2008年8月に開業しました。 「温故知新」と「創造と調和」が基本理念。 テーマは「綺麗になる」 歯科を通して 「健康・幸せ・豊かさ」を考え実現してゆきたい。 「思い」や「心」を大切にしたい。 「出逢えてよかった。」と言っていただけるよう、 いつまでも 「家族みんなに愛され地域に愛される」歯科医院でありたい。
ムキ 不向き  

ムキ 不向き



ん〜〜〜

得意と思えるものとそうでないもの。

やってて楽しいものとそうでないもの。

ああ、自分にはやっぱり向いてないなあ・・・なんて思うこと。

あれ?もしかして、自分に向いてるかも。この仕事・・・。

な〜んて思ったり、考えたりすることありますよね。

これって・・・なんなんでしょう?



私は小さい時から「歯科医になれ。歯科医になるんだぞ。」といわれ、育ってきました。

「まあ、そんなもんかな。」なんてたかくくってたわけですが。(笑)

歯科医になる。・・・ってことになんの根拠もなかったですね。

「向いてる、向いてない」なんて考えもしなかったし、

歯科医になる為に備えていなければいけない「条件、器量」なんてものも考えもしなかったです。

ただ、「歯科医になるんだぞ。」の言葉だけを 鵜呑みにしていたことになります。

まあ 真面目に、真剣には考えてなかった・・・ってことです。



今思うと・・・

まあ 「絵」を書いたり、「モノ」を作ったり、「想像、創造」する作業は好きでしたね。

何もない(無)所に「有」を作り出す作業。

楽しかったですね。面白かった。

それが今の歯科医人生に多いに役立っていることは間違いないですね。

歯科医になるには、高校時代、「理系」を選択しなければなりません。(苦笑)

語学が堪能・・・かといえばそうではなく、かといって数学や理科はちんぷんかんぷん。

まったく理系・・・ではないですね。

数字をみると・・・ぐったりしますし、頭は熱くなるし(オーバーヒート)、

白髪は増えるし・・・(笑)

国語は好きでしたし、社会も好きでしたが、

漢文、古文はちんぷんかんぷん。

歴史はすきだったけど、地理なんかもてんでダメ。

要は・・・勉強嫌いなんですわ。(笑)



勉強・・・勉めて 強いる・・・から もうそれだけで反発ですわ。(笑)

学習・・・学び 習う・・・のはいいですね。こう なんか前向きな感じで。



そうそう・・・

「ムキ 不向き」。

これって 誰が決めるのでしょう?

自分が「そう思う・・・。」ということもあるでしょうが、

「君は 向いてないね。・・・」と他から言われることもあるでしょう。

しかし、真実はどうなんでしょうね?

ほんとに、「向いてる?」「向いてない?」



かくいう私も 歯科医には「向いてない」と自分では思っています。

歯を削るのも嫌。歯を抜くのも嫌。・・・嫌いだし、苦手です。(笑)

下手?上手?

下手だから?・・・嫌い?

上手・・・(自分での思いこみ?)だから・・・好き?

何と比べて?・・・上手?下手?

と際限なく、問答は続くわけですが、

「根拠がない」



ということは・・・

「向き 不向き」は勝手な「思い込み」ということにはならないでしょうか?

私がそのいい例ですね。

ある患者さんに言われました。

「先生は 歯医者に向いてるよ。」・・・と。

「いや〜 自分では向いてないと思うんだけどな。」

「いや、歯医者でよかったんだよ。向いてる。」



そう、自分は向いてないと思っているが、他からみれば向いていると思う。

さて、どっち?・・・な〜んて。



要は、「見方を変える」と変わるんですよね。

私の場合、「向いてない」と思うからこそ、

人一倍気を使うし、自分なりにがんばったりするものです。

「得意だ」と思うことで、それが自信にしっかりつながっていればいいのですが、

根拠もなく、宙に浮いた状態で、努力もしない・・・

それって最悪だと思いませんか?怖いです。



そう、さっき書いてて思ったんですが、

「向いている 向いてない」というのは、「意識」の問題なのかな?・・・って。

「そちらを 向いている」「そちらを 向いてない」

要するに、

「その方向 を しっかり見据えているか どうか?」・・・ってことなのかな?って。

だから、一般的に言っている、「向いてる 向いてない」は使い方や意識がどっか取り違えてる感があるような気がしてます。



以前こんなことを言われました。

「講師」をやりたいと上役に申し出たところ、

「お前、何が得意なんだ?」と。

「いえ、得意というものはありませんが、義歯に関することは好きです。」と返答したところ、

「じゃ、だめじゃん。」・・・と。

これってどう?



