義父の他界後に義母(サチさん)との同居が始まりました。同居当初から悩まされていた不可思議な言動は、恐れていた「アルツハイマー認知症」の症状でした。 試行錯誤をしながら、真正面から向き合って、家族や周りの沢山の方に支えて頂きながら、過ごしてきた日々。 同じ事の繰り返しの毎日が、時には重くのしかかり、時には絶望的になり、それでも、その日その日を家族の為に明るく生きたいと一歩一歩積み重ねてきました。 どんなことがあっても、積み重ねてきた時だけは私を裏切らず、 時には激しく、時には優しく、流れてきた時は、9年と8か月が過ぎました。 在宅介護を経て、2010.7.1から、ショートステイで慣れた施設に入所しましたが、2011.8.17に肺炎の為、緊急入院し、9.3永眠致しました。 何気ない毎日が大切な事を教えてくれたサチさん。 たくさんのかけがえのない言葉を残してくれたサチさん。 支えられていたのは、私の方でした。 このブログが同じように介護で悩む方々の一助になればとしばらくこのサイトをこのままにさせて頂きます。(2011.9.8) 

2011/10/16

天国でも笑顔で  別れのとき

2011年10月16日(日)晴れ(真夏日)

いったん、こちらのブログを終了させて頂いたにも関わらず、
まだ、時々、サチさんを恋しく思って、こちらに出向いてみれば、ちらほらとまだ、
ご訪問して下さっている方々がいらっしゃり、嬉しく思っていました。
そして、励みでもありました。

そんな中、本日、サチさんの四十九日の法要を無事に済ませて、
先に眠っていた義父の下へと、納骨されました。
この記事を書く場所は、やっぱり、ここだと思い、
いったん、閉めたこの場所に再び登場してしまいました。


昨日の強風と雨が嘘のように、また、朝雨模様でしたが、
サチさんを抱きかかえて、家族みんなで車の乗ると、
秋晴れを通り越し、真夏日のような暑い、そして、晴天に恵まれました。

やっぱり、サチさんは、晴れ女でした。
この世に別れを告げても尚、集うみんなの為に、お天気のお願いをしていてくれたのでしょうか?そんな風に思わせてくれるほどの晴天でした。


近隣に住む親族の多いサチさん、
兄弟、子、孫と内々での法要でしたが、総勢27人の参列を頂きました。

papaさんが常連である和食店の板前さんは、腕によりをかけて作って下さった心づくしのお料理に舌鼓を打ち、サチさんとの思い出に浸りました。


でも、なぜか、『サチさんがもうここには居ない』という気がまだしないのです。
時間が止まってしまったかのように。
でも、止め処なく流していた涙は、もう、落ち着いているのも事実です。

そして、今、私はとっても、心穏やかにここに居ることが出来ます。
残された遺族をこんなにも心穏やかに居させてくれる人の最期というものを
尊敬の気持ちを込めて、振り返っていました。

「もう、何も心配することは無い。」
「もう、何も思い残すことは無い。」


という、サチさんの境地に到達できるように、日々、邁進して行きたいと思います。
丸一月、サチさんの思い出に浸り、ずっと、佇んで気力を失っていた私ですが、
まずは重い腰を起こし、心の大整理の為に、片づけをして行きたいと思っています。

私の人生のターニングポイント、

「そろそろ、頑張りなさい!」

というサチさんの声が聞こえて来そうです。

サチさんの居なくなったお部屋は、遺影とお位牌、まだ、咲き続けているお花やお供物で、
賑わっているので、きっと、サチさんがここに居ない気がしないのでしょうね。

本当の寂しさは、これから、事あるごとに
感じるのかもしれません。


でも、私は今、やっと、前に進めそうです。

生きている限り、生きて甲斐ある人生を過ごして行きたいです。
何気ない日々の小さな幸せを感じながら。
何が起こっても、諦めない気持ちを保ちながら。


もうすぐ、
サチさんが三途の川を渡る時、
きっと、ニコニコ笑顔でいるような
そんな気がしています。

だから、私も穏やかで居られるのかもしれません。

「私がそこに行くまで、その来世の場所を快適な居場所にしていて下さいね。」
と心でそっとつぶやきます。
そう思うと、いつか誰にでもやって来るその日の来るのを
なんだか、楽しみにできるようになりました。

