晩、かんをつけてあげるよ。さあ、まずはおひとつ」
 お舟は長助のとなりに横座りすると、なまめかしく肩をよせて、ほうずるようにして、長助の手にあるさかずきに、なみなみとそそいだ。長助は思わず背筋がぞくぞくっとしたが、かまわずぐいと飲み干した。
「あたいにもちょうだいな」
「なんでえ、これじゃあ、前とかわらねえじゃあねえか」
「あー、久しぶりでおいしいわ」
 お舟の青白い顔や身体が、しだいにぽわぽわとほてるように赤くなりだした。
 さしつさされつ、ちんとんしゃん。横に寝かせて枕をさせて指で楽しむ琴の糸。
 ふたりで飲むは食うはの、ドンチャン騒ぎとなった。入り口の戸が、突然、がらりと開いたが、長助がふりかえると、となりの六兵衛夫婦である。
「長助、こんな遅くに、ひとりで、何さわいでるんだい。こちとら、朝は、はええんだ。かかあに、死なれてさびしいのは分かるがなあ。近所めいわくだあな」
「うるせえ。舟が帰って来てくれたんだ。ほら、ここにいるじゃあねえか。祝いなんだよ」
「おめえ、とうとう気がふれたのか・・・ううっ。しょうがねえ」
 時が立ち、ふたりとも少々酔いがまわったが、突然、お舟がのしかかり、からんだ。
「他の女を抱いてみて初めてわかったぜ。おめえは絶品だ。もうはなさねえぞ。・・・あはは、そこよ、そこそこ。ふふふ。あーっ」
  翌朝、長助はめざめたが、、部屋を見回すと、お舟の生前同様、台所など全てのものがきちんとかたずけられていた。それにしても、昨夜のことはゆめのようであった。まさか、ゆうれいが抱けるわけがないと思いつつも、感触は確かに残っている。不思議に思いながらも、お舟に言われたように店に行くしたくをして外に出ると、もう日は高く昇っていた。六兵衛の女房のお町が不思議そうな顔をして、長助に近寄って来た。
「米とぎや洗たくを夜にしたのかい。真夜中に、井戸ばたの方から水の音がしていたからねえ。ほら、見なよ。物干しに長さんの洗濯物が、暗いうちにかかっていたけど」
「あ、ああ。おれさ。夜中に起こしてすまねえ。店を開いてから何かと忙しいんだよ」
 店に着くと、どこぞの大店の内儀かと思えるような品のいい女がいすに座っていた。
銀座の呉服屋、池田屋の女主人でお松と名乗った。この江戸では知れた大店である。お松は、たつみの芸者であったが、先代にみそめられ、後妻となった。昨年、その先代が亡くなったが、その先代には年頃の、お千香という一人娘がいた。近ごろ、そのお千香に、婿入りの縁談がもちあがった。大店の小間物問屋、坂井屋の主人夫婦の世話で、相手は京橋の呉服屋、高田屋の次男で時次郎である。確かなすじからの紹介であった。時次郎は二十九だが、性格は実直で、商いはうまく、悪いうわさは何一つ無い。また、高田屋の一家は小石川養生所に時々寄付をするなど慈善一家として知られている。両家は、数日前、坂井屋夫婦の立会いで、さる料亭で見合いをしたのであった。
「千香はとても気に入ったんですがね。あたしゃあ、男をたくさん見てますからねえ。見合いの日から、日が立つにつれ不安になりましてねえ。なるべく早く、どうしても調べてほしいんです。こういう看板をあげてるくらいだから、裏の道はよく知ってらっしゃるはず。礼金は、はずみますよ、あなたは人を裏切るようには見えないですからね」
と言うと、お松は一両小判を手付けにと置いて帰ったのであった。
「えーっ、何で、この世に表と裏があるんだあ。裏の道ってえなんだよう。じまんじゃねえが、おれがそんなもん知っているはずがねえじゃねえか。どうしよう、とほほほ」
 とにかく、高田屋の時次郎の身辺をさぐることにした。以前、店を転々としたおかげで、意外にもすぐに多くの情報が集まりはしたが、坂井屋の言ったとおりで、何も目新しいことは何一つ無かった。かごに乗ったり、歩きまわったりしたおかげで、くたくたになっていた。帰り道はとうに日は暮れていた。
「これだけ調べたんだ。くそう、大店夫婦の紹介だ。どこがおかしいんでえ」

