2017/1/12

東京ジャーミィ・トルコ文化センター訪問  日々のよしなしごと

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 もうとっくに松の内も過ぎてしまいましたが、遅まきながら…

 明けましておめでとうございます 
(どれだけの方々がこのブログを読んで下さっているのか分かりませんが) 
 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます

 
 年末年始の忙しさ(←家族が休みの時ほど主婦は忙しいものです)からの疲れもあって、私は年末にひいた風邪を今もズルズルと引き摺っている状態で、日々の予定をこなすのに精一杯と言ったところです。

 身体の芯に力が入らない状態で、ちょっと予定が立て込むと寝込んでいます(どんだけ弱っちぃーんだよー)

 そんな私ですが、今日は昨年から受講している市民講座の一環で、東京の代々木上原にある東京ジャーミィ・トルコ文化センターを他の受講生の方々と共に訪ねました。

 西暦2000年に竣工したと言うオスマントルコ様式の壮麗なモスクの美しさに圧倒されました。新しい分、本国トルコで見たどのモスクよりも内部の装飾が色鮮やかでした。

 都心にこのようなモスクが堂々と建っているなんて、しかも初代のモスクは1938年に建てられたという話に、日本はつくづく(基本的に)宗教や異文化に寛容な国だなあと思いました。

 2時間近くモスク内を案内いただいた日本人教徒のお話が大変興味深く印象に残ったと共に、多数の写真を撮影したので、体力が回復次第改めて今日の見学レポートをこちらにアップしようと思います。

 近年はISの問題もあって、イスラム教については懐疑的な人も多いかもしれませんが、こと私にとって今回の訪問は、キリスト教の22億人に次いで16億人もの信徒を抱えると言うイスラム教について(←つまり、イスラム教の何が、これだけ多くの人々を信仰に向かわせるのか?おそらく、近年の信徒の増加率はキリスト教を上回っているでしょう)、改めて知る機会が与えられたと言えるでしょうか。

当ブログ内関連記事:トルコ共和国についての概要
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2016/12/27

市民講座「異文化交流」その2  文化・芸術(展覧会&講演会)

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 8日(木)から始まった地元自治体主催の市民講座「異文化交流」の第2回を、15日(木)に受講しました。折しもこの日は、ロシアのプーチン大統領来日の日でもありました。

 今回のテーマはロシア共和国で、日本人男性と結婚後来日して10年の白系ロシア人女性によるスライドを使った講義と、同じく日本人との結婚を機に来日して3年の白系ロシア人女性によるロシアの民俗楽器バラライカ生演奏の2本立てでした。

 最初のスライドトークでロシアの人々の日常の暮らしをご紹介くださった講師の女性は、ロシアの伝統的な刺繍が施された綿地の民族衣装を身に纏ったナタリアさん。小学4年生を頭に3人のお子さんを持つ母親で、地元の国際交流センターで講師も務めておられる方です。人柄の良さが窺える優しい顔立ちと静かで丁寧な語り口が印象的。日本で3人の子育てをされて来ただけあって、達者な日本語でのトークでした。

 ロシアでも比較的南のシベリア南東部に位置し、「世界一透明度の高い」ことで知られ、1997年には「世界(自然)遺産」にも登録された神秘の湖、バイカル湖畔にある町で生まれ育ったナタリアさん。1時間近くに渡ってロシアの風土や人々の暮らしについて、豊富な写真を交えながら楽しいクイズ形式で紹介してくださいました。

 まずロシアの国土面は17,125,187㎢(日本の45倍!)、人口は1億4,600万人(日本:1億2,700万人)ですから、ロシアの国土がいかに広大で、人口密度が低いかが分かるかと思います。

 ロシアは182の民族から成る多民族国家で、人口の約80%は白ロシア系なんだそうです。確かにオリンピックでは白人からアジア系まで多彩な人種がロシア代表として顔を見せています。

 旅行記や映画でも有名な、極東のウラジオストックから首都モスクワまでを結ぶシベリア鉄道は、ウラジオストックーモスクワ間を時速80kmと比較的のんびりとした速度で走行し、始発から終点までの移動に1週間を要するそうです。時速80kmなら、車窓の景色を楽しめそうですね。

 私もかつて長崎−横浜間やトルコのアンカラーイスタンブール間を列車で移動したことがありますが、何れも夜行列車で一晩限りだったので殆ど車窓の景色を楽しむことは出来ませんでした。車窓の景色の移り変わりを楽しむことができるとは言え、7日間かけての列車の旅なんて想像もつかないですね。

 さて、話題はナタリアさんの故郷にあるバイカル湖へと移ります。バイカル湖は世界屈指の生物多様性を誇るそうで、約355属1,334種が生息し、内1,017種が固有種なんだとか。

 近隣には私も小中学生時代の「地理」の時間に学んだ森林地帯「タイガ」が控えており、その総面積は世界の森の20%にも及ぶそうです。このためタイガは「世界の肺」と呼ばれているのだとか。もう片方の肺はアマゾンでしょうか?

 近年は森林火災により、この貴重なタイガの内、日本の面積の30%に相当する面積が1年間で焼失し温室効果ガスの発生源になっているだけでなく、海外への木材の輸出を意図した森林伐採でも、その減少が危ぶまれているとのことです。

 ところで、バイカル湖は3つの世界一を持っていることをご存じでしょうか?実は世界一は「透明度」だけではなかったのです。

 「世界最古」の湖で、元は海溝であったものが地殻変動等で約3,000万年前に海から独立し、徐々に淡水化したのだとか。

 そして「世界一深い」湖でもあり、その深さは1,647mにも達するそうです。

 周知の通り、ロシアは冬の寒さが相当厳しく、ロシアの人々には周到な冬支度が欠かせないのだそうです。厳冬に備える為、特に衣服では動物の毛皮・皮革を多用するのが伝統的なので、被服費が大きな出費となるらしい。そんなロシア人のナタリアさんが来日して驚いたことのひとつが、1種類の靴で1年の殆どを過ごせることなんだとか。

 草木も凍る冬季でも子ども達は皆元気で、屋外でスキーやスケート、さらに各町に氷で作られた冬季限定遊園地で遊ぶのだとか。

 また、ロシアでは多く家族が町から離れた山裾に「ダーチャ」と呼ばれる菜園付きのセカンドハウスを所有しており、そこで春期から秋季にかけて収穫した野菜や果物や木の実を保存食として加工し、地下のカーブに貯蔵して冬に備えるのだそうです。

