ここ牛久沼が「
うな丼発祥の地」と言われています。
ここの水戸街道は、うな丼街道とも呼ばれるほど、うな丼屋か並んでいる。
確か1800円だと思う、うな丼で〜す。
その昔、牛久の町に陸前浜街道が通り、宿場には旅篭や茶店が並び、人々の往来で賑わっていた頃のお話です。
当時の牛久沼は、水を満々と湛え、それわそれわ綺麗な風景でした。この沼には、昔から河童が住んでいました。
河童達は、畑のキュウリを食べたり、魚採りの網を切ってしまったりなど悪さをしました。また、村人たちが沼で水浴びをしていると、尻子玉を取られ、溺れ死ぬ者もあったといいます。そして、その悪さは、日増しに増える一方でした。
そこで困った村人たちは,寄り合いをし、河童を退治することになりました。触れを回し、村一番の泳ぎの達者で屈強な者に頼む事にしました。
そして、何人もの中から、百姓の「彦衛門さん」が選ばれました。
彦衛門さんは、来る日も来る日も沼を泳ぎまわり、ついに数日後、沼の深みに爪の長い甲羅の黒い大きな河童を見つけました。
「とうとう見つけたぞ」
「ブレケケ ケケス」
「かんねんしろ」
「キー キー」
大変な格闘の末、河童を陸に引きあげることが出来ました。河童は、村中を引き廻され、ついに沼辺の大きな松の木に後手に縛られ、三日三晩晒し者にされました。暑い夏の日であったので、河童の皿の水はみるみる干し上がっていきます。日増しに元気のなくなった河童はついに四日目の朝、村人に泣きながら詫びるのでした。
「これからは、いっさい悪さはしません。どうぞ勘弁して下さい」
「そして今までの罪滅ぼしにお百姓さんのお役に立ちたいと思います」
あまりにも可愛そうになった村人たちは、因果を含めて河童を牛久沼に放してやることにしました。以来、畑のキュウリも荒らされる事もなく、また、沼で水浴びをしても溺れる人もなくなりました。そればかりか、沼の周りの浮田では、葦が刈られ、水草が積上げられているのです。お百姓さんたちは、大変喜び、口々に言うのでした。
「あの河童が約束を守ってくれたんだ」
この様に優しい心に返った河童に村人たちは、お礼として旧暦十二月一日には餅をつき小さく丸めて牛久沼や川に投げ込み、水の安全を祈るようになりました。あの時の松は、村人から河童松と呼ばれ、親しまれるようになりました。終わり HPより拝借文

茨城県牛久市 19.06.24