2012/2/9
帰省 お知らせ
10日ほど九州に帰省します。日本海側なので、すごく寒そうです
義母がここ数年、心肺機能がかなり低下して入退院を繰り返しているので、こちらから風邪やインフルエンザのウィルスを絶対に持って行くまいと、家族全員細心の注意を払っています。
皆様におかれましても、くれぐれも風邪やインフルエンザには、ご注意下さいませ。
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義母がここ数年、心肺機能がかなり低下して入退院を繰り返しているので、こちらから風邪やインフルエンザのウィルスを絶対に持って行くまいと、家族全員細心の注意を払っています。
皆様におかれましても、くれぐれも風邪やインフルエンザには、ご注意下さいませ。
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2012/1/26
神経痛 日記
私が普段使用しているPCもそろそろガタが来始めているのか、この頃使い辛くなっている。
一番問題なのはワイヤレスマウスの不具合。うまく動作しない。カーソルが思うように動かず、変なところをクリックして、見たくもないサイトに繋がってしまうことが度々。うまくドラッグもできないので、細かいアドレスのコピーもままならない。
無理して、このオンボロワイヤレスマウスを使い続けたせいか、右腕が肩から手首まで神経痛になってしまった。それで最近はPCの使用を控えている。
既に私自身いろいろガタが来ていて、幾つかの診療科目でお世話にならなきゃいけないのに、またひとつ増えるのかと思うとユーウツ
(実際に定期通院しているのはひとつだけだけれど)
でも、それぞれの症状も深刻な状態ではないので、普段の生活はそこそこ楽しんでいます。読書も楽しんでいるし、映画もガンガン見ているし、好きなドラマも予約録画したものをCM飛ばしでストレスなく見られているし、昨日は息子が中学の頃にPTA役員活動を通じて仲良くなった友達2人と3カ月に1度のイタリアンでの定例ランチ会に行って、思いっきり食べて、おしゃべりして来たし、今日は日中日差しもあったので布団を干せたし…そして何より、毎晩、家族3人揃って食卓を囲むことにささやかな幸せを感じる毎日です。
平凡な日常に幸せを感じられる自分の現在の境遇に感謝したい。この1年、世界でも、この日本でも、あまりにもいろいろなことがあり過ぎたからね。
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一番問題なのはワイヤレスマウスの不具合。うまく動作しない。カーソルが思うように動かず、変なところをクリックして、見たくもないサイトに繋がってしまうことが度々。うまくドラッグもできないので、細かいアドレスのコピーもままならない。
無理して、このオンボロワイヤレスマウスを使い続けたせいか、右腕が肩から手首まで神経痛になってしまった。それで最近はPCの使用を控えている。
既に私自身いろいろガタが来ていて、幾つかの診療科目でお世話にならなきゃいけないのに、またひとつ増えるのかと思うとユーウツ
でも、それぞれの症状も深刻な状態ではないので、普段の生活はそこそこ楽しんでいます。読書も楽しんでいるし、映画もガンガン見ているし、好きなドラマも予約録画したものをCM飛ばしでストレスなく見られているし、昨日は息子が中学の頃にPTA役員活動を通じて仲良くなった友達2人と3カ月に1度のイタリアンでの定例ランチ会に行って、思いっきり食べて、おしゃべりして来たし、今日は日中日差しもあったので布団を干せたし…そして何より、毎晩、家族3人揃って食卓を囲むことにささやかな幸せを感じる毎日です。
平凡な日常に幸せを感じられる自分の現在の境遇に感謝したい。この1年、世界でも、この日本でも、あまりにもいろいろなことがあり過ぎたからね。
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2012/1/19
日本の国会議員 はなこの好奇心MEMO
昔から「特権階級は働かない」と相場が決まっている。なぜなら、その地位に胡座をかいてしまうから。
だから国会議員を特権階級にしてはいけない。国政に真剣に取り組まなくなるから。
日本は国会議員に特権を与え過ぎだ。下記リンク記事で列挙された議員特権はどう考えても議員を優遇し過ぎている(ネタ元は日頃評判が芳しくないタブロイド紙のようだが、ことこの件に関して数値の誤りはないと思う)。
◆『消費増税の前に"議員特権"をもっと削れ!年1億円は貰いすぎ〜』
リンク記事も何れ削除されると思うので、以下にメモ(青字部分)っておこうと思う。
そもそも日本の国会議員は議員歳費が、他の先進国と比較しても高額らしい!
日本:約2200万円(月額約130万円と年2回のボーナス計600万円)
米国:約1400万円
独 :約1015万円
仏 :約924万円
金額だけ見れば、日本より遥かに財政が健全なはずのドイツの倍以上の歳費を、日本の国会議員が貰っているのはおかしいと思う(ただし記事では、各国の議員に対する諸手当についての言及はなく、各国の物価や、議員歳費と民間給与との差についても触れていないので、この単純比較は、日本との対比と言う意味で正確さを欠くものなのかもしれない。因みに日本の公務員給与は民間給与の2.2倍で、2位以下を大きく突き放して世界で突出した高さのようだ<テレ朝玉川記者調べ>)。
さらに下記に列挙するような日本独特の議員特権で、実質国会議員1人当たり、年に1億円も国費から支出している。
日本の議員定数は衆参合わせて722人(衆議院:小選挙区300人、比例代表180人 参議院:選挙区146人、比例代表96人)だから、単純計算でも1億円×722人で年間722億円もの国費を使って、日本の国民は議員を雇っていることになる。果たして全ての国会議員が、この膨大な支出に見合うだけの働きをしているのかどうか、政府主導の震災復興が遅々として進まない点を見ても、甚だ疑問だ。国家財政に窮している今、国民としては国会議員の歳費に関しても費用対効果を重視したい。
岡田副総理が提言している歳費(2200万円の)8%(176万円)削減も、果たして実現するのか、国民のひとりとして注視したい。もし実現したら、少しは民主党の歳出削減の本気度を信じるんだが…
【国会議員の主な特権】
歳費(ボーナス込):1人年間約2200万円
文書通信交通滞在費:1人月100万円=年間1200万円(非課税)
←使途報告の義務なし。実質歳費の上乗せと同じ。
公設秘書人件費:議員1人につき公設秘書3人まで税金で。年間計約2000万円
政党交付金:年間320億円。議員1人あたり4400万円
立法事務費:所属会派に月額65万円
議員会館:電話代、光熱費も公費負担で利用できる
議員宿舎:赤坂宿舎など、一等地に3LDK豪華宿舎の家賃が月額約10万円
←周辺の家賃相場は月額50万円。そもそも他国に議員宿舎など存在しない。
「JR無料パスと航空券」←公務以外での使用も多いらしい。
@JR無料パス(グリーン車に乗り放題)のみ
AJR無料パス+東京と地元選挙区間の月3回往復の航空券
B月4回往復の航空券
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だから国会議員を特権階級にしてはいけない。国政に真剣に取り組まなくなるから。
日本は国会議員に特権を与え過ぎだ。下記リンク記事で列挙された議員特権はどう考えても議員を優遇し過ぎている(ネタ元は日頃評判が芳しくないタブロイド紙のようだが、ことこの件に関して数値の誤りはないと思う)。
◆『消費増税の前に"議員特権"をもっと削れ!年1億円は貰いすぎ〜』
リンク記事も何れ削除されると思うので、以下にメモ(青字部分)っておこうと思う。
そもそも日本の国会議員は議員歳費が、他の先進国と比較しても高額らしい!