 因みにロシアの主食はパンとジャガイモで、ロシア伝統の料理や食材であるボルシチピロシキ、カテージチーズやサワークリームは日本でも既にお馴染みですね。

  ロシア独特の祝日としては、2月23日にメンズデー、翌3月8日にウーマンズデーと、日本のバレンタインデーやホワイトデー(そもそもどちらも海外から伝来の記念日ですが…)に相当するものがあるようです。

 また、イースターの9日後は「両親の日」と定められ、この日は家族総出で墓に出向き、そこで食事するのだそうです。ちょうど同時期に隣国の中国や中国から伝来した習慣を持つ沖縄でも「清明祭」と呼ばれる行事で同様のことをするので、何だかんだ言っても地続きなロシアと中国は、「死者を尊び、家族の絆を重んじる」と言う意味では同じ文化圏なのだなと言う印象を持ちました。

 最後に、ロシアの文化で日本とは大きく異なる興味深い事柄は以下の3つでしょうか?

 1.ロシアでは結婚する際、カップルは「ザックス」と呼ばれる戸籍登録機関に正装で出向き結婚の申請をしても、その後1カ月間は仮登録期間とみなされ、互いを十分に吟味する時間に充てられる。

 そして1カ月後、互いの関係に納得した上で再びザックスに出向き、申請書にサインをして初めて正式に結婚が認められるのだそうです。

 それでも、統計によれば結婚したカップルの実に8割が離婚してしまうロシア(離婚率の高さは世界一)。平均寿命の短さ、学生結婚の多さ、アルコール依存の問題、大家族制度等、ロシアならではの事情がありそうですね。

 2.ロシア人は知らない他人にはけっして笑顔を見せない
 それを聞くや否や、会場にいた人の何人かが「道理で、ロシアに旅行で行った時、店員さんが一様に不愛想だったのね」と納得していました。

 多民族国家ゆえなのか、ナタリアさん曰く、人々は他人を基本的に信用せず、互いに自己主張して譲らないせいでケンカになるケースも多いのだそうです。だから来日10年を超えたナタリアさんは故国から日本に戻って来た時に、日本の穏やかな雰囲気に思わずホッとするのだとか。

 3.ロシア語で「こんにちは」に相当する挨拶は「ズドラーストヴィチェ」と言い、これは「健康でいて下さい」と言う意味。

 世界で日本語の「こんにちは」に相当する言葉はさまざま存在しますが、意味としては大きく3種類に分類されるようです。

 1.「あなたにとって今日と言う日が良い1日でありますように」(英・伊・仏・西・韓、ヘブライ、アラビア等)
 2・「よく食べましたか?」(中国語)
 3.「あなたが健康でありますように」(ロシア語)

 それぞれの言葉の背景に、それぞれの国の歴史や文化や価値観を感じますね。日本語の「こんにちは」は「今日はご機嫌いかがですか?」が語源とされ、相手の気分や体調を気遣う表現から、1〜3の何れの意味も含んでいるような気がします。

 講座最後の3グループに分かれての参加者間の意見交換では、「他人に笑顔を見せない」と言うロシア人の文化的特性が、「性善説」に基づく人間関係が構築された社会に住む島国の日本人には衝撃的だったようで、皆さん一様に「驚いた」と言っておられました。

クリックすると元のサイズで表示します 左写真がロシアの民俗楽器バラライカ。デュオグループ、パフィの「アジアの純真」(井上陽水作詞、奥田民生作曲)の歌詞にも登場するバラライカ。印象的なフレーズで、初めて聴いてから20年以上経た今もその名はしっかりと記憶されていましたが、実物を見るのは今回が初めてでした。

 講座の途中と最後の2回に分けて披露された、もうひとりのナタリアさんによるバラライカの生演奏も、私は生まれて初めて聴くもので、貴重な体験となりました。

 演奏者のナタリアさんは1歳になったばかりのお嬢さんを連れての来場。まだ20代前半と言われても違和感のない、一児の母とは思えない比較的小柄で可憐な女性でした。本国では音楽教師をされていたそうで、バラライカは8歳の頃から演奏を始めたのだとか。

 初めて聴くバラライカの旋律は優しくも、どこか哀しげでした。女性のたおやかな歌声のようでもありました。受講者のひとりで元学校教師の年配女性曰く「かつては学校の音楽の授業で数多くのロシア民謡が紹介された」おかげか、演奏されたどの曲も聞き覚えのあるメロディーでした。

 また、70代以上の年配層の方々は所謂「歌声喫茶」世代で、若き日に夜な夜な都心の歌声喫茶に集っては、ダークダックスを代表とするヴォーカル・グループが世に広めたロシア民謡を全員で唱和した思い出がおありのようで、皆さん、懐かしそうに歌を口ずさんでおられました。


 講座の冒頭でファシリテーターの「ロシアに対する皆さんの印象は?」の質問に、ある年配男性が「北方領土問題があるから、あまり良い印象はないな」と答えておられました。この男性、社会の一線から退いて何十年も経ち、もう何も怖いものなしなんだろうなあ…にしても、こうした場では普通なら躊躇われる発言。間髪を入れずファシリテーターから「この講座では政治的な話題は…」のダメだし?も出た中(後で「人にはさまざまな考えがあって当然」と訂正)、その後の講師のナタリアさんの返答が立派でした。

 慎重に言葉を選びながらナタリアさんはこう言われました。

 「ふたつの国にはさまざまなネガティブな話題があります。私も講師を引き受けるに当たってそのことで悩みましたが、夫には(あまりネガティブなことには拘らずに)未来志向でポジティブな話をすれば良いんじゃない?と言われました。」

 「先の戦争であった悲しい出来事については、ロシア人のひとりとして謝ります。」


 草の根での、個人レベルでの交流の大切さをしみじみと感じた瞬間でした。

 国家間ではいろいろと難しい問題が横たわっているとしても、個々の人間に「違いに理解し合おう」と言う前向きな思いがある限り、相互理解は可能だと思います。出来ることなら、争いのない平和な世界を築きたいですね。 
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2016/12/13

今日の昼食♪  携帯電話から投稿

今日も午前中は美術館だったので、帰りに駅の蕎麦屋で、久しぶりに「鴨南蛮そば」を食べました。

混雑時だったので、若干蕎麦はのびぎみかなとは思いましたが、柚子胡椒の辛味がピリッと効いて、なかなか美味しかったです。

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2016/12/12

今日のニュースで一番驚いたこと  気になったニュース

 夕方のニュースで、全世界のカジノの年間総売り上げが13兆円であるのに対し、日本はパチンコと競馬だけで年間29兆円もの売り上げがあると言う事実を知ったこと

 29兆円と言う金額は、日本の国家予算の約3割に相当する莫大な金額である。

参考サイト日本の”ギャンブル型レジャー”の市場分析(一般社団法人中央調査社サイトより)

 ニュースキャスターも言っていたけれど、日本は現時点で十分ギャンブル大国である。しかも、ギャンブル依存症の人は国内で推計500万人にも及ぶとされ、他国に比べてその治療が遅れているのだとか。

 カジノ推進派議員の中にはカジノの売り上げの一部を、ギャンブル依存症の治療費に充てると主張する人もいるらしい。

 どれだけ人を馬鹿にしているの?