そう、怖くは無くなりました。

サチさん、
私に残された日々を精一杯過ごしますよ。

ずっと、見守って居て下さいね。


最後まで、私のつたないブログをご覧下さり、応援、励まし、見守りを
頂きまして、本当に本当にありがとうございました。
名残惜しいですが、私もこれでやっと、ここから卒業できます。

皆様のご健康を心よりお祈りし、
永遠の眠りについたサチさんへ
最後の記事を捧げます。

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別サイトで、ブログを続けて行きます。
宜しかったら、引き続き、こちら↓のブログでもお付き合い頂けたら嬉しいです。
・「今日も笑顔で」http://blogs.yahoo.co.jp/himawari6025
(主に両親の介護の事。その他。)
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(主に、自分の事。時々家族の事。)
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タグ: 介護 入院 別れ

2011/9/20

ここから・・・  別れのとき


サチさんへ

何度名前を読んでも
あなたはもう
ここには居ないのですね。

思えば、介護ブログを開設したころ、
私は、日々のあなたへの対応に苦慮していたころでした。
日々の出来事を記事にして行くことで、私は心を落ち着かせて、
また、次の日へと向かっていたのでした。

『サチさん』・・・
この名前は架空のものでしたが、私にはとても思い入れのある
愛おしいものとなりました。

ふと、気づくと、
まだ、「hiroさん」と言われそうで、
あなたの居た部屋に人の気配を感じています。

あんなに帰りたかったこの家のあなたの一室へと戻ってきた日。
あなたは、とっても嬉しそうな表情になって居ました。
亡くなった人の顔の表情も日に日に変わって行くのだということを知りました。

納棺の日は、うっすらと目が開いていて、
まるで、私達の事を見ているかのように見えたのは
勘違いでは無かったのですよね。
きっと、あなたが最後の力を振り絞って、
家族や親族の顔を見つめていたのではないかと
勝手にそう思っているんです。


あなたは、あらゆる所や、あらゆる物に、
たくさんの思い出を残して行ってくれました。

毎週通っている治療院。
その駅に立ち寄ると思いだします。
あなたの施設のある駅へと向かう電車に乗り換えたことを。
今でも、自然に足が向かってしまうことがあります。


海を見ると思い出します。
あなたの施設へと向かう海岸線の綺麗な景色のことを。
最後の一年間、きっと、あなたが私にくれた景色だったのでしょうか?


あなたの好物だったものを見ると思い出します。
毎週買い物をして届けていたことを。
美味しそうに食べるその笑顔を。

みかん
煮豆
錦松梅
佃煮
べったら漬け
海苔の佃煮
イチゴジャム
たくさんのお菓子


あなたとのたくさんの思い出の中に、
今私は埋もれていることを感じます。


「学習療法」
最後まで、本当に良く頑張りましたね。
電話の交換手の経験のあるあなたの声は、中々の物でしたよ。
最後まで、きちんと声を出して音読することが出来ましたよね。
算数の計算問題も、最後までスピードが衰えなかったのは凄いことです。


「ぬりえ」
あなたの塗ったたくさんの塗り絵を見ては、あの頑張った日々の事を
懐かしく思い出し、丁寧な一本一本の色鉛筆の跡が、
まるで、あなたの息吹の様に感じられます。

「百人一首」
大好きでしたね。最初は、本物の百人一首のカードを取るところから始まって、
その後、一冊の教材を買ってきて、声に出して読んだり、
筆ペンで書いたり、鉛筆で書いたりと
二人で楽しみましたよね。


いつしか、
あなたの頑張りが、
日々の私の励みとなって、
共に過ごして居る時間がこの上の無い幸せな時間となって行きました。


それなのに、私は、あなたの手を離してしまったんですよね。
入所後、たった一年で、こんな日が来るなんて、思いもよりませんでした。
最後まで家に居させてあげたら良かったのにという後悔の念は尽きません。