日本:約2200万円(月額約130万円と年2回のボーナス計600万円)
米国:約1400万円
独 :約1015万円
仏 :約924万円
金額だけ見れば、日本より遥かに財政が健全なはずのドイツの倍以上の歳費を、日本の国会議員が貰っているのはおかしいと思う(ただし記事では、各国の議員に対する諸手当についての言及はなく、各国の物価や、議員歳費と民間給与との差についても触れていないので、この単純比較は、日本との対比と言う意味で正確さを欠くものなのかもしれない。因みに日本の公務員給与は民間給与の2.2倍で、2位以下を大きく突き放して世界で突出した高さのようだ<テレ朝玉川記者調べ>)。
さらに下記に列挙するような日本独特の議員特権で、実質国会議員1人当たり、年に1億円も国費から支出している。
日本の議員定数は衆参合わせて722人(衆議院:小選挙区300人、比例代表180人 参議院:選挙区146人、比例代表96人)だから、単純計算でも1億円×722人で年間722億円もの国費を使って、日本の国民は議員を雇っていることになる。果たして全ての国会議員が、この膨大な支出に見合うだけの働きをしているのかどうか、政府主導の震災復興が遅々として進まない点を見ても、甚だ疑問だ。国家財政に窮している今、国民としては国会議員の歳費に関しても費用対効果を重視したい。
岡田副総理が提言している歳費(2200万円の)8%(176万円)削減も、果たして実現するのか、国民のひとりとして注視したい。もし実現したら、少しは民主党の歳出削減の本気度を信じるんだが…
【国会議員の主な特権】
歳費(ボーナス込):1人年間約2200万円
文書通信交通滞在費:1人月100万円=年間1200万円(非課税)
←使途報告の義務なし。実質歳費の上乗せと同じ。
公設秘書人件費:議員1人につき公設秘書3人まで税金で。年間計約2000万円
政党交付金:年間320億円。議員1人あたり4400万円
立法事務費:所属会派に月額65万円
議員会館:電話代、光熱費も公費負担で利用できる
議員宿舎:赤坂宿舎など、一等地に3LDK豪華宿舎の家賃が月額約10万円
←周辺の家賃相場は月額50万円。そもそも他国に議員宿舎など存在しない。
「JR無料パスと航空券」←公務以外での使用も多いらしい。
@JR無料パス(グリーン車に乗り放題)のみ
AJR無料パス+東京と地元選挙区間の月3回往復の航空券
B月4回往復の航空券
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2012/1/19
やっぱり戦争か…(溜息) はなこ的考察―良いこと探し
過去の歴史を顧みれば、政治経済で息詰まりを見せると、覇権国家は他国に対して(語弊があるかもしれないが)戦争を仕掛けるのが常のようだ。
近年は情報化社会だから、覇権国家はメディアを使って狙いを定めた国に対してマイナスイメージを植え付け、同盟国に制裁への同調を求め、じわりじわりとターゲット国を抜き差しならない状態にまで追い詰めて行く。そして武力行使に「独裁体制の転覆」とか「核開発の阻止」とか「テロとの闘い」とか、いろいろ立派な大義名分を与え、それを正当化しているように見える。
でも本音のところは、政策の行き詰まりでどうにもならない状況を、戦争を勃発させることで「戦争特需」を生みだし、自国経済のカンフル剤にしたり、自国民の間で蔓延する閉塞感のガス抜きをするのが目的なのではないか?しかも近年の中東諸国への高い関心は「資源争奪」の様相が露骨だ。それが証拠に、日本の近隣の独裁国家の国民がいくら疲弊しようが、強力なリーダーシップを持った覇権国家が、当該独裁国家の正常化に向けて積極的に働きかけているとは言い難い。
国家単位で繰り広げられる戦争は、戦勝国に一時の繁栄をもたらすかもしれないが、政治経済の行き詰まりに対して抜本的な解決策が見いだされない限り、早晩再び息詰まって、同じことを繰り返すことになるだろう。しかもカンフル剤としての効果は、回を追うごとに小さく短期になっている。こんな一時凌ぎの破綻回避策をいつまで続けるつもりなのだろうか?覇権国家には世界有数の「富」も「知」も集積しているはずだろうに、人類の叡智とやらはその程度のものなのか?
冷めた見方をすれば、不毛な争いを繰り返す人類は、戦争によって多くの戦死者を出すことにより、増えすぎた人口をその時々の食糧供給量に見合った数に調整しているだけなのかもしれない。そして、いつの日か、かつてこの地球上に生まれては消えた数多の種のように、種としての滅びの時を迎えるのだろう。
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近年は情報化社会だから、覇権国家はメディアを使って狙いを定めた国に対してマイナスイメージを植え付け、同盟国に制裁への同調を求め、じわりじわりとターゲット国を抜き差しならない状態にまで追い詰めて行く。そして武力行使に「独裁体制の転覆」とか「核開発の阻止」とか「テロとの闘い」とか、いろいろ立派な大義名分を与え、それを正当化しているように見える。
でも本音のところは、政策の行き詰まりでどうにもならない状況を、戦争を勃発させることで「戦争特需」を生みだし、自国経済のカンフル剤にしたり、自国民の間で蔓延する閉塞感のガス抜きをするのが目的なのではないか?しかも近年の中東諸国への高い関心は「資源争奪」の様相が露骨だ。それが証拠に、日本の近隣の独裁国家の国民がいくら疲弊しようが、強力なリーダーシップを持った覇権国家が、当該独裁国家の正常化に向けて積極的に働きかけているとは言い難い。
国家単位で繰り広げられる戦争は、戦勝国に一時の繁栄をもたらすかもしれないが、政治経済の行き詰まりに対して抜本的な解決策が見いだされない限り、早晩再び息詰まって、同じことを繰り返すことになるだろう。しかもカンフル剤としての効果は、回を追うごとに小さく短期になっている。こんな一時凌ぎの破綻回避策をいつまで続けるつもりなのだろうか?覇権国家には世界有数の「富」も「知」も集積しているはずだろうに、人類の叡智とやらはその程度のものなのか?