 29兆円もの売り上げがありながら、依存症治療に力を入れていない時点で、金づるである依存症患者の治療なんて端から考えていないのがバレバレ

 宝くじの購買者への還元率も他国に比べて著しく低い(つまり胴元の銀行や地方公共団体の懐に入る割合が高い)と聞くし、この国は庶民から(宝くじも高所得者層は「割に合わない」のを理由に買わないらしい)どれだけなけなしの金を絞り取ろうとしているのだろうね?

 国民も自分の身は自分で守る覚悟で、
 自らを律して、
 もっと賢くなって、
 危ういものには最初から近寄らないように
 しないと駄目だよ!

 しっかりしないと、悪魔の思う壺だよ!
 


 政府は、この国を一体どのような国にして行こうと考えているのだろう?

 少子高齢化は何十年も前から予見されていたのに、何の対策も講じずに、事ここに至って右往左往している。

 やること為すことすべてが行き当たりばったりのように見えて、50年先、100年先のヴィジョンを示すことの出来る政治家が一人もいないのが本当に残念だし、この国の将来が心配だ。

 国民も政府に対して、少しは怒った方が良いと思うよ
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2016/12/11

「ありがとう」の語源  今日の言の葉

 さまざまなところで既に指摘されていることですが、私達は感謝する場面でつい「すみません」を口にしてしまうところがあります。

 おそらく、「見ず知らずの方にお手間をとらせて申し訳ない」と言う思いもあっての「すみません」なのかもしれませんが、別にその人が悪いことをしたわけでもなく、こちらも大した迷惑を被ってもいないのに、その人に謝られるのも変だと違和感を覚えなくもない。

 さらに「人と人の関わりは偶然ではなく"縁"あってのこと」だとする「袖触り合うも多(他)生の縁」と言う言葉もあることから、その前提で私はできるだけ「ありがとうございます」と言うよう心掛けています。

 さて、そもそも「ありがとう」とは、どういった経緯で生まれた言葉なのかと常々疑問にも感じていたのですが、偶然最近読んだ本の中で紹介されていたので、以下に引用します。

 「ありがとう」の語源は…

 「『有り難し』。つまり、あることが難しく、めったにないこと、非情に稀なこと。」で、出典は「『法句経』のなかの『人の生を享(う)くるは難く、やがて死すべきもの。今いのちあるは有り難し』と言う一節です。

 意味は『私たちは、数えきれない偶然と無数の祖先の計らいによって生まれたのだから、命の尊さに感謝して精一杯生きなければならない』というものです。

 要は、当たり前のことを当たり前と思わず、有り難いことだから感謝しようというのが『ありがとう』の真意です。そう考えると、『ありがとう』が、実に哲学的で奥深い言葉だということがわかります。

 きれいな日本語がたくさんありますが、その言葉を聞いただけで心が温かくなり、優しい気持ちになれる言葉の代表は『ありがとう』ではないでしょうか。」
 
 保坂隆『精神科医が教える 50歳からのお金がなくても平気な老後術』(大和文庫、2016、191-192p)


 確かに「ありがとう」は含蓄に富んだ素晴らしい言葉で、人と人の間で潤滑油的な役割を果たす重要な言葉ですね。

 必要な場面では惜しみなく使おうと、上記の一節を読んで改めて思いました。
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2016/12/10

物語の力〜「湯を沸かすほどの熱い愛」  映画(今年公開の映画を中心に)

 「母親の愛」について描いた物語だと思った。

 子どもは基本的に「お母さん」が大好きだ。その母親の愛が子どもに、「自分はこの世に存在して良いのだと言う自信(自尊心)」「何があろうと前に進む勇気」を与えてくれるのだと思う。

 逆にこのことは、母親の愛に恵まれない子どもの苦しみをも言い当てている。たとえ母親に捨てられようと、子どもは母を愛し続け、求め続けるものなのかもしれない。


 今、世の中で世代を問わずに人々を悩ませているのは「弱い者いじめ」である。

 この作品でも、「スクール・カースト」と言うおぞましい実体のない階級制度で「最下層」と位置付けられたヒロインの娘は、クラスメイトから執拗な「いじめ」を受けている。

 それにしても、クラスメイトがいじめに遭って困っているのに、誰ひとり助ける者もなく、クラス全員でその状況を笑うとはどういうことなのだろう?私には理解できない。

 そこで宮沢りえ演じるヒロイン双葉は、心を鬼にして娘に言うのだ。「逃げるな」と。

 気弱な娘は「私はお母さんとは違うの」と反駁するが、それに対して母は「違わない。私もあなたと同じ。」と言い返す。

 いつかは巣立つ娘が、親がいなくとも自らの力で生きて行けるように、母は「いじめ」に正面から向き合うよう、娘の背中を押す。そして、娘は母の言葉に勇気づけられて、「いじめ」に立ち向かうのだ。弱い自分と決別しようと頑張るのだ。

 双葉の溢れんばかりの愛は娘だけでなく、彼女に関わるすべての人へと注がれ、関わった人々を勇気づける。それは紛れもなく大きなお母ちゃんの愛だ。その大きな愛で哀しみの連鎖を断つ双葉の生き様は人として立派だ。一方で、カッコつけずに怒りを曝け出すところも正直で愛らしい。

 ひとつ難点を挙げるならば、小学生の女の子の台詞に"らしからぬ言葉遣い"があったこと。老人と同居でもしない限り小学生が知らないであろう言い回しで違和感があった。設定が「元は水商売に従事する若い母親と二人暮らしの娘」であったから、その小学生の娘がどこでそんな大人びた言い回しを覚えたのか、と言う疑問が残った。