「お帰り、今日も遅かったね。ふふ、苦虫をかみつぶしたような顔してさ、何かあったのかい。お前さんの好きなそばとひややっこ、それに大根の煮つけだよ。召し上がれ」
「ありがてえ。おめえは料理もうめえし、何も言うことはねえ。おれにゃあ、ほんとに過ぎた女房だったい。生きててくれりゃあなあ、幸せにしてやれたんだが。とほほほ」
と言いつつ、げんこで涙をふいた。
「泣かないでよ。その言葉だけでうれしいわ。あたいはこれでも幸せよ」
お松から預かった時次郎の人相書をお舟に見せ、池田屋の縁談の一件を詳しく話した。  
「お松さんの芸者としての直感はおそらく当たっているだろうねえ。みすみす、娘が不幸になるのを、黙って見ちゃあいられないよ。よし、ひとはだ脱ごうじゃあないか」
 お舟は出入り口の戸のすき間から、すーっと抜け出ていった。
 お舟は夜半になって帰ってきたが、とたんに、長助にのっかって、からんできた。
「うっふーん。他人のからみごとを、半時も聞かされたんだよ。話は後よ、身体がほわほわ火照っちゃってさあ。ねえ、ふふふ」
「くすぐってえ、き、今日は疲れてるん、あらま、あーっ」

「時次郎って、何てえ、女たらしだ。あんたの言ったとおり、高田屋の裏のはなれが、あいつの住まいだったよ。中で、何をしていたと思うかい。そうさ、男女のむつみごとだよ。しかも、相手は女が二人だ。そのあと、その女らが帰って行くのをつけたんだ。そしたらさあ、こじんまりしてるけどちゃんとした一軒家に入っていったんだ。玄関に看板があってさ、それによると、しゃみせんをおしえてるらしいよ。家の中に入ってみたら、ならずもんみたいな男がいたけど、その三人の話をしばらく聞いてみたんだ。そしたら、女二人は姉妹だってえことは分かったよ。姉はお恵、あたしの勘じゃあ、その男はお恵のひもじゃあないかねえ。それでさ、ゆうれい仲間に聞いてみたのさ」
「ゆうれいに仲間ができたのかい」
「ああ、たくさんできたよ。その中でも、善玉ゆうれい暦五十数年というお方がいてね。ものしりで、いろんなことを教えてくれるよ。年季がずいぶん立っているから、悪玉にも知り合いがいて、聞いてくれたんだ」
「ふむふむ、ゆうれい暦なあ。なるほどねえ、何事も経験の長さが肝心てことか」
「ちゃかすんじゃあないよ。それでね、悪玉のゆうれいの中に、時次郎に乱暴されて自殺したという娘がふたりいるんだそうだよ」
「ええーっ。じゃあ、時次郎ってえやつは、とんでもねえ悪人じゃあねえか。でも、おかしいぜ。なんで、娘のゆうれいたちゃあ、時次郎をとり殺さねえんだ」
「ああ、魔物よけの守り札を肌身離さず、身につけていて、近づけないらしいよ」
「へーっ。ふろにへえっている時もつけてるんだろうなあ。そうすると、意外と、気のちいせえやつかもしれねえなあ」
「それで、娘のひとりは尾張町の三平長屋に住む大工の留吉の娘」
「えっ、こりゃあ、びっくりこいたぜ。身元まで分かってるのかい」
「ああ、もうひとりは浜町で小さな古着屋を営む田原屋の娘だ。だけど、裏の道を知らないあんたじゃあ、この事件を解決するのは無理だ」
「ええっ、またそれかよ。その、裏の道って,何だよう」
「そのうち、分かるさ。ところで、あしたは、柳橋の料理屋、橋本の主人の藤吉をたずねるんだ。その道を知ってる人間を紹介してくれるさ」 
「えーっ。そりゃあ、江戸随一の料理屋じゃあねえか。でも、どうして、知ってるんでえ」
「あたいの母の腹違いの弟さ」
「ほう、そうなのかい。でも、こんな夜中じゃあもう寝てるぜ。どうやって頼むんだ」
「何、言ってるんだい。あたいは、れっきとしたゆうれいだよ。今から、藤吉さんのところへ行ってくるよ」
 翌朝五つ、長助は藤吉を訪ねた。
「昨日の真夜中のことですが、お舟のゆうれいが出ましてな、明日、亭主の長助を来させるから、相談に乗ってやって欲しいと言ってました。半信半疑でしたが、まさか、長助さんが来なさるとは。お舟はよっぽど、心残りだったんでしょうなあ」
 藤吉は万蔵という男を長助に会わせることを約した。背は六尺あり、身体つきはがっしりしていて、顔はこわもてだが、みかけによらず、情に厚く義理堅い男であるそうである。
「へい、ようがす。この万蔵が調べ上げやしょう。ところで、失礼なことをお聞きしやすが、長さんは大家主とか。どうしてあんなぼろ長屋に住んでいらっしゃるんで」
「死んだかみさんが借りてたんで、忘れられなくてね」
「ほう、長さんて、情が深えんでやすねえ。ところで、あっしの飲み仲間ですが、二人雇って欲しいんで。一人は小坂鉄治郎、通称本所の鉄と言いやす。もう一人はお滝と言いやす。ふたりとも、お役にたちやすぜ。それにしても、頼まれて間もねえのに、よくぞ、ここまでさぐり当てたもんだ。長さんはただもんじゃありやせんねえ」
 数日後、万蔵が長助の店へとやって来た。
「ふたりの娘のいきさつを、その時調べた役人や岡っ引きらにたずねてきやした。ふしぎと同じで。娘たちは平太郎という役者にしてもいいような男とつきあうようになったそうですが、ひとけの無い所にさそいこまれ、そこに、見知らぬ男が現れて、乱暴されたそうで。そのあと、だれもそのことは知らねえはずが、近所でうわさとなり、いたたまれず、川に身を投げたんだそうで。運よく残っておりやしたが、これが平太郎の人相書きでさあ」

