夏の記憶がない。
(笑
忙しすぎて あっという間に過ぎ去ってしまったため
気がついたら もう ストーブの季節・・・おいおい。
7月の16日から美唄のアルテピアッツア美唄で
去年作った 音江小学校の木造校舎の絵葉書の展示会をやった。
初日2日前
東京のNPO「昭和の記憶」の理事 瀧澤尚子さんが
北海道に行くので 桂子さんに会いたいです
と言ってきたので 会ってみた。
すぐに意気投合し 秋の「聴き書き」の会を音江でも開催することになった。
敬老の日を聞き書きの日に というキャンペーンを日本財団のスポンサーを
受け 展開しているこの団体と音江でイベントをするのだ。
しかし
今年は 1月に体調をくずし
2月から2か月の準備を経て 4月 札幌で 絵葉書展を行い
その後 道立文学館での 作家・加藤多一とのイベントの準備に奔走し
5月17日 朗読会にて朗読を披露、雑誌「スロウ」の取材を受ける。
その後 7月16日からの美唄での展示準備に入り
開催と同時に 聴き書きの準備に突入。
学校を動かしたり 年寄りを動員することが
こんなに時間と労力を要するのかと 参ってしまった。
もちろん 普段のにれの木の 業務もこなしていて 宴会あり、
デリバリーあり、睡眠時間は少なくなる一方、白髪も増え 胃も痛む。
聴き書きの会に 父・隆君のボス、水野重男さんに来ていただこうと
思い 電話した。
必殺一撃で 痛いところを突かれ、その後 必死に音江の歴史を
勉強せざるを得なくなった。大先輩のお言葉は重い。
父・隆君は 音江農協でなかなかの仕事をした人物であった。
樋口組合長をことのほか尊敬していたので その後
水野組合長になってからは モヤモヤしたものがあったのではないかと
思っているが 今となっては 隆君の言葉も聞き取ることができないので
私が 勝手に思っているだけだけれど。
私自身も 父・隆を抜きに 今頃 水野重男氏 と一緒に
なにかやるなんて 夢にも思わなかった。
もちろん 水野さんも 鼻からフン くらいの気持ちだったと思う。
水野重男と言えば 道議会議員で議長まで務めた人だ。
星野隆も なかなかの理屈屋さん だったので 水野さんも頼りにする反面
うるさく思ったはずだ。
だから あの 星野隆の娘か。フン。くらいに思ったと思う。
聴き書き自体は 素晴らしい会に終わった。
年をとると 昔懐かしい思い出を 懐かしの顔を見ながら
話すことは ことのほか 楽しく、素敵なことらしい。
ここに 若い学生が加わり、歴史をつなごうとする姿はこれまた
感動の絵であった。
水野さんも表情優しく、満足した様子で帰られた。
さて この話を 父・隆に聞かせてやると
父は 笑いながら 涙をこぼしている。
日々 これと言って 楽しいこともなく 記憶も激しく乏しくなっていく中で
昔のことはやはり 思い出すことが出来て 楽しいらしい。
コンニャロ と思っていた 水野さんの話は 今では 懐かしく
自分の人生の中でも強烈な存在だったから
その現在の姿を私が 尊敬しつつも ジジィになったと
面白おかしく 聴かせてやると 父は 大笑いして 泣いた。
若者には 前を向いて生きろ と 大声で言いたいが
年をとった者には 昔話はいいものだと つくづく思った。

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