一昨日、
日本カイロプラクティックアカデミー 学長の角野義則D.C.がご他界されました。(享年57歳)
角野先生は、私がカイロプラクティックを学んだ学院の学長であるだけでなく、私の師匠でもあります。
「俺は120歳まで生きるんや!」といつも言っておられたのに半分の60歳になる前にこんなことになるなんて…知らせを聞いても頭は真っ白、どうリアクションをとれば良いかも判らずに、ただ呆然としていました。
昨日の夜、診療が終わった後に急いでお通夜に駆けつけました。お焼香をすませた後、奥様にどうしてもお礼を一言伝えたかったので、係の人に呼んでいただきました。
奥様にご挨拶をしようと話し始めた瞬間から、今までのいろいろな出来事が急に頭の中を駆けめぐり、涙が止まらなくなってしまいました。
私が初めてカイロプラクティックに出会い、勉強することになったカイロプラクティック学院は、当時(20年くらい前)有資格者(医療関係の国家資格を有する者)しか入ることが出来ない、とても敷居の高い学院でした。
学院の1年目前期は、今まで勉強してきた解剖学と生理学が使える知識になっているかを確認するような内容で進んでいき、確認試験に合格するまでは仮入学という扱いでした。(試験に落ちたら、次年度に再チャレンジ)
解剖学と生理学の勉強と併行して、カイロプラクティック概論などを勉強していったのですが、その中でもバイオメカニックス(生体力学)や各種検査学についての勉強は、鍼灸の学生時代には全く経験したことが無いものばかりで、おもしろくてしかたがありませんでした。
1年目を過ぎるようになったころから、「カイロの勉強はおもしろいし、知識も着実に身に付いてきているけど、普通の治療院に勤務しているだけではカイロプラクティックの臨床経験は全く積むことが出来ないぞ! これは治療家としては致命だ!!」と考えるようになりました。
若気の至りとでも言いましょうか、当時の私は思い立ったらどこにでも…という感じで、当時の支部長に相談、いや直談判に飛び込んで行ったのです。
「支部長、このまま学院で勉強を続けていくら良い成績を残しても、私はいつまでたっても良い治療家になれるとは思えません。臨床の経験が必要だと思うので、先生のところで私を雇ってください。」と自分を押し売りしてしまいました。
支部長はさんざん悩んだ後に、「君は優秀だから、僕の所に来るよりも角野先生の所へ行くほうが君のためになると思うよ。今から連絡して僕からお願いしてあげるよ!」と言ってくださったのでした。
当時の僕にとっては角野先生は雲の上の存在、それに先生の所には一柳先生という大変優秀なスタッフが常勤されていたので「君をスタッフとして雇う事は出来ないけれど、とりあえず見学に来てみたら!」と軽く言ってくださった角野先生の言葉に驚きながらも、「それでは早速明日から見学お願いします」と答えていました。
その日から約2年間、朝は東大阪の病院のリハビリ室で非常勤として働きながら、昼は柔道整復師の学校に通い、夜は角野先生の治療院で見学、土日はカイロ学院という大変忙しい生活が続いたのでしたが、私を飛躍的に成長させてくれて今日の自分の基礎を築いた大切な2年間でもありました。
その間、臨床見学だけでなく、セミナー用の資料の作成や研究活動のお手伝いなど様々な経験を積ませていただきましたが、先生が僕のために時間をとって教えて下さるようなことは1回もありませんでした。
それでも、ひたすら見学を続けているうちに、先生の考え方や治療の進め方、理論展開などが自然と頭に入ってくるようになり、1年目を過ぎたくらいから、「次に先生が何を質問するか」「何処に手を持って行くか」「どのように説明するか」などが先回りしてわかるようになっていました。
また、先生に初めて質問をした時のことですが、先生は無言で立ち去るとデスクの前で本をペラペラめくりだし、「ここをじっくり読んだら解ると思うよ」と手渡してくださいました。
「人を辞書代わりにするような質問の仕方」をしていたんだと大いに反省し、この日以降は自分で調べられるだけ調べてから自分の考えをまとめ、それを先生に聞いてもらうようになりました。
現在の治療に対する姿勢や臨床の場での閃き、勉強の進め方や考え方、あらゆる基礎から応用の仕方までを角野先生の臨床の現場から学ばせていただきました。
今の自分の治療スタイルや技術、知識、考え方はこの時に角野先生に出会っていなかったら、きっと全く別のものになっていたことでしょう。
角野先生が私の前に現れなかったら、今の自分は無かったと思っています。
先生から与えられた様々な知識や経験を忘れることなく、これからも手技療法の治療家としてさらなる上を目指して励んでいきます。
本当にありがとうございました。

ご冥福をお祈りしております。


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