2017/9/12

都議選落選者のつぶやき  

7月の都議選。開票の夜、走り書きした私のメモが出てきました。
敗戦の弁です。
「国民の代表として出ている人たちが、普通に考えてやらないようなことをやってしまっている」
確かに、そういう事案が最後の最後に連発されました。都議選候補者でなく自民の国会議員から。
この声の主は自民で落選した女性。そこは千代田区。あの「都議会のドン」とされた人物の、後継者として出馬し、そして負けたのです。おそらく思いもよらなかった敗北でしょう。
世論はマスコミによって大きく振れる、というのも事実だが、世論はバカではないというのがそれよりもさらに真実。敗北者には厳しい現実だったでしょうが、これに学ぶべき人が、その候補者以外にどれほどいることでしょう。私も気持ちを引き締めます。「普通に考えてやらないこと」を、自治体議会でもさかんに見受ける今日この頃。有権者に厳しく見守ってほしいものです、議会も行政も。
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2017/9/11

ナナメに掘削する  

NHKで道後温泉のことが特集されていました。大改築のために、これから数か月、工事に入るそうです。明治の時代、今から123年も前に、城大工だった人の努力と技で完成しました。ここまでは以前、番組途中まで見てましたが、今日は最後まで。さらに感動を受けました。
四国に活火山はない。なのに道後温泉がある。思えば不思議。地表近くを掘っても温泉は出ない。良質の温泉を深く掘る。そのことに生涯をささげた人が紹介されていました。
地底深くから、まるで葉脈のように(図説ではそうなってました)地表近くに上がって来る温泉。それを垂直に、やたらと掘り下げてもなかなかそこに当たらない。そこで発想の大転換。掘削機をナナメに打ち込む。なるほどそうすればどこかで葉脈のどこかにひっかかる。こうして湯の量は3倍に。これが今日の道後温泉のルーツです。
その人は手記に「自己の資産と責任で、自由に掘削するしかない」と。オレの全責任でやる。公務員、会社員とは次元が異なりますが、大志を抱き「人のためにわが身をなげうつ」、そこにしかわが達成感がない、との考えは、仕事のいかんにかかわらず、人生の真理でもありましょう。
明日から一般質問の攻防。大いなる「志」あるところを答弁に期待します。
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2017/9/10

名古屋のまちづくりは家康が  

NHK『ブラタモリ』。随分と以前の放映ですが、BDに落としつつもこれだけは楽しみたい。ハードディスクにも残していて、一番組ずつ、見ては消しています。よくぞこんな番組を作ってくれるものと、ありがたく拝聴しています。
前回の続き。名古屋城から南へ。ここは台地の南端、熱田神宮があるところ。ここに町を作るにあたり、家康が着目したのは物資の輸送。東海道はここでのみ、熱田から桑名まで海路となる。それは木曽川など3つの川の合流点で治水がままならないから。それを逆手に取り、熱田から7キロの「城内」まで「堀川」と呼ばれる運河を開いた。木曽を独占。川で運んだ木材はここに荷揚げされ、大きな富を築いた…。
前回にもタモリさんが語っていました。東京大阪は行き交うけれども名古屋にはあまり立ち寄らない。新幹線で通るからここに台地があると気づかない。でも家康はそれを熟知し、地形をフルに活用して、城の守りと市民の繁栄を図った。「マイリマシタ」の感があります。
この番組に、まちづくりに携わる皆さんにも大いにシゲキを受けてほしい。そう願うばかりです。
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2017/9/9

「協働」という言葉を今一度  

今日の四国新聞「一日一言」のコラムに「協働」という言葉が取り上げられていました。
「協働」という言葉は20年前から出てきた。でも「知っていることと実践することは全く違う」と。「本格的な少子高齢時代を迎え、持続可能な自治体経営に向けての基盤を考えた時、現状は若干心もとない」と控えめなトーンで。成果も上がっているがしかし「年々疲弊していく姿も随分と見てきた」。
記事の後半は同紙の企画としてスタートした「わがまち未来会議」のことに。紙面も大いにその舞台となってほしい。そして市が「閑古鳥の鳴く」市民活動センターを作らないように、ここからが正念場、と、この記事を読んで感じました。
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2017/9/8

尾張名古屋は“家康”で持つ  

以前に見た『ブラタモリ』、名古屋の回。ここの話題にしようとして消去してなかったのだと思いますので、重複するかも知れませんが、書いて、そののちハードディスクから消去します。
「名古屋弁はほとんどネイティブ」とマネをしながら城内を散策するタモリさん。さてこの名古屋城は誰が作ったか。そして名古屋の町は? 正解は家康。宿敵豊臣を滅ぼす戦を前に、まず豊臣側に付いた大名たちの資産を減らすねらいがあった。なるほど巧妙。それで名古屋城の石垣は「天下普請」といってオールジャパンで各国大名に建設を下命する。そこで、歩いていると右の石垣と左の石垣の石の質が違う、というのが見られるそうです。名古屋城を歩いて、そういうことに目をやる人も少ないのでは。
次に台地と平地の「ヘリ」に築城することで4方向中2方向は防御の固めが薄くて足りる。ここらは家康のお家芸。
さらに。豊臣平定後は長く平和の世となることを見越した都市計画。城内は広く、モノの置き場や避難場所をも想定した広大な馬場を用意。今に至り、まさにここが石垣修復作業の資材置き場になり、災害公共避難場所になっているという先見の明。
城下には通常、侍を住まわせるが侍の屋敷は町家の周辺に。ここに日本でも稀なる広大な碁盤目の街並みを構築。当時の中心地清州から商人たちを移住させた。なるほど高松市に「丸亀町」があるのと同様、ここにも清州にある地名がすっかり移されているのが確認できます。
さらにさらに。碁盤目の区画一つひとつを間口を狭く、奥に長い土地割にして、たくさんの商店が並ぶようにしたのは大阪も同じだが、もう一工夫。これでは南北方向に人が歩かない。そこで器用に4方向すべてに店先が並ぶようにし、するとぽっかりと真ん中が空いてしまうが、ここを寺社、集会場、共有スペースに使ったという工夫の細かさ。
太平洋戦争で焼け野原となり、思い切ってそのひと筋を開いて作ったのがタワーのある久屋大通。なるほど。あの大御所の大功績を継いで、今日の大名古屋があります。
平和を見守る巨大なしゃちほこ。戦災で失われ、修復されたものですが、もう二度と標的になどされぬよう、大御所の平和への悲願を守りたいものです。
タモリさんが家康を評して「彼はデベロッパー」。当たっていると思います。天下平定のデベロッパー。今の世の地方自治の場に、そういう人が必要なのだと確信します。
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