 ところで、ヒロイン双葉の娘への荒療治とも思える「いじめ」への対抗策は、私には思いもつかないものだった。作家独自の視点で私の凝り固まった観念がぶち壊されるのは、自分の目が見開かされる喜びであり、小説を読むことの醍醐味のひとつである。その小説を映像化した映画も同様である(本作は監督自ら脚本を手がけ、それを自らノベライズした本があるようだ)

  
 意外性のある展開の連続で、私は驚き、戸惑い、ほろりとした。これこそが「物語の力」なのかなと思った。
 
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 私は宮沢りえさんがリハウス少女だった頃からの彼女のファンで、当時の写真集も持っている。厳密に言うと一時期彼女から心が離れた時期もあったのだが、近年、女優としての彼女の活躍には目覚ましいものがあり、一ファンとして喜んでいる。

 彼女はその生い立ちからして、これまで波乱万丈の人生を歩んで来たと思われるが、その全てを肥やしにして今の女優宮沢りえがいるのだと思う。結婚して、結局離婚と言う結末を迎えはしたけれど、母親になり娘を持ったことで、今回の役には単なる女優としての役作りを超えた実在感があって、すべてのものを包み込むような母親の大らかさと温かさが伝わってくる素晴らしい演技だった。

 脇を固める役者さんも全員持ち味を発揮して、ありきたりな表現ではあるけれど、全員の演技が美しいハーモニーを奏で、作品を滋味深い佳作へと昇華させたように思う。

 素敵な作品をどうもありがとうございました。
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2016/12/10

強きには立ち向かわずに弱きを挫く…  はなこのMEMO

 強き巨悪には立ち向かわずに、弱き個人を叩く昨今のマスコミって、その存在意義を考えた場合、どうなんだろうね?

 今年の国内の話題に関するマスコミ報道で目に付いたのは、「不倫」やら「薬物疑惑」やら「いじめ」やら「虐待」やら「待機児童」やらで、後者の3つは大多数の国民の命や教育に関わる問題だからまだしも、前者の「不倫」や「薬物疑惑」は個人的問題の色合いが強く、放っておいても本人に行為の報いがあるはずで、マスコミが大々的に報道して個人を執拗に叩くことには違和感を覚えるばかりだ。

 確かに「薬物」の問題は社会を内部から崩壊させる原因のひとつとして看過できない問題ではあるが、巷間を賑わせている報道の主旨は、薬物の危険性を社会に訴える啓蒙活動と言うより、成功者をその地位から引き摺り下ろすことが目的のように見えてどうにも胸糞が悪い。

 そもそも、それらが国民の本当に知りたいこと、知るべきこととも思えない。そして、現在のマスコミ報道と、それに対する世間の一部の反応は、まさに「いじめ」の構造そのものだ。

 個人的には芸能人や有名人のプライバシーにはあまり興味はなく、寧ろ多少謎めいたところがあっても良いと思っている。情報を開示するにしても、犯罪等に関わりない、本人が他人に知られたくない極々個人的なことまで暴くなんて下品極まりないと思う。

 大手マスコミが追求すべき問題はもっと他にあるのではないか?マスコミの「権力の監視装置」としての矜持が昨今のマスコミ報道に見られない(寧ろ、権力におもねった大本営発表にすら思える。マスコミは面倒を避けて易きに流れている)状況には、権力構造の内幕を知る術のない国民の一人としては、この国の先行きが心配になる。
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2016/12/8

地元の自治体主催の市民講座を受けてみた  日々のよしなしごと

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 私は以前にも警察広報についてこのブログで取り上げたほど、月に1〜2回自宅に回ってくる回覧板を結構熱心に読んでいる。

 今回はその回覧板の中でも「文化会館」の月報に告知のあった市民講座を受講することにした。期間は1カ月半ほどで、異文化交流をテーマに地元在住の外国人を講師に招き、出身国のことや日本での暮らしについて聞く、と言うものだ。プログラムの中には都内にあるイスラム教のモスク訪問もある。

 参加者は下は30代から上は80代前半と言ったところ。自治体職員オーガナイザーの「今後、行ってみたい国は?」の質問に大半の人が「アフリカ諸国」と言う辺り、定番の国々はほぼ渡航済みの旅慣れた人々なのだろうか?

クリックすると元のサイズで表示します 皆さんの希望に沿うかのように、本日第一回の講師は西アフリカのブルキナファソ出身の在日大使館員エミールさん(57)であった。

 ブルキナファソと言う国は正直、多くの日本人には馴染が薄いだろうが、国名は現地の言葉で「高潔な人々の国」を意味するのだそうだ。

 ブルキナファソはカカオで有名なガーナ共和国に隣接し、面積が日本の70%程度の国土に、約60の部族から成る1700万人が暮らす内陸国である。

 主に3つの言語が話され、帝国主義の時代にはフランスに統治された歴史から、公用語としてフランス語が使用されていると言う。

 国民の57%が伝統的な土着の宗教を信仰し、次いで31%がイスラム教徒、12%がキリスト教徒と続く。「君臨すれど統治せず」の双子の国王もおられるそうで、信仰でも土着の宗教が過半数を占めることから、自国の伝統を重んじるお国柄なのだろうか?

 その国名に違わず、国民は実直で、社会のルールを守る人が殆どのこと。観光バスを止めてお金をせびる悪徳警官はいないし、路上にタバコのポイ捨てをする人など殆どいないらしい(ここで「日々、自宅前のタバコのポイ捨てに悩まされている。その点、ブルキナファソの人は立派ね」との女性からの感想が出た)

 西アフリカを周遊する日本からのツアー参加者の間でも、事後のアンケートでは一番人気の国なんだそうだ。

クリックすると元のサイズで表示します エミールさんが撮影した現地の写真を見ながら、講義は進んだ。途中、エミールさんが持参した現地特産のバオバブ(右写真)の果実から作られたジュースを飲む機会があった。

 ほのかに甘い香りで、色は薄いベージュ、少しとろみがあって、味は過去に味わった経験のないもので個人的には好みではなかったが、現地では健康飲料として飲まれているものらしい。

 ブルキナファソの人々の日本人観は概ね良好で、現地在住40年を超える日本人もいるのだそうだ。彼らの多くは農業指導や井戸掘り等のインフラ整備に従事しているらしく、現地の人々の生活に直結した事業に貢献しているからこその、日本人全般への厚い信頼なのだろう。