冷めた見方をすれば、不毛な争いを繰り返す人類は、戦争によって多くの戦死者を出すことにより、増えすぎた人口をその時々の食糧供給量に見合った数に調整しているだけなのかもしれない。そして、いつの日か、かつてこの地球上に生まれては消えた数多の種のように、種としての滅びの時を迎えるのだろう。
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2012/1/15
つぶやきMEMO はなこの好奇心MEMO
■一民間企業が、一国の経済の動向を左右して良いものなんだろうか?(「S&P社のユーロ圏9カ国の国債格付け引き下げで、当該国の経済危機対策に混乱」のニュースを読んで)
□「王様のブランチ」の映画コーナーで、オダギリジョーとチャン・ドンゴンへのインタビューに突然割って入ったドンゴンファンのブランチ・ギャルの行為に、戸惑いの表情を隠さなかったリリコ。何の後ろ盾もないまま単身スウェーデンから日本にやって来て、現在のポジションを獲得したリリコの、これまでの真摯な仕事ぶりが一瞬垣間見えたような気がした。いつも天真爛漫でおちゃらけているように見えて、その実、すごく生真面目な人なんだろうな。今回のインタビューにしても、彼女なりに戦略を練って質問を考えて来たのだろうと思うと、あの脳天気なドンゴンファンのKYぶりが鼻についた。
■女子トイレの行列に並ぶ度に、女性はどうして、もう少し「利用者の動線」を考えた並び方ができないのだろうと思う。いつもトイレを済ませて手洗いに向かう人の行く手を、待ち行列が阻んでいる(男性のケースは関知せず)。誰かが見ていようが見ていまいが、誰かに評価されようがされまいが、どんな場所でも、さりげなく気遣いのできる女性であって欲しいと思うのは贅沢なことなのか?
□知人友人親戚の印刷だけの年賀状からは、「もうあなたとは何も話すことがない」と暗に言われているような気がして、来年の送付はどうしたものかと思いあぐねる。とにかく互いの無事を伝え合う為に出すべきか、不毛なやりとりは葉書代の無駄とやめるべきか。齢90才を超えた福岡の叔父からは、今年年賀状が来なかった。
■幼子を2、3人を連れたお母さんはとにかく荷物が多い。ベビーカーにパンパンのバッグ。手が足りないのは明らかだ。バスや電車の車内で、或いは駅の構内で、そんなお母さんを見かけたら、声をかける人間でありたい。「ベビーカーをお持ちしましょうか?」「お子さんの手を引いてさしあげましょうか?」小さなお兄ちゃん、お姉ちゃんには「ママを手伝ってあげようね」と。混雑した中でのベビーカーの使用には反対の立場だが、友達連れならともかく、単独での外出にはやむにやまれぬ事情があると察して、できるだけ手伝ってあげたいと思う。
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□「王様のブランチ」の映画コーナーで、オダギリジョーとチャン・ドンゴンへのインタビューに突然割って入ったドンゴンファンのブランチ・ギャルの行為に、戸惑いの表情を隠さなかったリリコ。何の後ろ盾もないまま単身スウェーデンから日本にやって来て、現在のポジションを獲得したリリコの、これまでの真摯な仕事ぶりが一瞬垣間見えたような気がした。いつも天真爛漫でおちゃらけているように見えて、その実、すごく生真面目な人なんだろうな。今回のインタビューにしても、彼女なりに戦略を練って質問を考えて来たのだろうと思うと、あの脳天気なドンゴンファンのKYぶりが鼻についた。
■女子トイレの行列に並ぶ度に、女性はどうして、もう少し「利用者の動線」を考えた並び方ができないのだろうと思う。いつもトイレを済ませて手洗いに向かう人の行く手を、待ち行列が阻んでいる(男性のケースは関知せず)。誰かが見ていようが見ていまいが、誰かに評価されようがされまいが、どんな場所でも、さりげなく気遣いのできる女性であって欲しいと思うのは贅沢なことなのか?
□知人友人親戚の印刷だけの年賀状からは、「もうあなたとは何も話すことがない」と暗に言われているような気がして、来年の送付はどうしたものかと思いあぐねる。とにかく互いの無事を伝え合う為に出すべきか、不毛なやりとりは葉書代の無駄とやめるべきか。齢90才を超えた福岡の叔父からは、今年年賀状が来なかった。
■幼子を2、3人を連れたお母さんはとにかく荷物が多い。ベビーカーにパンパンのバッグ。手が足りないのは明らかだ。バスや電車の車内で、或いは駅の構内で、そんなお母さんを見かけたら、声をかける人間でありたい。「ベビーカーをお持ちしましょうか?」「お子さんの手を引いてさしあげましょうか?」小さなお兄ちゃん、お姉ちゃんには「ママを手伝ってあげようね」と。混雑した中でのベビーカーの使用には反対の立場だが、友達連れならともかく、単独での外出にはやむにやまれぬ事情があると察して、できるだけ手伝ってあげたいと思う。
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2012/1/15
国や企業だけが栄えても… はなこ的考察―良いこと探し
事件報道を見ると、事件を引き起こした人間の殆どが無職や派遣労働者だ。このことは、職の安定が、人間の精神の安定にも欠かせないことを意味していると思う。
言うまでもなく、安定した職を持つということは、単に食べて行く為だけに必要なのではなく、ひとりの人間の自尊心にも関わって来ることなのだろう。
安定した収入と必要十分な社会保障を得ながら働くということが、いかにひとりの人間の自尊心を守り、その心に安寧をもたらし、その未来への展望を明るくするのか、目先の利益を追求するだけの企業の経営者や、自己保身に走るだけの政治家や官僚は、今一度真剣に考えるべきだ。国を形作っているのは、国民ひとりひとりなのだから。
だいたい社会保障制度の基盤を揺るがす成人男女の非婚化も少子化も、元を辿れば、「職の不安定」が原因のひとつであることは、誰の目にも明らか。
残念ながら正社員であっても、けっして安泰とは言えないのが現状だ。社員が職務に励み、会社に多大な利益をもたらしても、その利益の大半が会社の内部留保に吸収されたり、不労の株主に優先的に還元され、労働の対価として正当に社員に還元されない現在の企業の在り方も正されるべきだ。しかも業績悪化の際には容赦なく社員の報酬は削減される。これでは社員の労働意欲も削がれるばかりだ。
この十数年、民間企業の給与水準は下がる一方で、社会保障費負担は年々増大し続けている。そして、今また政府は増税を強行しようとしている。しかし、その経済政策は無為無策に近い。無能な政府はどこまで国民を苦しめ、疲弊させれば気が済むのだ?