最後のその瞬間まで、
人を思い、人を愛し、すべての人に感謝を忘れなかったあなたの生き様は、
これからの私の人生のお手本です。

いつか、私も、誰かのお姑さんになる日がやってくるのだとしたら、
その時は、あなたが私に注いでくれたその愛のように
温かな愛で、大切なお嫁さんを守ってあげたいと思っていますよ。

あなたの姿が見えなくなって、私は、大きな大きなあなたの傘に守られていたことを
感じています。
いろいろ不出来な事もたくさんあったのに、あなたはそれに目をつぶり、
私にくれたあの一言で、あらゆる事から私の事を守ってくれましたね。

言葉になりません。


長い間、本当にありがとうございました。


サチさん、
戒名に、名前の一字『幸』を頂いて、あちらの世でも人に愛され、幸せな日々を過ごすことでしょう。


あなたが一番会いたかった戦死された前夫様にはもう、会えましたか?
やきもちを焼かれたらいけないから、後夫様にも声をかけてあげて下さいね。


もう、姿の見えないあなたを
私は、きっと、しばらくは追い求めてしまうのでしょう。

それも良いですよね?


最後は少々苦しい日もありましたが、
あなたが眠る様に息を引き取ったことがせめてもの救いです。

もう、苦しくは無いですか?

サチさん

ゆっくりと安らかにお休みください。



そして、私は、新たな日々へと一歩一歩踏み出します。

今、ここから・・・



長い間、
サチさんと私達家族の日々を見守り、励まして下さった皆様、最後まで、ご覧下さり、
本当にありがとうございました。
サチさんとの別れの際に、私がこんな気持ちになれたのは、皆様のお蔭です。
苦しい時も、悲しい時も、凹んだ時も、嬉しい時も、
いつも、そばで見守って下さった皆様のお蔭です。

最後になりましたが、
サチさんがお世話になったデイケア施設の皆様、ショートと入所でお世話になった施設の皆様、クマ先生、歯科医のU先生、二人のケアマネさん、そして、「学習療法」のセンターのKさん、
私達家族を最後まで、見守り、支えて下さって本当にありがとうございました。


この記事を最後に、「サチさんと過ごす日々」を綴ったブログは幕を閉じさせていただきます。
記事更新は今後ありませんが、「あなたのそばに」のブログはしばらく、ここに
置かせて頂きますことお許し下さいね。

別サイトで、ブログを続けて行きます。
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タグ: 介護 入院 別れ

2011/9/12

最後のプレゼント  別れのとき

2011年9月12日(月)


ふと振り返ると
サチさんが必死でベッドの上で生き続けてくれた17日間は、
私達への最後のプレゼントだったような気がします。

入院した当初から、いつどうなってもおかしくない状態と言われていたのですから。


サチさんが倒れたのは、
私達が、
半年かけて計画をしてきた東北旅行
を終えた直後でした。
サチさんが倒れて入院した後だったら、この旅行は泡となって消えていたでしょう。

サチさんが入院してから、
子供たちは、それぞれに旅行の計画がありました。
子供たちはそれぞれに覚悟をしての旅となりました。

長男の友との旅行 も出来ました。

娘のサークルの合宿 も出来ました。(最後の一日を残す前日にサチさんは他界。葬儀の段取りは娘の帰宅後に執り行われました。)


サチさんの葬儀一切が滞りなく終わって、子供たちのそれぞれの再びの旅行計画が実行できました。

次男の友との旅行 も出来ました。

娘の友との旅行 も出来ました。

この先の予定に
両親の弟である叔父夫婦が、弱った父を心配して出向いてくれること
になって居ます。これも、当初の計画通りに出来そうです。


家族全員のそれぞれの予定をキャンセルすることなく、
その合間を縫って、サチさんの葬儀が終わったのでした。

家に皆が居られる時に、
サチさんは、その命のピリオドを打ったのでした。
そして、ずっと、飲まず食わずの点滴だけの17日間も、
最後の最後に家族に迷惑をかけまいと、
選んだのではないかとすら思えます。