 オーガナイザーによる「日本で暮らして困ったことは?」と言う質問に、エミールさんは「来日間もない頃、近隣の住民に挨拶しても誰一人挨拶を返してくれず、故国に家族を残して単身赴任であったことも相俟って、かなり寂しい思いをした」と答えられた。

 「家族と遠く離れて暮らす私にとっては、日本のご近所の皆さんが家族。仲良くすることは大事です。」と語った。

 3度目の日本駐在とのことですが、片言ながらも懸命に日本語で話をされたエミールさん、どうもありがとうございました。

 矢継ぎ早に質問が飛ぶ好奇心旺盛な参加者と共に興味深いお話を伺えて、充実した時間を過ごせた。

 来週の講師はロシア人(配布資料によると、日本人と結婚したロシア人女性らしい)。ロシアは未踏の地なので、これまた楽しみ

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2016/12/8

はなこ、危うきに近寄らず  日々のよしなしごと

 別に君子でもないのですが、武芸に通じているわけでもない非力なおばさんなので、私は危うい場所には最初から近づかないし、最近は物騒な事件を報道で多く目にすることもあり、危ういと言うか変な人が近くにいたら、対峙せずに逃げることにしました。

 実は昨日、「続・深夜食堂」を見に映画館へ行ったのですが、上映開始早々から、斜め後部座席の人に座席の背もたれを何度も蹴られました。たまりかねて注意したのですが、その人は「自分はしていない」と言い張りました(しかし、昨日は空席が目立ち、私の座席周りには、その人しか座っていませんでした。しかも、私が蹴られた直後に振り返ったら、その人はちょうど足を組み替え終えるところでした。現行犯を目撃、としか言いようがない)。

 そもそも人間ですから一度や二度は誤って足が前の座席にぶつかることはあると思うので私も我慢しますが、椅子のクッションの具合にもよるとは言え、何度も背中に衝撃が伝わるような蹴られ方をしたので、たまらず振り返って注意したのです。

 見ると、スーツ姿の私の夫と同年配と思しき男性でした。忙しなく足を組み替えているようで、その度に足先が私の椅子の背もたれにぶつかっているようでした。加えて、その人は貧乏ゆすりをしているのか、コツコツ靴音を響かせているのです。風邪もひいているようで、何度も咳き込むのですが、マスクもしていませんでした。

 映画は、おやじひとりで切り盛りする深夜営業のみの小さな食堂を舞台に、人情味溢れる人間模様を描き、とても面白い作品でした。だから後方の変なおじさんと下手に関わって大事なシーンを見逃すのはもったいないし、周りの他の観客にも迷惑と思い、平日の午後でそれほど混んでいないのを幸いに、途中で私は席を列の端へと移動しました。

 しかし、その直後にもドーンと音が響き、端の私の席まで揺れるような衝撃が走りました。今度はわざと背もたれを強く蹴ったんですかね?そして、最後まで何度も足を組み替えているのか、その度に衝撃が伝わって来ました。尤も端の席だったので、元の座席よりはマシでしたが…なんか陰湿な感じ。

 こういうケースでは若い人の方がよほど謙虚ですぐに謝ってくれ、以降は滅多に足が背もたれにぶつかることなんてありません。と言うか、全般的に若い世代は気が回らないだけで根は素直、注意すればすぐさま対応できる心の柔軟さはある、と言う印象。どうにも性質(タチ)が悪いのは中高年世代です。

 上映前の鑑賞マナー遵守を呼びかけるスポット映像でも、必ず「前の座席を蹴らないように」と言う項目は含まれるので、おそらく映画館の椅子の構造上の問題もあるのだろうけれど、観客間のトラブルの原因のひとつになっているのでしょう。

 夫にこのことを話したところ、「変な人なんだから、そういう時は逃げないと。関わらない方が身のためだよ。」と言われました。

 確かに、何か遭った時に自分で自分の身を守れないのであれば、やはり自ら危険に飛び込むようなことは避けるべきですね。そして、人のフリ見て、自分の行いも正すこと。私自身も中高年世代なのでなおさら…

 傍若無人な輩が世の中にのさばるのは悔しいけれど、非力な身では、できるだけそういう輩から離れるしか術はないのですね。

 ドラマや映画に出て来るような武芸に秀でたヒーロー(←ジェット・リーの姿が思い浮かぶ…)が現実社会にもいて、そう言う輩を懲らしめてくれたら良いのにな。
 
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2016/12/7

今年最後の小春日和?  日々のよしなしごと

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 昨日も上野の美術館でSGTでした。
 この日の気温は18度まで上がり、加えて雲一つない晴天でした。
 晩秋を彩るイチョウの黄金色が真っ青な空に映えて、その美しさはひとしおでした。
 
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クリックすると元のサイズで表示します 時折吹く風でイチョウの枝が大きく揺れる度に、何十枚ものイチョウの黄金色の葉が、日の光を浴びてキラキラと輝きながら舞い落ちていました。さながら桜吹雪ならぬ"イチョウ吹雪"のようでした(笑)。

 まさに見惚れるような美しさでしたが、あいにく仕事中だったのでスマホを持っておらず、その瞬間を写真に収めることは出来ませんでした。

 SGTを終えての帰り道、"イチョウ吹雪"は黄金色の絨毯となって、一面を覆い尽くしていました。

 特に上野のイチョウは大木が多いので落葉の量が尋常ではなく、幾重にも重なって葉と葉の間には空気を含んでいるのか、それを踏みしめた時のフワッと柔らかな感触は靴越しにも心地よいものでした。

 10年以上、毎週のように通った道ですが、これほどまでに見事な黄金色の絨毯の上を歩いたのは初めてです。

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クリックすると元のサイズで表示します ロダンのブロンズ彫刻作品も、鮮やかな黄金色を背景に、いつもとは違った印象を、見る者に与えるようです。

 渾身の力を込めて下唇に拳を押し当てた≪考える人≫は、晴天の下、黄金色に輝くイチョウを背に、あたかも寒い冬が来る前のひとときを日向ぼっこをして楽しんでいるかのように見えました。

 ≪カレーの市民≫の囚われの6人も、晩秋の暖かな日差しを全身に浴びて、しばし自身の不遇を忘れて穏やかに佇んでいるかのように見えました。

 同じ頃、世界のどこかでは深刻な事態が起こっていたのかもしれませんが、上野では多くの市民が晩秋の小春日和を思い思いに楽しんでいたのは間違いないでしょう。

 道行く人々の楽し気な様子を見ながら、私はふと思いました。「平和だなあ」と。

 この状況が当たり前過ぎて、何か大事なことを忘れてしまっているような気もします。

 
 来週も上野に行く予定ですが、刻一刻と冬支度を進めているであろう上野の森は、昨日とは違った姿を来週は見せてくれるのでしょうね。

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2016/12/1

子どもを見れば親が分かる  はなこのMEMO

 「親の顔が見たい」と言う言葉があります。

 ある人が非常識な言動をしたり、信じがたい犯罪に手を染めたのを目の当たりにすると、つい口をついて出てしまう言葉でしょうか?