まず経済の活性化なくして就労機会の拡大はあり得ないし、さらに増税となれば国民の消費マインドは冷え込み、企業業績は落ち込み、その結果、税収増も政府の目論み通りには行かないだろう。
政府が真っ先に取り組むべきは、政府支出の徹底削減
(@国会議員定数の削減
A議員歳費や諸手当及び公務員給与の削減
B国と地方自治体の重複事業の見直し
C大規模ハコモノ事業の見直し
D特殊法人と天下りの削減
E生活保護制度の見直し
政治・行政には素人の私が思いつくだけでもこれだけあるぞ!
これらをせずに国民に負担ばかりを求めるのは間違っている
)
や、震災復興事業や新たな産業の育成による「雇用の創出」と「経済の活性化」であり、安易な増税(←これはどう考えても、人事を尽くしてから最後の最後にやるべきこと!安易にやるべきことではない!)ではないはずだ。
国や企業が栄えても、国民が不幸ではどうしようもない。
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言うまでもなく、安定した職を持つということは、単に食べて行く為だけに必要なのではなく、ひとりの人間の自尊心にも関わって来ることなのだろう。
安定した収入と必要十分な社会保障を得ながら働くということが、いかにひとりの人間の自尊心を守り、その心に安寧をもたらし、その未来への展望を明るくするのか、目先の利益を追求するだけの企業の経営者や、自己保身に走るだけの政治家や官僚は、今一度真剣に考えるべきだ。国を形作っているのは、国民ひとりひとりなのだから。
だいたい社会保障制度の基盤を揺るがす成人男女の非婚化も少子化も、元を辿れば、「職の不安定」が原因のひとつであることは、誰の目にも明らか。
残念ながら正社員であっても、けっして安泰とは言えないのが現状だ。社員が職務に励み、会社に多大な利益をもたらしても、その利益の大半が会社の内部留保に吸収されたり、不労の株主に優先的に還元され、労働の対価として正当に社員に還元されない現在の企業の在り方も正されるべきだ。しかも業績悪化の際には容赦なく社員の報酬は削減される。これでは社員の労働意欲も削がれるばかりだ。
この十数年、民間企業の給与水準は下がる一方で、社会保障費負担は年々増大し続けている。そして、今また政府は増税を強行しようとしている。しかし、その経済政策は無為無策に近い。無能な政府はどこまで国民を苦しめ、疲弊させれば気が済むのだ?
まず経済の活性化なくして就労機会の拡大はあり得ないし、さらに増税となれば国民の消費マインドは冷え込み、企業業績は落ち込み、その結果、税収増も政府の目論み通りには行かないだろう。
政府が真っ先に取り組むべきは、政府支出の徹底削減
(@国会議員定数の削減
A議員歳費や諸手当及び公務員給与の削減
B国と地方自治体の重複事業の見直し
C大規模ハコモノ事業の見直し
D特殊法人と天下りの削減
E生活保護制度の見直し
政治・行政には素人の私が思いつくだけでもこれだけあるぞ!
これらをせずに国民に負担ばかりを求めるのは間違っている
や、震災復興事業や新たな産業の育成による「雇用の創出」と「経済の活性化」であり、安易な増税(←これはどう考えても、人事を尽くしてから最後の最後にやるべきこと!安易にやるべきことではない!)ではないはずだ。
国や企業が栄えても、国民が不幸ではどうしようもない。
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2012/1/15
奪われる時間。奪われる未来。 はなこの好奇心MEMO
日中電車に乗ると、最近は車内で本や新聞を読んでいる乗客の姿をめっきり見かけなくなった。新聞や本に取って代わったのは、スマホや携帯電話や携帯ゲーム機のようだ。
上京して間もない頃(今から30年近く前)、「東京の人は勤勉だなあ」と田舎者の私を感心させた、読書に勤しむ数多の乗客は今いずこ?特に読書する若者の姿が殆ど見られないことには危機感すら覚える。逆に、たまに見かけるとホッとするし、心の中で「この若者の未来に幸あれ」とエールを送っている。
もちろん、電車で読書をしない人が、他の場所でも一切読書をしないわけではないと思うが、電車でモバイル機器に心を奪われている人が、どんな場所でも寸暇を惜しんでモバイル機器の画面を覗いている可能性はかなり高いと思う。
端から見ると、液晶画面に全神経を集中している姿は奇妙だ。モバイル機器にすっかり隷属してしまっているように見える。
どう見てもモバイル機器が、人から時間や他のことを楽しむ自由を奪っている。特にゲームに熱中している若者を見ると、貴重な青春期の時間が無駄に費やされて行くような気がして、オバチャンはとてもモッタイナイ気がする。
私も年齢を重ねた今だから言えるのかもしれないが、若い時ほど体力があるので何事に対しても集中力を保つことができ、より多くのことを吸収できる。だから何かを体得するにしても、若い時ほど短期日に効率良く体得できる。キャリアを積み上げて行くのも、スタートが早ければ早いほど良いに決まっている。
一時の、その場限りの快楽の為に、若者が自己研鑽のチャンスをみすみす逃してしまうことは、本当に残念なことである。社会にとっても大きな損失に違いない。
若者達の手本となるべき大人にしても、最近は怠惰な人が増えたように見える。大人は生きている限り自ら学び続け、広い視野でモノゴトを考え、判断することを怠ってはいけないと思う。さもなくば、自分自身のみならず、社会全体にも悪影響を及ぼす。このところの政治や社会倫理のていたらくも、我々大人に責任の一端があるはずだ。
モバイル機器を捨てろとまでは言わないが、現代人はもう少し機器との付き合い方を考えるべきではないか?現状はどう見ても、モバイル機器の革新に人間が振り回されている格好だ。
あくまでも主体は自分自身であって、人間はモバイル機器の奴隷になってはいけない。モバイル機器と一定の距離を保つ為にも、電車の中でぐらいは読書や瞑想
、或いは人間観察
など、意識的に違う時間の過ごし方をした方が良いと思う。