「得意」というこの 「自己満足」的、「思い込み」。

どうなれば、どうすれば「得意」という表現になるのかが、私には理解できかねるのであります。

勝手に自分で「そう思っている」だけが、「評価」の対象、「「選定」の基準になりうるとは私は思えないのです。

どっちかっていうと「好き」「楽しい」といえる方が明らかにその人自身をイキイキとさせ、

他がとやかく言わなくても 勝手に前進する「力」になりうるものだと思うからです。



だから、

「向いてる」とか、「向いてない」とか、

自分に勝手に「レッテル」はるのは 好ましいことではないような気がします。

しかし、

「向いてない」とどうしても思ってしまうのだったら、

人一倍、いや・・・他人の何倍も努力(がんばる」したらいいだけのことではないのか?とも思うわけです。

「得意」や「向いてる」と思うのはいいのですが、

それにあぐらをかいて のぼせあがって な〜んもやってないと結局は「絵に書いた餅」でしかないですね。



どうしても「言葉」に対して抵抗感を感じてしまう私ですが、

この「抵抗感」が大切なんだと思うのです。

自分の心にしっくりくる言葉を日頃から使うことが 「自分」というものをしっかり浮き上がらせてくれるような気がするのです。



案外、「思い込み」ってあるからね。

気を引き締めていかないとね。

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変われるか?  

変われるか?



昭和のヒーローモノは 今見てもイケテル。

子供心にかなりインパクトがあったのは、「イナズマン」(ウィキペディア )だった。

イナズマンになる前の「サナギマン」ちゅうのがいて それがいい。

蝶も、幼虫(毛虫)から サナギになり、やがて大空を羽ばたく 蝶になる。

「いつかは こんな俺だって!」と思ったものだ。

なんせ、引っ込み思案、身体はでかいが気が弱い(ノミの心臓)etc



根本は 変わらない。今も。

しかし、何かが変わった。

何かが変わったから 今があるわけだ。



くよくよするが、早めに切り上げる、切り上げられるようになった。

壁にぶつかって テンパルこともあるけれど、立ち向かう姿勢になる。

よっしゃ!って気合いを入れ、踏ん張ることができるようになる。

多少のことではビビラなくもなる。

突然の困難と思われることも、腰をすえてとりかかるようにもなる。

まあ こんなもんや。なんて、呑気にかまえたり、

ちょっと 今は我慢や。と、時をみることも多少できるようになる。

突発事項にも、まあこんなこともあら〜な。何か意味でもあるんちゃうかいな?

な〜んて別の方向からみたりもする。

etc



何かが変わった・・・のだ。少しづつではあるが。

1歩 1歩

一個 一個

ちょこっと ちょこっと



そこに共通するものは、

自分自身が 心底「変わりたい」と願うことだ。

また 自分なりの「イメージ」、イメージにかわる「実在」を創造し、想像することだ。

それをいつも 繰り返し繰り返し。

自分に言い聞かせる。ことあるごとに。

それを 自分の感性、自分の閃きに準じて

行動 することだ。

それを 繰り返し繰り返し。

問題意識を持ち 疑問を解決するように

自分なりに考え 行動することだ。

繰り返し 繰り返し。

その一瞬 一瞬を大切、

真剣に、

真摯に、

一所懸命。



それしかないだろう。

その結果があるとき あきらかな 差 となって姿を現す。



自分の枠なんかとっぱらっちまえばいい。

こだわりなんか あってもなくてもいい。

要は、

「変わる」こと。



いや、「今のままでいい。」というなら その必要はないだろう。

でも、今のまんまでいい・・・なんて ほんと?



時代は流れ、時代は動き

自分自身も、自分のいる環境も 変化しているのにもかかわらず?



どっちをとっても 我が人生。

変わりたいやつらは 存分に変わればいい。

変わりたくないヤツは そのまんま。



それもまた 人生。



変われるか?

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for you  

for you



昨日、起きがけに起きてるのか寝ているのかわからない状態でふいに浮かんだ言葉。

「for you」

「おお!そうだよな。いいフレーズだ。」と思った。

まあ、ちょとありきたりで うさんくさいが、

心からそう思ったのだ。



「あなたの為に、〇〇。」

女神がささやくような 甘い響きがした。

(女神がいるかどうか私は知らない(笑))