 私はたまたま仕事柄(まあ、無給のボランティアですけれど)、子ども達と接する機会が多いのですが、子ども達の言動にも、親の日頃の子育て、子どもへの向き合い方が透けて見えるような気がします。

 私がスクール・ギャラリートーク(以下、SGT)で気になるのは、子どもの「学力の高低」や「知識の有無」ではありません。何より注目するのは、その場に相応しい行動をとれるかどうかです。

 SGTは学校行事として学校単位で参加するものですから、子どもは否応なく美術館を訪れることになります。内心「美術になんか興味ないや」「美術館なんて窮屈」「みんなと一緒に行動するのは嫌だな」と思っている子どもも少なからずいるのかもしれません。

 それでも正式な学校行事に、ある学校に在籍している児童生徒として参加している以上、年齢なりに自分を律して、その場に相応しい行動をとる必要があります。
 
 例えば、作品に触れない、館内で騒がない等の「鑑賞ルールを守る」、また、SGTはグループごとに作品を幾つか鑑賞し、互いに感想を述べ合う形式なので、「出来るだけ発言する」、そして「他の人の言葉にも耳を傾ける」ことが求められます。

 しかし、年齢によっては思春期独特の反抗期に当たる児童生徒もおり、最初から斜に構えた態度であからさまに参加への拒否の姿勢を見せる子どももいます。それはそれで、意欲的に参加しようとしているグループの他のメンバーに対する妨害行為さえしなければ許容範囲です。

 たとえSGT参加への拒否の姿勢を見せていたとしても、一応、美術館の空間に身を置いているので、作品を見ていないようで実際は見ているものです。ある美術教師曰く「子どもは皮膚からでも吸収する」ので、その子の内にも美術館へ行った何らかの痕跡が残るはずなのです。

 ただし、何を学ぶにしても、最大の効果を上げるのは「素直な気持ちで臨むこと」でしょう。「素直であること」は学習者としての強みとも言えます。もちろん、反抗期自体は子どもの精神的自立を促す上で大事な成長のプロセスであり、これを否定するものではありません。

 問題は他のメンバーの真面目な意見に茶々を入れる行為です。その発言がきちんと根拠のある反論なら構わないのですが、明らかに発言者を貶めるような、馬鹿にするような発言の場合、私は発言の根拠を質し、きちんと根拠を説明できないのであれば、「友達の発言は尊重すべき」と明言します。

 特に女子に多いのですが(と言っても稀なケースですが)、2、3人でたまに私自身を茶化すような態度を見せる場合もあるのですが、この場合は注意するのも馬鹿らしい(時間も限られている)ので無視します。

 常識的に見て、これは目上の人に対する態度としては失礼なもので、親は日頃からどのような躾けをしているのか、子どもにどのような自身の姿を見せているのでしょうか。

 SGT自体せいぜい45分前後のものなので、小学校高学年にもなれば、これくらいの時間は集中力を維持できるようにしたいですね。

 こうした学校での集団行動を通して、子ども達には将来社会に出てから必要な協調性や自制心や忍耐力を培うと共に、学校生活で提供されるさまざまな機会に主体的に、積極的に参加して、自分の世界をどんどん広げて行って欲しいですね。

 その前提として、日頃からの家庭での教育はとても大切。

 その場に相応しい行動をとるよう心掛けること、忍耐強く物事に取り組むこと、約束やルールを守ること、そして他者を尊重すること。これらのことは幼い頃から家庭できちんと教えるべきことだと思います。

 少なくとも学校で多発していると言われるイジメ問題も、その根っこにあるのはいじめる側の親の問題だと思います。こと人間関係(や人権感覚)に関しては、子どもは日頃の親の姿から学んでいるに違いないのですから(実際、子どもの発言は、親が家庭で口にしていることを鵜呑みにして、そのまま口にしていることが多いのでしょう。子どもに誤った先入観を植え付けるのも親であるケースが多いと思います)。 

【追記】

 新潟市で、一部の児童生徒達が、福島県から避難している児童生徒の名前の後に「菌」をつけて呼んでいたのを注意するどころか、担任教師自ら口にしていたと言う報道がありました。どういう経緯で口にしたのか詳細は不明ですが、「○○菌」と口にしたこと自体、「人権意識の低い教師だな」と言わざるを得ません。

 この教師は被害者の親から相談を受けていたそうですが、例えば子ども達に注意するにしても、具体名を挙げずに「人の名前の後に『菌』をつけるのは、その人に対して失礼なことだし、ましてや今回のケースは事故が原因で止む無く故郷から避難をしている人に対する行為。これは人間として思いやりのない、恥ずべきことだ」と言えば済む話。

 私自身、息子がいじめに遭った時に、担任教師が最後までいじめの存在を認めなかったことに失望したのを覚えています。一連の報道を見ても、担任教師は自身のクラスでいじめが発生していることをなかなか認めたがらない傾向があるようです。

 だとすれば、すべての学校に第三者的立場で児童生徒を巡る問題に対応できるスクール・カウンセラーを置き、教育委員会や児童相談所と連携して問題に対処するなどの措置が必要なのではないかと思います。

 本来はいじめがあると認定された場合、いじめの加害者親子にカウセリングを実施し、その歪んだ意識を正して、心からの反省を促すべきだと思うのですが、社会では問題の発覚が繰り返されるだけで、なかなか具体的な対策の方向へは動きませんね
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2016/12/1

人のさりげない気遣いが心に沁みる  日々のよしなしごと

 このところ体調を見ながらいろいろなことを同時進行でこなさなければならず、要領の悪い私はこのブログまで手が回りません。

 本当は最近見た映画の感想やら、以前書いた記事で大幅に加筆修正する為に一旦引っ込めた記事やら、まだ途中までしか書いておらず完成していない記事等々、書きたいと思いながら手つかずになっている記事が多数あります。