「お帰り。お咲さんが、鯛の切り身やはまぐり、豆腐に長ねぎ、をたくさん持ってきてくれたわよ。あたしが礼を言うと、驚かしちゃうからさ。あんたが言っといてね。ところで、何か分かったのかい」
「ああ、この人相書きの男が、てがかりだ」
「ずいぶんと男前だねえ。あらっ、こいつ、お恵の家にいた男とそっくりだ。でも,ほほに大きな切り傷があったけど・・・」
「よーし、このおれが、その男の正体をつきとめてやるぜ」
「えーっ、やめてよ。お願いだから。これから先は万蔵さんらに頼むんだよ。いいね」
「とほほほ」
 数日後、長助の店に、お滝がやって来た。お滝は現役ばりばりの芸者である。
「お恵の家にいた男の名は与の助、江戸橋広小路にある古本屋と乾物屋をしている和田屋の主人の次男で,二十九歳、去年、事件をおこして寄せ場送りになり、そのあと、身を持ちくずし、ならず者になったそうよ。ほほの傷はね、その後のならず者どうしの出入りの時に負ったものだと聞いたわ。それから、お恵のことだけど。銀座の札差、えびす屋の主人のかこいもんだってさ。両親と妹がひとりいるそうだよ。人相書きの男が与の助だという証拠はまだつかめてないわ。くわしいことは、万蔵さんと鉄さんが調べているところよ。で、万蔵さんからいいつかってきたけど、これからは、長さんも身辺に気をつけてくださるようにとね」