「あなたの為に 私は力を尽くします。あなたが あきらめない限り。」

これは先日、スタッフとのミーティングの時、スタッフから出た質問に関しての私の考えであり、決意である。

「患者さんが あきらめない限り私達は 自分達が今もてる全てをもって そのことにあたる。」

「患者さんが、あきらめないかぎり 患者さんに寄り添って共に歩こう。」

というものだ。



私達、「専門化」といえども、まだわからないこと、知らないこと、前例がないこと、

どうしていいか迷うこと、悩むこと、

どうにかしてあげたいが、どうすればいいか迷ってしまうこと、

どうにかしてあげたいけれど、どうにもできそうもないこと・・・

様々ある。

単に、こちらの都合で「こうだ!」「こうでしょ!」「これ以上 ムリですね。」と言ってしまうのは

とても簡単なことである。

「患者さんの思い」を無視すれば・・・。専門家と言われる者の独断でいけば、「安全かつ安心」ではあろうが。

それはあくまでも「私達サイド」「専門化の側の安心」なのである。



「それでいいのか?」とやはり私の中で声がするのだ。

その声に従うならば、

「これでいい。・・・と、いうことはない!」

「こんなもんだ。・・・ ではない!」

のである。



確かに、

どうしたらいい? どうしよう?と迷うものはたくさんある。

明らかに患者さんに非があるものではない・・・という場合、

前例的には、「もたないかもしれない」「ダメかもしれない」という状態の歯もある。

しかし、患者さんは「残したい」という。

こういう場合、「ダメだから 抜いちゃいましょう!で、その後、入れ歯かインプラントだね。」

なんて、気安く、気軽に言えたもんじゃない。

だって、患者さんには非がないのだから。

たとえ、「可能性が1パーセントでもあるならば、残す!」

これは 本当に「賭け」である。

下手すると・・・

「へたくそ!」「あそこで治したのに痛くなった!」

「いつまでも痛みが取れない。」「違和感がある。」・・・などなど

不安は残るわけで 悪評として残るやもしれない。



しかしだ、

それよりも大事なのは、

「患者さんの思い」であり、

「患者さんの大事な 歯」であり、

「患者さんの 健康」である。



しかし・・・

「痛み」があったり、「違和感」があったり、

「不安」があったり・・・

それが「健康」といえるか?・・・という疑問も当然でてきてしまう。



そこでいつもジレンマなのだ。

だから、

「私は 最後まであきらめない。今もてる自分全てで 対応する。」と決めたのだ。

それは

「患者さんの思い」をまず、てっぺんにおいて。

だから、

「患者さんが あきらめない限り、がんばる!」と決めたのだ。



確かにねえ・・・

どうしようもないよなあ・・・と半ば 泣きはいるときもあるのだが。(苦笑)

ほんとね・・・自分が情けなくなる。

「どうにかでけんのか?」「なんで でけんのや?」・・・と自問自答するのだ。



だから、

基本的姿勢はいつも

「for you」



そして

「for me」



「あなたの喜びは 私の喜び」

「あなたの笑顔は 私の笑顔に。」

「あなたの幸せは 私の幸せ」

「あなたと共にあることが 私の望む私のあり方」

「あなたと私は 共にある」



である。

いや、

「あなたの為に尽力することが 私の幸せにつながる」のだろう。

「あなたの喜ぶ顔がみたいから・・・。」
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はじまりの唄  

はじまりの唄



今朝も冷え込み清清しい朝であった。

いつも通る道。

太陽が昇って キラキラと輝いていた。

神秘的。



なんとなく、「はじまり」のような感じがしてきて

カーステから

「はじまりの唄」(安藤優子さん)が流れてきた。



「ああ、やっぱりはじまりなんだ。」と思った。



何かが変わり始めている。

何かが変わりつつある。

何かが変わった。

それが何かは 私にはわからない。

でも 確かに 時代は動いていて

何かが「はじまって」いる。



まだ、目には見えない。

まだ、皆が感じるまでにはなっていない。

この先 徐々に 姿を現すであろう。



みんな!小さな幸せから しっかりキャッチしてね!
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その先に  

その先に



今朝は この言葉が頭に浮かんできます。

北朝鮮のトップが亡くなりました。ご冥福を。

今 マスコミが色んなことを報道しておりますが、

どれもこれもつまらないものばかりで閉口してしまいます。



その先に・・・

何があるかなんてほんとは誰にもわからない。

自分自身にだってわからないかもしれない。



でも、その先に何かあるのでは?

と、その先に思いをはせる余裕は持っていたいと思う。



患者さんが、「本当は何を必要としているのだろうか?」

「何を 求めているのだろうか?」と。



表に現れるのはその人の何分の1かで

表に現れるものだけに視点がいき

そこで固着してしまう、執着してしまうのは

そのものを見ていないのと同じ。



また、表に現れるものに囚われて

「こうだ!」と自分の思いや考え方に終始するのも

同じである。



その先に何がある?

その先にある 温かいもの、美しいもの、キレイなもの、重要なもの

そういったものを探しだしてみたいものだ。
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