 家事では日曜日にひとつの山場があり、それを越えたら少し落ち着けそうなので、追々書いて行こうと思います。


 さて表題の件について、短い記事をば。

 私自身、基本的には、人と友好的に接したいし、人に対して親切でありたいと思っています。

 何か困っている人を目の前にしたら、できるだけ躊躇せずに手を差し伸べるよう努力もしています。

 もちろん損得勘定抜きで、相手からの感謝や周りからの称賛を期待してでもありません。社会で生きている人間として当たり前のことだと思うからです。

 しかし、自分の行いは巡り巡って自分に返って来るのだなと思う出来事が最近2つありました。些細なことかもしれませんが、素直に嬉しかったので、ここに書き留めておきます。
 
 ひとつはバスの中で。バスの最後部の座席に腰掛けた時のこと。買い物袋を幾つか抱えた私に、左隣の若い女性が身体を反対側に寄せて私との間に小さなスペースを作ってくれ、「よろしければ、こちらにお荷物をどうぞ」と言ってくれたのです。

 息子と同年配のOL風の女性の思いがけない気遣いに、「こんなお嬢さんが息子のお嫁さんになってくれないかしら?」と思いました(笑)。

 もうひとつは、久しぶりに訪れたハンバーガーショップで。たまたま席についたテーブルの紙ナプキン入れが、あいにく空っぽでした。店は満席で、店員さんは忙しなく働いている様子でしたので、必要になれば持参したティッシュペーパーを使えばいいや、ぐらいに私は思っていました。

 ところが、思いがけず近くのテーブルにいた年配女性が、食事を終えて席から立たれたついでに、ご自分のテーブルにあった紙ナプキンのありったけを、私達のテーブルまで持って来て下さったのです。

 人懐こい笑顔で「店員さんがちゃんと補充しないから」と仰いながら…(直後に店員さんが女性の言動で気づいたのか、女性の座っていた席の紙ナプキンを補充しました)

 夫の「紙ナプキンがないや」のひとことを耳にしての、咄嗟の心遣いであったようです。

 
 見知らぬお二人の方々のご親切に恐縮しつつも、心がほっこりとしました。

 人に親切にされたら、やはり嬉しいものです。その受けた親切を他の誰かにお返しすることで社会が「善意の鎖」で繋がり、より居心地の良いものになればと、心から願います。
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2016/11/28

最近、ちょっと気になること  はなこのMEMO

 駅地下のパン屋さんでパンを買っている間、外から子どもの叫び声が響いていた。

 買い物を終えて店を出ると、人が行き交う通路の真ん中で2〜3歳位の女の子が床に大の字になって何やら叫んでいた。

 その足元には、女の子に靴を履かせようとしている母親らしき女性がいた。少し離れた場所に、荷物を積んだベビーカーと共に父親らしき男性がぼんやり立っていた。

 店とエスカレーターの間にある通路の幅はそれほど広くない。しかも時間帯は夕方で、多くの人が行き交う通路である。買い物客らは直径2.5m程度を占拠している親子の周りを迂回するようにして、エスカレーターへと向かう形になっていた。

 どうして、この親子は公共空間である通路を占拠して、ふてくされて床に寝転んだ女の子に悠長に靴など履かせてあげているのだろう?

 父親や母親がなだめるなり叱るなりして、この女の子を床から抱き起こすことを、なぜしないのだろう?

 なぜ、母親もしくは父親が我が子をしっかり抱きしめて、その高ぶった神経を少しでも落ち着かせようとしないのだろう?

 せめて通路の真ん中でなく、他の人の歩行の妨げにならない場所へと移動しないのだろうか?

 女の子のわがままぶりより、両親の周りへの配慮の欠片もない思考停止ぶりが気になった(夫婦して、それほどまでに我が子の扱いに途方にくれ、子育てに疲れているのだろうか?)。特に父親の傍観者然とした姿が気になった。なぜ、こうした場面で傍観者としていられるのだ?なぜ父親としてイニシアチブをとらない?


 一部の子どもに見られる"癇癪"や"利かん気"は殆どが一過性のものであり、その多くは親の躾けによって改善されたり、子どもの成長によって自然に解消するものである。

 しかし、稀に器質的なものもある。それでも専門家のもとで適切な療育を受ければ、程度にもよるが自分の感情をコントロールする術を学び、社会の中で身内以外の誰かとも良好な関係を結ぶことで、生きづらさを軽減して生きて行けるようになると言う。

 だから、件の子どもを疎ましくは思わない。問題は両親の子どもへの向き合い方だ。

 育て方が難しい子どもであっても、その子が将来自立して社会で生きて行く為に、親として出来ることが何かあるはずだ。その何かを必死に探すぐらいのことはして欲しい。それは、子どもをこの世に送り出した者として果たすべき責任でもある。

 その意味で、子育ては母親任せにせず、父親も主体的に関わるべきだ。そして自分達だけで子育ての悩みが解消できないのならば、遠慮せず、体面など気にせずに誰かに助けを求めるべきだろう。

 近年は核家族化の進展で、親も孤立しがちだ。だからこそ行政や医療機関が協力して子育てに悩む親達を支えるしっかりとした仕組みを構築し、その周知にも力を入れることは大事だし、「社会全体で子どもを育てる」と言う合意形成を図って、私達ひとりひとりもけっして他人事とは思わずに、子育てに何らかの形で継続的に関わって行く必要があるのかもしれない。

 その意味では、件の親子に何か言葉をかけてあげるべきだったかなと、今にして思う。
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2016/11/27

人間観察  日々のよしなしごと

 私は外出先で注意深く人間を観察している。

 このブログでしばしば登場する女子トイレは格好の人間観察の場である。

 常に待ち行列のできる映画館や劇場の女子トイレでは列の並び方で、「通常あらゆる場面で"気配り"を見せる女性」の大半が、「他人の目が気にならない場所」において、「利害関係のない他人に対して」はかなり無頓着であることが一目瞭然である。

 残念ながら、トイレの個室と洗面所の配置から、どう並べば個室から出て来た人の動線を妨げることなく並んでいる人が空いた個室に入り、スムーズに行列の解消が図れるか、全く考えていない人が多い。全然頭を使わずに、ただ前の人の後ろについているだけの人があまりにも多い。