私は、サチさんの入院=食介&オムツ交換・・・・そうしてあげるつもりだったのに・・・。


どんなに苦しい痰吸入でも、処置が終わると、「ありがとう」を忘れなかったサチさんでした。
最後まで、人を気遣う優しさで溢れていました。
見事な最後だと思いました。


自己呼吸をすることが、本当に大変だったと思うのに、
マスクの中から聞こえた来た声は、
「大丈夫。」と。

そして、思います。


人の一呼吸が
これ程に重みのある
これ程に価値のある
ものであったのだということを。


人は、最後の一呼吸まで、生きている意味があるのだということを。


気が付かないで、何気なく、している私達の呼吸。
これは、素晴らしい生きている証なのだということを。


サチさんの頑張りぬいた17日間は、
かけがえのない日々でした。


90歳と一か月、
大切に生きぬいたサチさんの人生を
私達は忘れない様に
日々大切に過ごして行きたいと思います。
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2011/9/9

ありがとうございます  別れのとき

2011年9月9日(金)

クウスケさん、よつばさん、ババママさん、Yuito manatoさん、
うさぎさん、リリーさん、翡翠さん、sayoさん、とらちゃんさん、Tomoさん、
ここに名前をあげなかった方々も(もしも、抜けていたらごめんなさい。おっしゃって下さいね。でも、コメントはしっかり拝見しておりました。)

心温まるコメントを頂き、ありがとうございました。

つたない私の記事を、いつもしっかり読んで下さり、時には、一緒に悩み、考え、アドバイスを下さったり、たくさんの励ましを頂いたり、
10年の介護の日々の中で、ここは、私のほっとできる場所でした。

心の中の思いを言葉に出来た事、
私の安定剤となっていました。

皆様のブログへとお邪魔しては、楽しませて頂き、考えさせられたり、
お一人お一人の人生が、なぜか、身近な人に思えて、
いつしか、長年の友の様に思いも強くなっていきました。
まだ見ぬ皆様の顔が、自分の想像の中で見えるように。

サチさんに介護生活で学んだこと、

「今を大切に生きる」ということ。

今しかないこの一瞬を大事にしたいと思えるようになりました。
それは、自分も含めて、家族みんなの今も・・・です。

自分が心身ともに元気で居ないと、人の為に何かお役に立つことなんてできないのだということも身に染みて感じてきたことでした。


介護で疲れた心は、
一瞬、絶ち切って、リセットしなければ、続かない事も思い知らされました。

皆様お一人お一人のご経験も、自分の中の疑似体験となって、
生かされていたように思います。

まとまりのないコメント返しとなってしまいましたが、
お一人お一人の思いをしっかりと頂きました。

それは、これからの私の心の支えとなって行くことでしょう。

そろそろ、ここから、離れなければならないのですが、
離れられずにいる私が居ります。

四十九日の法要が済んだら、ここは、このままにして、
私もここから、卒業しようかと考えています。
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2011/9/9

弔問  別れのとき

2011年9月9日(金)


遠く青森のpapaさんの友人が、こちらに用事で出てきたついでに、足を延ばし、
立ち寄ってくださいました。

この夏、お世話になった方で、papaさんの旧友です。

サチさんの祭壇に手を合わせて下さり、サチさんへのお線香も頂きました。

大変なスケジュールの中、わざわざ、足を延ばして下さったこと、
サチさんはあちらの世界で、喜んで居てくれると思います。

今日は、お稽古の日でしたが、
そちらは、お休みし、のんびり過ごしておりました。

娘の成人式の準備ももう少し。
今日は、髪飾りがたくさん入ってきたと伺い、一緒に行ってきました。

今は、しばし、立ち止まり、思い出に浸ってみたいと思っていましたが、
私には、ちゃんと、次のステージが準備されているようです。

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