2017/4/24

丸亀本気会議  

22日付四国新聞で知りました。
9日の告示日の前日。このイベントにはちょっと参加が難しかったです。盛況ぶりを、22日の新聞で知りました。
畳を32枚、アーケードに敷き詰めて。ここまでは高知の「おきゃく」に倣って経験済み。今回は「本気会議」と銘打ち、鍋に舌鼓もさりながら、まちづくりに80人の参加者が熱く「舌戦」を行ったようです。真摯な議論も大事ですが、こうして鍋を囲んで人の輪ができる、交流が広がる、それがいちばんのネライであり成果なのではないでしょうか。本真剣な議論はまた黒板を前にやるとして。
この企画を実質プロモートしている、ここにも名がある29歳の青年は立派です。この人は丸亀の人材です。「どうせムリだよ」というムードを打破して、この若者とともに「シャッターを開ける」一味になりたいと思います。
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2017/4/23

三豊市が「うどんカンパニー」  

22日付四国新聞のコラムに、三豊市のこの取り組みが紹介されていました。
「瀬戸内うどんカンパニー」。民間企業からの出資を募り、今年10月の発足を目指す。地域商社として、ふるさとの観光、商品開発を通じて地域経済を活性化。あの市長の発案なのでしょう。輝いて見えます。
東京都内でそのトップリーダーを募集する説明会を開催。そもそもこういう発想が丸亀市にあるか。トップは全国応募。この説明会にも61名が参加したとのこと。百戦錬磨のツワモノが集ったようです。
私が選挙期間中に発表した「政策ビジョン2017」のなかに、機動的な意思決定を実現するために部局の再編統合と複数副市長制の導入を謳いました。副市長は市長よりも給料が上で、全国から、世界から招けばいいとも書きました。これにも通じるものが、ここ三豊市で息づいているように思いました。
今年は選挙イヤーでしたからNHKの大河ドラマは正月からおつきあいしていませんでしたが、今日、家内が見ているのをさらっと見てしまいました。おんな城主はまだ人生経験の途上、というようす。まちづくりにはしたたかな力量も情報も必要。どういうつながりなのかは初めて見たのでわかりませんが、オトコマエの若者がおんな城主におせっかいな知恵を授けているようです。畑を耕す人手をどうやって集めるのか、という場面は、さながら現今の「人口減少社会に挑む」というところか。ついダブらせて、画面に引き込まれます。
さりげなく、その若者が語ります。「人がいないなら、借りてくればよいではないか」。
まさに三豊市がそれをやっている。これでこそホンキといえるのでは。市長のホンキ度に、市民がホンキで注目しています。
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2017/4/22

オンリーワン≠ヘ逃げ口上?  

昨日の続き。「職場の教養」という冊子より。
4/15付けには「ナンバーワンよりオンリーワン」という歌のセリフが出ていて、しかしそれは、ナンバーワンになれない人の(なろうとしない人の)「消極的な姿勢」であってはならない、と警告しています。歌がヒットしたときにも、そんな議論がありました。曲そのものは素直で、とても前向きなのですが、「オンリーワンでいいや」と、努力を回避する言い訳、美化、逃げ口上、となってないか、戒めたいもの。おっと、そんなきつい言い方は、冊子の中には出てきません。本文の締めくくりは、こうです。
「勝ち負けそのものが目的になるような過剰な競争は避けたいものですが、競い合うことで成長があることを忘れずにいたいものです」
さて、私たちの「選挙」という競争が終わったばかりです。競い合うことで成長があったのかなあ。まさに、それが成長の糧であるような選挙戦が望ましい。本題から離れて、そんな感想を持ちました。
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2017/4/21

苦手意識は練習不足から  

昨日の続き。「職場の教養」の冊子より。
4/14付けにはプレゼンテーション講師の伊藤誠一郎という方の言葉がありました。プレゼンテーションが苦手、という人の最大の原因は「練習不足」だ、との指摘に、共感します。
毎日、演説をしています。公明党の議員はそれぞれに挑戦していますが、原稿が手放せない、という人もいるようです。そういう方に私は「それは勉強と場数」とアドバイスさせてもらっています。偉そうに言ってますが。
原稿は子どもの自転車の補助輪と同じです。手放して転んでケガでもしないと、あれは外せません。
そしてオレはまちがってないと確信が持てるまで、勉強もしています。かくして、プレゼンは場数と勉強です。
議会メンバーも新しくなりました。6月議会でまだ慣れない新人議員さんも登壇されることでしょう。ベテランとして「あんなものか」と言われないようにしたい。答弁側の皆さんにも、この際、質を高めることを意識していただきたいですが、どうでしょう?
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2017/4/20

物差しと定規  

ある会社の朝礼に出席して、頂戴した「職場の教養」というおなじみの冊子。
4/13付けの内容に「同じに見えて同じではない」というタイトルで、物差しと定規の話が出ていました。
定規は線を引くための道具。本来は目盛りがついてない。ついていたら端から間隔を置いてゼロが始まる。なるほど。
一方、物差しは長さを測る道具。そこで目盛りは端から刻まれている。なるほどなるほど。
生活上は、物差しで線を引いたり目盛り付きの三角定規で長さを測ったりもしますが。でも「自分の物差し」とは言っても「自分の定規」とは言わない、と言われると、深く納得します。
自分の物差しと人の物差しが、あまりに違いすぎて、もうしんどい、というようなことも多々。そこから断絶、ケンカ、戦争となるのかも知れません。
どこかで、赤信号を止まるのは結局、信号を守った方が安全かつ合理的であることを経験しているから、という話を聞きました。モノサシというものも、他人のそれを認めることが結局は上手に生きて行くことになる、そのようにも言えましょうか。
議会が賛成、反対でものごとを決めていく。行政も上意下達で進んでいく。そこから一歩脱して、協議しより良い結論を導いていく。そのためにもそれぞれの「物差し」を意識することが求められるということでしょう。「杓子定規」にならないように。
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