2016/12/6

目は節穴  

「問題意識がなければ、目は節穴だということだ」
毎日、鋭い視点で紹介されていく「一言」。朝日新聞「折々のことば」です。
これは12/1付けで載った文化人類学者、川田順造氏の言葉。このコラムを執筆するのは鷲田清一氏。その言葉の中に「目にもなれがある。見えているのに気づかないことがある」と。昨日、お城で演説のあと、散歩者から呼び止められ、桜の老木を教えられ、「目が節穴」とはこのことかと気づかされました。もう朽ちているのかとさえ思われる腰の高さくらいの古木からも、明年咲こうと執念の芽が出ています。これを“処分”するのは、私としては心に沿わない気がする。でも散歩の人は「先を見越してお城の施策を」とおっしゃる。
悩ましいところです。が、問題意識は持たねばならない。行政と地方議会が「節穴」であることは許されません。
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2016/12/5

人権作文コンテストに感動  

12/3付け四国新聞に、全国中学生人権作文コンテストで選ばれた「県優秀5編」が掲載されていました。高松法務局長賞に輝いた太田中学2年、藤村勇斗さんの作品タイトル『パン一つ買えない日本』というのが目を引き、読んでみました。
母は病のために、顔が膨れ上がっている状態。入院先で、優しい勇斗さんはいっしょにパンを買いに行こうとする。そこで、母の顔を見て「キモッ」「やばい」「気の毒〜」と、視線と声にさらされる。一度は母と姿を隠すが、勇気を奮い起こしもう一度店先へ。トレイを震える手で支えながら、パンを買った。母は病室に戻り、そんな息子の姿を、病室の仲間にうれしそうに語る。
体験を見事に生かし、文章にして、読む私にも大きなインパクトを与えてくれました。
私の娘も障害を持ちます。
家族で広島に行った時のこと。原爆資料館では車いすを望んだら玄関前付けさせてくれて、それを飛んでくるように届けてくれました。続けて広島城。もちろんバリアフリーは望めず。悪戦苦闘する姿に「なんだ?」という視線を浴びたことを忘れません。
中学2年の勇斗さんはこの経験から大きな成長を遂げるでしょう。オトナの私はもう成長しないかといえばそうではない。こうした体験をそれぞれが積んで、見る人見られる人の人生それぞれを変えてゆく。変化が「成長」である人の「勝ち」、それが人生ではないでしょうか。
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2016/12/4

旅する投票箱  

NHK「72時間」を2本も見ました。まずハロウィンに沸く六本木の3日間。遊び疲れ、最終が出てシャッターが閉じられた地下鉄の階段に仮装を解いた人たちが集まる。始発の時刻まで待ち、シャッターが開いて地下に飲み込まれる人々。そしてそれと逆流して、「朝からハロウィン。寝てません」と地下から湧き上がってくる人々。またゴミ袋を手に手に、町の清掃作業をする人たち。「ハロウィンは街の掃除で終わりなんです」と、こういう場面もあるのかと感心。まず、私の出歩くことのない、特別な六本木の風情を見させてもらいました。
もう一本は福島、飯館村の村長選挙。村外に住む多くの住民たちに投票してもらうため、投票箱の方から避難所の公民館などに出向いていく。アジアのどこかの国では今でもそうやっていると聞いたことがありますが、日本で今、それが行われていることに、感慨を覚えます。
来年春から、除染も終わってない故郷に帰れというのか、という新人、「一日も早く立て直そう」と訴える現職。開票報道が始まり、1回目には1100票で並ぶという接戦。結局500票あまりの僅差で現職が勝利。この僅差で、村の未来、村の住民の将来が、反対の票を投じた人も含めて、決められていく。
米大統領選挙とは対極にある、この番組でしか取り上げられないであろうささやかな選挙かも知れませんが、重たいことに変わりはありません。
ともかくも、民主主義が行われている。その民主主義を実らせるも危機にさらすのも、有権者の自己責任、重い責任、ということをかみしめます。
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2016/12/3

吉村昭「空襲の記憶」  

中央図書館で借りている文芸春秋の講演収録CD。最初に借りた吉村昭さんのをもう一度借りてきて、ここに紹介します。
結核で悩まされた幼少から青年時代。学校の成績は、戦時、授業もないから学業では判定できず、勤労評定がそのまま学業成績とされた。結核で長期欠席の彼は成績も最下位近く。肺の大手術の痕が胸にあり、また「あいつは死んだ」とまでされてきたのに、戦後、彼がそのすさまじい手術痕とともに学校に現れたときには、皆がびっくりした、「生きていたのか」と。
そんなエピソードも心に強烈に残りましたが、東京が空襲され、橋の上には川を見下ろす人のかたまりができる。そこのくだりが何とも言えず、記憶に沁み込みました。
見下ろすと、死体がたくさん浮いている。もう誰も、死体を見るのに慣れてしまって「ひどい」とか「気の毒だ」とさえ思わなくなっていた。たくさんの死体は流れながら、上に行ったり下ったりしている。そして橋脚のところで、なぜか寄り合うように、筏のようになって集まっている、という情景でした。
日本では戦争が終わった。まだ終わってない、という論調はあるものの、ここに吉村氏が語るような状況を目にした人さえ、わずかとなりました。
が、まさに地上になくなったわけではなく、むしろ戦禍は広がっているように見えます。
テレビや新聞で知るだけ。でもこうした「語り部」の話を、私も私なりに、身に沁み込ませておかねばと思います。関心があれば、中央図書館でどうぞ。
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2016/12/2

「理想語られぬ危うさ」  

トランプ氏勝利の報に世界が驚いた。私も旅先の、商店街のテレビ画面で知り、くぎ付けになった。あの光景を忘れることはないでしょう。
出張から帰り、日を追って報道姿勢が変化していったのが、その出張の3日分の紙面をいっぺんに読んだからことさらよくわかった、ということを以前に書きました。
11/12付け読売新聞。トランプ氏の特集ページ。だいぶ沈静化して、サブ見出しに「理想語られぬ危うさ」と、その静かな分析ぶりが表れているように思いました。
あれからすでに半月。12月に入り、ロシアとの交渉の月を迎え、韓国は大変な騒ぎであり、カストロ氏の死去も伝わり、世界でリーダーが大きく変貌を遂げ、あるいは揺れている、そんな状況が映し出されています。
そこに「理想語られぬ危うさ」という見出しは、ひとりトランプ氏だけに語られることばではないなと、私はそんな印象を受けました。
国レベルだけではない。地方でも、このまちでも、「理想を語る人がいない」、いや、地方自治体のリーダーの口から、「ほほう」と市民が傾聴する、そんなメッセージが語られない。そういう時代相なのではないかと、私は漠然と感じました。
今こそ、ハッタリでもいいから、とは言いませんが、リーダーが「ほほう」と注目を集める発言をしてほしい。その意味では、トランプ氏は理想こそ語らないが現実を、あまりにもすごすぎる話を切り出して、それはたいそううまく、国民の耳目を集めた。株はひとたびは下がったが、翌日から盛り返す。それこそがリーダーとして「計算ずく」の、これからのことはわかりませんが、ひとつの「やりよう」なのではないかと思ったりもします。
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