 尤もトイレに入るのにイチイチそんなことに頭を使っていられるか、と言う反論も、どこからか聞こえてきそうだ…

 特に女性の場合、公共の場でも自分と親しい間柄の人間しか視野に入っておらず、周りの状況を一顧だにしない特徴がある。

 入店を待っている人がいるのも構わずカフェに長居したり、大声で話したり、建物の出入り口で話し込んだり、歩道で横に広がっておしゃべりしながらダラダラ歩いたり…

 先日もトイレから出ようとドアを開けたら、入ろうとする女性2人組と対面したので道を譲ると、その後に10人位の女子高校生の集団が続き、しばらくドアの前で待たされる羽目に陥った。

 誰も出ようとする私に気付かなかったのだ。本当に視野が狭いなあ。出入口はひとつなのに、よくもまあ出る人のことを全く考慮せずに、10人?もぞろぞろと続けて入ることが出来るものだと呆れてしまった。

 もちろん、「ちょっと出たいんですけど、誰も譲ってくれないんですかね?」と皮肉を込めて言ったのだが、聞いてないんだか、聞こえてないんだか、誰ひとり立ち止まらなかった。

 一事が万事こんな具合だから、夫がしばしば口にする「一般に女性は自分のことしか考えていない"自己中"な存在だ。」に反論できないのだ。

 この点に関しては、同じ女性としてチョット残念である。


 また、注意深く人物の動きを観察することで、将来起こりうる事態も予測することが出来たりする。

 昨日、久しぶりに行き付けの中華料理店に、夫婦でランチを食べに行った。そこは地元では名の知られた老舗だが、ランチなら千円台前半で楽しめる。

 私達夫婦は正午過ぎから始まった映画を見終わった後にその店を訪れたのだが、ちょうど法事帰りと思しき団体客(大人は全員ブラックフォーマル姿で僧侶2人も帯同していた)が食事を終えて店を出ようとしていたところだった。連れの幼い子ども数人が店頭で騒いでいた(最近、公共の場で子どもが騒いでいるのを放置している親が多いのも気になる。公共の場でどう振舞うべきか、幼い頃から躾けたりしないのかなあ?)

 男性給仕が私達夫婦を店内に案内することになったのだが、繁忙の昼時を過ぎた後の疲れが、その男性の顔に色濃く出ていた。この時点で何だか嫌な予感…

 私達の存在など忘れてしまったのか、ホール入り口で給仕の男性は心ここにあらずと言った感じで立ちすくんだ。

 見かねて「どこに座ったら良いのでしょう?」とこちらから尋ねて初めて我に返った様子の男性給仕。その彼が案内したのは、ピーク時を過ぎて店内はほとんどガラガラの状態なのに、なぜかすぐ隣に客がいる席。通常なら席に余裕がある場合、他の客とは間隔をあけて席に案内するのに…

 内心、変だなあと思いながらも着席後、サービスランチを2人前と、前回来店時に貰ったドリンク無料サービス券を件の給仕に手渡して食後の飲物を頼んだ。

 ここでさらに気になったのが、彼がオーダーを復唱しなかったこと。いつもならスタッフが復唱して、きちんとオーダーを確認する店である。やはりぼんやりした様子で、彼は入口の方へ行ってしまった。

 私は思わず夫に「今、あの人、注文を復唱しなかったんだけど大丈夫かしら?」と不安を口にした。

 食事を終えて会計を済ませようとレジに行くと、案の定、請求額が間違っていた。無料サービスのドリンクの代金もカウントされていたのだ。危うく千円以上多く支払わされるところだった。

 件の男性給仕が私達の注文を受けた後、明細を機械に打ち込む時に間違えたらしい。よほど疲れていたのだろうなあ…

 私の夫も些か不注意と言うか、細かいことに頓着しないところがあるので、彼に支払いを任せていたら、おそらく言われるままに支払っていたと思う。

 今回のように、日常でも何が起こるか分からないから、せめてヒューマンエラーは自分自身の観察力で防ぎたいと思う。実際、ほんの少し注意を払うだけで防げる失敗は少なくないはずだ。

 注意深く観察していると、結構人って、いろいろやらかしている。何気ない仕草や行動で、その人の普段の暮らしぶりさえ何となく想像がついてしまう。

 もちろん、自分も誰かに観察される側になるのは十分あり得ることなので、日頃の振舞いには多少なりとも緊張感が必要だと思っている。

 都会に住んでいると、「知らない人が殆ど」の気楽さからついつい忘れがちなのだが、自分を律する為には、常に「誰かが見ている」「お天道様が見ている」と言う意識は大切なんだろうなあ。
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2016/11/27

菊名池公園で「小さい秋」見つけました  散歩の記録

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 東急東横線妙蓮寺駅正面にある妙蓮寺境内。そもそも東横線が妙蓮寺の敷地内を通っているんですね。

 当初は線路の敷設の為に東急電鉄側から寺は移転を打診されたらしいのですが、妙蓮寺自体、かつてJR横浜線敷設の為に移転を余儀なくされた寺がもうひとつの寺と合併してできた寺なので、さすがに再度の移転には難色を示して、寺の敷地内に線路を通すことを許した形なんだとか。

クリックすると元のサイズで表示します 昨日は爽やかに晴れて日差しも暖かく、私自身の体調も比較的良かったので、自宅から電車で15分ほどの場所にある菊名池公園に行って来ました。

 最寄り駅は東急東横線妙蓮寺駅です。駅から徒歩5分ほどの立地です。

 地元の人が楽しむ小さな公園ですが、そこかしこに晩秋の風情があり、夫婦ふたりでのんびり池の周りを散策したり、ベンチに腰掛け、持参したおにぎりを頬張ったり読書をしたりして、2時間半ほどここで過ごしました。

 池を泳ぐ可愛らしい鴨の群れ、紅や黄に色づいたモミジやイチョウ、風に揺れる柳、地面に柔らかな斑点を描く木漏れ日、そして足元には一面を覆い尽くす落ち葉の絨毯…それらのひとつひとつが五感を心地よく刺激して、穏やかな気持ちにさせてくれました。

 人間も自然の一部ですから、季節の移ろいを感じる生活は大切ですね。

 今回は愛用のサイバーショット携帯を自宅に忘れてしまったので、気の向くままスマホで撮影してみました。私の目を通して見る「菊名池公園の2016年11月26日(土)の姿」とでも言いましょうか。

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 私がこうして写真に残したように、画家は自然が描き出した色彩の饗宴に感銘を受けて、懸命に画布に写し取ったのでしょうね。これまでに見て来た日本画を思い起こさせる色合いの美しさです。
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 夫が風景に溶け込んだような画像。まさに人間を風景の一部として描いたクロード・モネのような感覚…
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