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上京して間もない頃(今から30年近く前)、「東京の人は勤勉だなあ」と田舎者の私を感心させた、読書に勤しむ数多の乗客は今いずこ?特に読書する若者の姿が殆ど見られないことには危機感すら覚える。逆に、たまに見かけるとホッとするし、心の中で「この若者の未来に幸あれ」とエールを送っている。
もちろん、電車で読書をしない人が、他の場所でも一切読書をしないわけではないと思うが、電車でモバイル機器に心を奪われている人が、どんな場所でも寸暇を惜しんでモバイル機器の画面を覗いている可能性はかなり高いと思う。
端から見ると、液晶画面に全神経を集中している姿は奇妙だ。モバイル機器にすっかり隷属してしまっているように見える。
どう見てもモバイル機器が、人から時間や他のことを楽しむ自由を奪っている。特にゲームに熱中している若者を見ると、貴重な青春期の時間が無駄に費やされて行くような気がして、オバチャンはとてもモッタイナイ気がする。
私も年齢を重ねた今だから言えるのかもしれないが、若い時ほど体力があるので何事に対しても集中力を保つことができ、より多くのことを吸収できる。だから何かを体得するにしても、若い時ほど短期日に効率良く体得できる。キャリアを積み上げて行くのも、スタートが早ければ早いほど良いに決まっている。
一時の、その場限りの快楽の為に、若者が自己研鑽のチャンスをみすみす逃してしまうことは、本当に残念なことである。社会にとっても大きな損失に違いない。
若者達の手本となるべき大人にしても、最近は怠惰な人が増えたように見える。大人は生きている限り自ら学び続け、広い視野でモノゴトを考え、判断することを怠ってはいけないと思う。さもなくば、自分自身のみならず、社会全体にも悪影響を及ぼす。このところの政治や社会倫理のていたらくも、我々大人に責任の一端があるはずだ。
モバイル機器を捨てろとまでは言わないが、現代人はもう少し機器との付き合い方を考えるべきではないか?現状はどう見ても、モバイル機器の革新に人間が振り回されている格好だ。
あくまでも主体は自分自身であって、人間はモバイル機器の奴隷になってはいけない。モバイル機器と一定の距離を保つ為にも、電車の中でぐらいは読書や瞑想
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2011/12/31
皆様も良いお年をお迎え下さい。 日記
当ブログに来て下さった皆様、どうもご無沙汰しております。
書きたいことは数多(特に映画の感想など)あれど、この時期は主婦という立場上何かと忙しく、PCを触ることもままなりません。
今回、年末年始は帰省せず、自宅で過ごします。自分のできる範囲で、正月準備を整えています。
時間が許せば、新年早々にもブログを更新したいと思っています。
管理人の個人的事情により時々更新が滞りがちな当ブログですが、本年もお付き合い下さり、ありがとうございました。よろしければ、来年もお付き合い下さいませ。
来る年が皆様にとって良い年となりますように。
はなこ
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書きたいことは数多(特に映画の感想など)あれど、この時期は主婦という立場上何かと忙しく、PCを触ることもままなりません。
今回、年末年始は帰省せず、自宅で過ごします。自分のできる範囲で、正月準備を整えています。
時間が許せば、新年早々にもブログを更新したいと思っています。
管理人の個人的事情により時々更新が滞りがちな当ブログですが、本年もお付き合い下さり、ありがとうございました。よろしければ、来年もお付き合い下さいませ。
来る年が皆様にとって良い年となりますように。
はなこ

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2011/12/19
親バカ3連発でスミマセン 家族
最初に断っておきます。親バカ全開でスミマセンm(_ _)m。
でも嬉しいのです。生後まもなくの海外赴任で、赴任先の特殊事情から同世代との遊びもままならずに3才半で帰国した時の息子には言葉の遅れがありました。しかも親として「本好きの子になって欲しい」という願いもあって、生後まもなくから私が読み聞かせを続けて来たにも関わらず、当の息子は一切本や活字に興味を示さず、それが影響しての壊滅的な国語力(因みに私は中高を通じて国語の成績は学年でトップでした)は全ての科目の足を引っ張りました。その結果、中学受験も、大学受験でも、息子は第一志望校への進学が叶わなかったのですが、その息子が大学に入学後、親が驚くほどの目覚ましい変貌を遂げているのです。
「全てのものには時がある」とは聖書の言葉ですが、まさに今、息子は自身の能力の開眼の時を迎えたのかもしれません。特に大学の中でも実績と伝統ある部活の部長に選ばれたことが、彼の良い意味での転機になったように思います。
彼を見ていると、とにかく忙しない。誰もが履修するわけではない教職科目は夜間に集中する為、彼の帰宅は週日常に午後9時近くになります。必修科目は朝一から入っていたりするので、それこそ朝から晩まで大学にいる状態です。
帰宅後は夕食、入浴を済ませ、ほぼ毎日課題レポートだけでなく、部活におけるトラブル対応や大学事務局に提出する各種書類の記入など、部活の部長としての仕事もこなします。時にはそのあまりの煩雑さに、彼の口からは「部長なんて所詮雑用係なんだ。誰も好きこのんでやりたがらない」とのぼやきも。先週も3日間、全ての授業が終わった午後9時以降、来年度予算折衝のミィーティングに部長として出席する為、連日帰宅時間は11時近くになりました。
土日も各種大会への参加や他大学との交流会など、部活関連の行事が目白押しです。それら全てを部長として取り仕切るので、彼はほぼ皆出席。その合間を縫って、夜間には時々居酒屋の厨房で調理のバイトもこなします(後期の履修スケジュールの都合上、生徒さんの週2回の実施の要望に応えられなくなったので、家庭教師のバイトは夏休み前に辞めざるを得なくなりました)。因みに今年の夏休みは最後のロボコン大会参加に心血を注ぎ、ほぼ毎日大学に通いロボット制作に明け暮れ、休みはなかったも同然です。