 中年の女がひょっこりとやって来た。
「あたいはね、今の亭主と、ともに白髪のはえるまでいっしょに暮らそうよって、所帯を持ったんだけど、はやばやと、つるっぱげになっちゃってねえ。おまけに、あごひげをはやしてるんで、見た目が、みょうちくりなんだ。、なんとか、かみの毛をはやす方法はないもんかねえ」
「まさか、顔をひっくり返すわけにもいくめえしなあ。・・・そうでえ。あごのひげをそって、頭にくっけたらどうでえ」
 女はかんかんにおこって、帰っていった。
暮れ六つ、そろそろ店を閉めようとしていたところに、万蔵と鉄がやって来た。
「あちこちの賭場でたずねてみやしたら、よく知ってるやつがおりやして、与の助と時次郎のつながりが分かりやした。ふたりは十年位前、賭場で知り合い、それからは、ふたりで表では善良なあきんどのふりをして、裏ではそうとうあこぎなことをやって来たそうで。お恵はふたりの大事な金づるのひとりでさあ。・・・だが、人相書きの男が与の助であるという証拠はどこにもありやせん。で、つまるところ、ふたりの娘以外にも必ずいるはず、さがしだして、証言してもらうしか、てだてはありやせん。したっぱをかき集めて、江戸中を調べやしょう。なあに、きっと、見つけてみせまさあ」

「お帰り、今日も遅かったねえ」
「ああ、万蔵さんや鉄さんと話しこんでたんだ。それで、鉄さんは、こう言うんだ。池田屋の頼まれた件は今まで調べたことで、解決がつく。ふたりの娘以外にもやられた娘が確かにいるだろうが、江戸中をさがさなきゃあならねえ。こりゃあ、てえへんなことだ。ましては、もし、見つかったにしても、その娘が証言してくれるとはかぎらねえ、いや、もう月日が立ちすぎてて、しねえ方がつええ、とな。おめえ、どう思う」
「お咲さんがどじょうを持ってきてくれたよ。で、柳川鍋にしてみたんだ。めしあがれ。でもさ、極悪人は地獄に落ちなくちゃあねえ。あたいが、ちょいと調べてくるよ」
 長助は柳川鍋に舌づつみをうちながら、酒を飲んでいたが、半時ほどで帰って来た。
「えれえ、早かったなあ」
「今夜はゆうれいが多くて、混雑してねえ。遅れたぐらいさ。あったよ、これだ」
「なんだい、これ・・ああ、数年めえの美人番付表じゃあねえか。あっ、あの娘たちの住まいと名めえがのってるぜ。しるしがあちこちついてらあ。これをいってえどこで」
「ああ、お恵の家の壁にはってあったよ。これでさがしゃあ、いいんじゃあないかい」
「おめえって女は。ほれなおしたぜ」と、言うなりお舟に抱きついた。
 ちんとんしゃん。からかさの骨の数ほど男はあれど、ひろげてさせるは主ひとり
 すでにとついだ娘もいて、なかなかむつかしいものがあったが、鉄や滝の説得にこんまけした数人の娘たちが、証言してくれ、たちまち時次郎と与の助、お恵の三人はとらえられた。だが、時次郎は裁きを受ける前に、牢内で狂い死にしたのである。
お恵は美しさがおとろえ、札差の藤五郎の足が他の女の方に向き、しだいに遠のいていくのに腹をたて、うさばらしに、時次郎と与の助を巻き込み、この事件を起こしたのであったのであった。
恐ろしきは女のである。

「お帰り。あら、何かうれしいことがあったのかい」
「ああ、今度の件でお上からごほうびを頂いた。でな、同心の方からこれを頂いたよ」
「あらら、手札じゃあないか。じゃあ、おまえさん、岡っ引きになれたんだね。今夜は祝いだ。ちょうどいい、おまえさんの好きなナスの味噌和えと鯛の茶漬けとさしみだよ。さあ、召しあがれ」
 ふたりで飲むは食うはの、ドンチャンと騒ぎとなった。
「万蔵さん鉄さんやお滝さんといい、そういう人たちがあんたについてると、あたいもあんしんだ。あんたは、からっきし、けんかは苦手だからねえ」
「今夜は飲みすぎだ。身体によくねえぜ」
「ううっ、そう言ってくれるのは、おまえさんだけだよ」
と言いつつ、お舟は長助に飛びついた。
ちんとんしゃん。梅もきらいよ、桜もいやよ、桃と桃との合いがよい
 
その後の長助はというと、皆に助けられ、一人前の岡っ引きになっていったそうな。
数年後、長助はお滝と所帯をもったが、お舟はそれを見届け、成仏酔っぱらいのしたのであった。
すばらしきは女の情愛である。
                    (完)
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タグ:  嫉妬 情愛

2009/6/26

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