そんな彼の忙しさを見ていると、先日テレビニュースで見かけた、首都圏の私立大学に通うと言う、同学年のある文系学生の話が信じられません。その学生は就活に集中したい為、1,2年でできるだけ多くの単位を取得し、3年次後期の出校日はわずか2日で、履修科目もせいぜい4コマくらいとのこと。この学生の例は極端な例なのかもしれませんが、文系学生と理系学生の学習量の違いをまざまざと見せつけられたように思いました。
息子は今年度前期は必修科目がほぼオールA(息子の大学はテストで90点以上がA)の成績で、先日受験したTOEICでは、自身の目標である730点を突破して、765点をマークしました。1年次に500点、2年次は650点と着実に点数をアップさせ、今回の結果に繋がりました。時間のない彼は、この3カ月、通学途中のバスと電車の中でずっとTOEICに向けて勉強したそうです(普段はなんと読書に余念がないらしく、次々と本を読破しています。私が読んで面白いと思った本も薦めると、二つ返事で受け取って、数日のうちに読んでしまいます。はてさて、あの本嫌い、活字嫌いの彼は今いずこ?)。
因みに彼の今回のスコアは、昨年のデータに当てはめれば、全受験生の上位6%以内に入ります(因みに理工系農学系学生3年次の平均は409点)。TOEICのスコアは大学院入試で考慮される為彼は受験したのですが、とりあえず主だった一流大学が入学志望者に求めるスコア730点を今回突破できたので、今後は大学院入試に向けて専門科目の勉強に集中したいと言っていました。
夫も私も予想以上の高スコアに驚き、喜びましたが、それ以上に嬉しかったのは、地道な努力が物を言うこうしたテストで、彼が結果を出したことです。彼の不断の努力が実を結び、確実に前進していることが、彼の成長を何より楽しみにしている親としては嬉しい。こうした小さな成功体験の積み重ねが、彼の内に自信を醸成し、さらなる成長、前進の力強いエンジンになることでしょう。
トドメは息子が部活の先輩と共に大学広報誌の表紙を飾ったことです。季刊で発行される大学名を冠したその広報誌は、その時々の話題の人物や、何らかの実績を上げた人物が、その表紙を飾るそうです。
今回は先輩5人のグループが製作したエコカーが、ホンダ主催の全国大会で入賞を果たしたことで表紙を飾ったわけですが、息子はその製作に直接関わったわけではないにせよ、所属部活の部長として、共にその栄誉に与ったのです。彼が入部した時からずっとお世話になった先輩方の晴れ姿に立ち会えた感動は、彼の胸に深く刻まれたことでしょう。もちろん、夫も私も大喜びです。
子育ては誰しも万事順調とはいかないものだと思います。我が子の躓きや足踏みに、親として心を痛めることは、長い子育て期間の中で1度や2度ではないでしょう。それでも、我が子が我が子なりに日々成長するのを、我が子を信じて見守るのが親の務めであり、喜びでもある。子育てのゴールはあくまでも我が子の巣立ち、自立です。せっかく自分のもとに生まれて来てくれた我が子が自立に向けて頑張るのを、その巣立ちの時まで、私も親として陰に日向に支えて行きたいと思います。
そう常々思っている私の目には、このところの子どもを巡る痛ましい事件の数々は信じがたいものです。せっかく授かった命を、全ての親は大切に守り育てて欲しいと心から願っています。
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でも嬉しいのです。生後まもなくの海外赴任で、赴任先の特殊事情から同世代との遊びもままならずに3才半で帰国した時の息子には言葉の遅れがありました。しかも親として「本好きの子になって欲しい」という願いもあって、生後まもなくから私が読み聞かせを続けて来たにも関わらず、当の息子は一切本や活字に興味を示さず、それが影響しての壊滅的な国語力(因みに私は中高を通じて国語の成績は学年でトップでした)は全ての科目の足を引っ張りました。その結果、中学受験も、大学受験でも、息子は第一志望校への進学が叶わなかったのですが、その息子が大学に入学後、親が驚くほどの目覚ましい変貌を遂げているのです。
「全てのものには時がある」とは聖書の言葉ですが、まさに今、息子は自身の能力の開眼の時を迎えたのかもしれません。特に大学の中でも実績と伝統ある部活の部長に選ばれたことが、彼の良い意味での転機になったように思います。
彼を見ていると、とにかく忙しない。誰もが履修するわけではない教職科目は夜間に集中する為、彼の帰宅は週日常に午後9時近くになります。必修科目は朝一から入っていたりするので、それこそ朝から晩まで大学にいる状態です。
帰宅後は夕食、入浴を済ませ、ほぼ毎日課題レポートだけでなく、部活におけるトラブル対応や大学事務局に提出する各種書類の記入など、部活の部長としての仕事もこなします。時にはそのあまりの煩雑さに、彼の口からは「部長なんて所詮雑用係なんだ。誰も好きこのんでやりたがらない」とのぼやきも。先週も3日間、全ての授業が終わった午後9時以降、来年度予算折衝のミィーティングに部長として出席する為、連日帰宅時間は11時近くになりました。
土日も各種大会への参加や他大学との交流会など、部活関連の行事が目白押しです。それら全てを部長として取り仕切るので、彼はほぼ皆出席。その合間を縫って、夜間には時々居酒屋の厨房で調理のバイトもこなします(後期の履修スケジュールの都合上、生徒さんの週2回の実施の要望に応えられなくなったので、家庭教師のバイトは夏休み前に辞めざるを得なくなりました)。因みに今年の夏休みは最後のロボコン大会参加に心血を注ぎ、ほぼ毎日大学に通いロボット制作に明け暮れ、休みはなかったも同然です。
そんな彼の忙しさを見ていると、先日テレビニュースで見かけた、首都圏の私立大学に通うと言う、同学年のある文系学生の話が信じられません。その学生は就活に集中したい為、1,2年でできるだけ多くの単位を取得し、3年次後期の出校日はわずか2日で、履修科目もせいぜい4コマくらいとのこと。この学生の例は極端な例なのかもしれませんが、文系学生と理系学生の学習量の違いをまざまざと見せつけられたように思いました。
息子は今年度前期は必修科目がほぼオールA(息子の大学はテストで90点以上がA)の成績で、先日受験したTOEICでは、自身の目標である730点を突破して、765点をマークしました。1年次に500点、2年次は650点と着実に点数をアップさせ、今回の結果に繋がりました。時間のない彼は、この3カ月、通学途中のバスと電車の中でずっとTOEICに向けて勉強したそうです(普段はなんと読書に余念がないらしく、次々と本を読破しています。私が読んで面白いと思った本も薦めると、二つ返事で受け取って、数日のうちに読んでしまいます。はてさて、あの本嫌い、活字嫌いの彼は今いずこ?)。因みに彼の今回のスコアは、昨年のデータに当てはめれば、全受験生の上位6%以内に入ります(因みに理工系農学系学生3年次の平均は409点)。TOEICのスコアは大学院入試で考慮される為彼は受験したのですが、とりあえず主だった一流大学が入学志望者に求めるスコア730点を今回突破できたので、今後は大学院入試に向けて専門科目の勉強に集中したいと言っていました。
夫も私も予想以上の高スコアに驚き、喜びましたが、それ以上に嬉しかったのは、地道な努力が物を言うこうしたテストで、彼が結果を出したことです。彼の不断の努力が実を結び、確実に前進していることが、彼の成長を何より楽しみにしている親としては嬉しい。こうした小さな成功体験の積み重ねが、彼の内に自信を醸成し、さらなる成長、前進の力強いエンジンになることでしょう。
トドメは息子が部活の先輩と共に大学広報誌の表紙を飾ったことです。季刊で発行される大学名を冠したその広報誌は、その時々の話題の人物や、何らかの実績を上げた人物が、その表紙を飾るそうです。今回は先輩5人のグループが製作したエコカーが、ホンダ主催の全国大会で入賞を果たしたことで表紙を飾ったわけですが、息子はその製作に直接関わったわけではないにせよ、所属部活の部長として、共にその栄誉に与ったのです。彼が入部した時からずっとお世話になった先輩方の晴れ姿に立ち会えた感動は、彼の胸に深く刻まれたことでしょう。もちろん、夫も私も大喜びです。
子育ては誰しも万事順調とはいかないものだと思います。我が子の躓きや足踏みに、親として心を痛めることは、長い子育て期間の中で1度や2度ではないでしょう。それでも、我が子が我が子なりに日々成長するのを、我が子を信じて見守るのが親の務めであり、喜びでもある。子育てのゴールはあくまでも我が子の巣立ち、自立です。せっかく自分のもとに生まれて来てくれた我が子が自立に向けて頑張るのを、その巣立ちの時まで、私も親として陰に日向に支えて行きたいと思います。
そう常々思っている私の目には、このところの子どもを巡る痛ましい事件の数々は信じがたいものです。せっかく授かった命を、全ての親は大切に守り育てて欲しいと心から願っています。
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2011/12/18
おかしいと思ったら声をあげないと… はなこ的考察―良いこと探し
土曜日のことである。夫と二人で、トム・クルーズのミッション:インポッシブルシリーズ最新作「ゴースト・プロトコル」を某シネコンで見た。
評判の高いアクション大作とあって、某シネコンの中でも最大の座席数の劇場での上映である。542席がほぼ満席に近い状態の中、巨大なスクリーンは本編上映前のCMや近日公開作品の予告編を次々と映し出していた。
ところが…目前に映し出される映像がおかしい。映像があたかもスクリーンからはみ出したかのように、上下左右がチョン切れているのである。スクリーン下部のテロップの文字も下半分がチョン切れた状態だ。
当初は何らかの操作ミスでもあって、何れ映写技術者によって修正されるだろうと思った。しかし、刻一刻と本編上映の時間が迫りつつあるのに、一向に映像の不可思議なトリミングは修正される気配がない。観客もそれに違和感を覚えたのか、次第に場内はざわついて来た。
夫も私もこの事態に異常を感じ、通路側にいた私は夫に促されたこともあって、小走りで劇場を出て、入口のチケットもぎりの担当者に、そのことを伝えに向かった。
ところが、通常もぎり担当は2人いるはずが、その時に限って1人しかいない。しかも入場者が続々と詰めかけ、なかなか声をかけることもできない。その間にも上映開始時間は刻一刻と迫っている。やきもきしながら、人波の間隙を縫って、私はもぎりの女性に声をかけた。
すると、スタッフ女性は装着したイヤフォンマイクで、すぐさま別のスタッフを呼び寄せた。私はスタッフと共に劇場へと向かった。
スクリーンの映像を目の当たりにしたスタッフは即座に「左右のカーテンが完全に開ききっていませんね。」と言って、さらに応援を呼んだ。やはり、スタッフの目にも、これは異常事態であるらしい。後はスタッフに事態の処理を委ね、私は自分の席に戻った。
直後、場内が明るくなり、映像もストップすると、スーツ姿の男性スタッフが劇場脇に登場し、「異常事態の収拾を図った後、本編上映を開始する」旨をアナウンスした。カーテンの遠隔操作機能に問題があるのか、さらにスーツ姿の男性スタッフが2,3人、スクリーン脇に馳せ参じて、手動でカーテンを開いた。こうして漸く本編上映が始まった。
こちらのイライラと不安をよそに、本編は何事もなかったように始まった…
今回の件で思ったこと。500人以上の観客がいながら、結局スタッフにスクリーンの異常を指摘したのが私だけというのは、何とも残念な結果である。少なからぬ人々はスクリーンの異常事態に気づいていたはずである。それでも自ら動こうとせず、自分がやらなくても誰かがスタッフに伝えてくれるだろうと安穏に構えていたフシがある。
日本人は一事が万事、こうした傾向がないか?おかしいと内心思っていても、人任せで自ら動こうとしない。おかしな事態に不便や不合理を強いられても、声を上げようとせず、その境遇に甘んじている。
これは我慢強いというより、怠慢である。こうした気風が、社会の在りようを危うくしている要因のひとつだと、私は思う。
やっぱりさ、「何かおかしい。変だ。」と思ったら、声をあげようよ!
そうしないと、事態はますます悪い方向へと流れる一方だと思う。
自ら考え、立ち上がり、声をあげないとね。
それから今回トラブった某シネコンのスタッフに言いたいのは、本編上映前に映像の最終チェックを怠らないで欲しいと言うことだ。実際、近隣の競合シネコンでは、常に本編上映前にひとりのスタッフが場内の隅に立ち、映像の最終確認を行っている。一見地味な作業ながら、「常に一定の品質の映像を観客に提供する」と言う、シネコンとして必須のサービスを確実になものにする作業だと思う。これに限らず、シネコンは同業他社の素晴らしい点はどんどん取り入れてより良いサービスに努め、質の高い娯楽を提供して欲しい。そういう不断の努力なくして、映画産業の発展もあり得ないと思うから。
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評判の高いアクション大作とあって、某シネコンの中でも最大の座席数の劇場での上映である。542席がほぼ満席に近い状態の中、巨大なスクリーンは本編上映前のCMや近日公開作品の予告編を次々と映し出していた。
ところが…目前に映し出される映像がおかしい。映像があたかもスクリーンからはみ出したかのように、上下左右がチョン切れているのである。スクリーン下部のテロップの文字も下半分がチョン切れた状態だ。
当初は何らかの操作ミスでもあって、何れ映写技術者によって修正されるだろうと思った。しかし、刻一刻と本編上映の時間が迫りつつあるのに、一向に映像の不可思議なトリミングは修正される気配がない。観客もそれに違和感を覚えたのか、次第に場内はざわついて来た。
夫も私もこの事態に異常を感じ、通路側にいた私は夫に促されたこともあって、小走りで劇場を出て、入口のチケットもぎりの担当者に、そのことを伝えに向かった。
ところが、通常もぎり担当は2人いるはずが、その時に限って1人しかいない。しかも入場者が続々と詰めかけ、なかなか声をかけることもできない。その間にも上映開始時間は刻一刻と迫っている。やきもきしながら、人波の間隙を縫って、私はもぎりの女性に声をかけた。
すると、スタッフ女性は装着したイヤフォンマイクで、すぐさま別のスタッフを呼び寄せた。私はスタッフと共に劇場へと向かった。
スクリーンの映像を目の当たりにしたスタッフは即座に「左右のカーテンが完全に開ききっていませんね。」と言って、さらに応援を呼んだ。やはり、スタッフの目にも、これは異常事態であるらしい。後はスタッフに事態の処理を委ね、私は自分の席に戻った。
直後、場内が明るくなり、映像もストップすると、スーツ姿の男性スタッフが劇場脇に登場し、「異常事態の収拾を図った後、本編上映を開始する」旨をアナウンスした。カーテンの遠隔操作機能に問題があるのか、さらにスーツ姿の男性スタッフが2,3人、スクリーン脇に馳せ参じて、手動でカーテンを開いた。こうして漸く本編上映が始まった。
こちらのイライラと不安をよそに、本編は何事もなかったように始まった…
今回の件で思ったこと。500人以上の観客がいながら、結局スタッフにスクリーンの異常を指摘したのが私だけというのは、何とも残念な結果である。少なからぬ人々はスクリーンの異常事態に気づいていたはずである。それでも自ら動こうとせず、自分がやらなくても誰かがスタッフに伝えてくれるだろうと安穏に構えていたフシがある。
日本人は一事が万事、こうした傾向がないか?おかしいと内心思っていても、人任せで自ら動こうとしない。おかしな事態に不便や不合理を強いられても、声を上げようとせず、その境遇に甘んじている。
これは我慢強いというより、怠慢である。こうした気風が、社会の在りようを危うくしている要因のひとつだと、私は思う。
やっぱりさ、「何かおかしい。変だ。」と思ったら、声をあげようよ!
そうしないと、事態はますます悪い方向へと流れる一方だと思う。
自ら考え、立ち上がり、声をあげないとね。
それから今回トラブった某シネコンのスタッフに言いたいのは、本編上映前に映像の最終チェックを怠らないで欲しいと言うことだ。実際、近隣の競合シネコンでは、常に本編上映前にひとりのスタッフが場内の隅に立ち、映像の最終確認を行っている。一見地味な作業ながら、「常に一定の品質の映像を観客に提供する」と言う、シネコンとして必須のサービスを確実になものにする作業だと思う。これに限らず、シネコンは同業他社の素晴らしい点はどんどん取り入れてより良いサービスに努め、質の高い娯楽を提供して欲しい。そういう不断の努力なくして、映画産業の発展もあり得ないと思うから。
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2011/11/16
「ひるおび」を見ての感想〜チョット辛辣 はなこの好奇心MEMO
療養中、久しぶりに昼間のワイドショーを見たりした。
某日、政治・経済等など硬派なテーマを取り上げて視聴率が好調と言う「ひるおび」(TBS)を見てみると、その日は「年金問題」がテーマだった。それを見て気になったのが、司会を務める恵俊彰の不勉強ぶりと言うか基礎学力不足だ。
番組では祖父・父・孫の3世代を比較して、年金の世代間格差を解説していた。大雑把に言うと、こんな具合だ。
祖父が現役時代、年金保険料の負担率は、収入の3%だった。ところが、現在の現役世代はその6倍の18%にのぼる。そして祖父の時代、年金支給は55才開始だったが、その後徐々に支給開始年齢は引き上げられ、今では68才開始が取り沙汰されている。これによって、年金保険料の負担総額に対する年金支給総額において、世代間で大きな不公平が生じている。
で、これで恵俊彰の学力不足がなぜ露呈したかと言うと、当然の話として、ここでは世代間の負担"率"の違いを問題視しているのに、恵は「時代が時代だから、物価も違いますよね」と、ワケのわからないことを言っていた。そこでコメンテーターのひとりである弁護士が「だから、ここでは"率"のことを言っているので、物価云々は関係ないですよ」とやんわり否定していたのだが、どうも恵は、弁護士の指摘の主旨を理解していないようだった。
「割合」は確か小学校の「算数」で教わる項目だ。時代が昔だろうが今だろうが、物価がどうであろうが、収入の3%の負担と、20%近い負担とでは、後者の方が重い負担であることは中学生でもわかることだろう。後日、TPPをテーマに取り上げた際にも、彼の認識不足は明らかだった。
昼間に在宅している視聴者を年金世代や専業主婦で、全般的に経済に疎いと想定し、仮に恵の立ち位置をその代弁者としているとしても、恵がその日に取り上げるテーマについて、無知・無理解であるのはおかしいと思う。門外漢としての視点は大事にしつつも、番組の看板である司会者として、取り上げるテーマについてある程度把握した上で、番組に臨むべきではないか。滞りなく番組を進行させるだけの司会なら、わざわざ高いギャラを払ってタレントを起用する意味はないと思う。局アナで十分である。
その点、不祥事で既に引退した島田紳助は、報道番組「サンデープロジェクト」の司会に起用された際に、政治経済について猛勉強したと言われている。島田紳助は不遜なところが鼻につく人物だったが、一方で的確で鋭いコメントも少なくなかった。少なくとも一家言を持っていた。恵には果たして、それがあるのか?
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某日、政治・経済等など硬派なテーマを取り上げて視聴率が好調と言う「ひるおび」(TBS)を見てみると、その日は「年金問題」がテーマだった。それを見て気になったのが、司会を務める恵俊彰の不勉強ぶりと言うか基礎学力不足だ。
番組では祖父・父・孫の3世代を比較して、年金の世代間格差を解説していた。大雑把に言うと、こんな具合だ。
祖父が現役時代、年金保険料の負担率は、収入の3%だった。ところが、現在の現役世代はその6倍の18%にのぼる。そして祖父の時代、年金支給は55才開始だったが、その後徐々に支給開始年齢は引き上げられ、今では68才開始が取り沙汰されている。これによって、年金保険料の負担総額に対する年金支給総額において、世代間で大きな不公平が生じている。
で、これで恵俊彰の学力不足がなぜ露呈したかと言うと、当然の話として、ここでは世代間の負担"率"の違いを問題視しているのに、恵は「時代が時代だから、物価も違いますよね」と、ワケのわからないことを言っていた。そこでコメンテーターのひとりである弁護士が「だから、ここでは"率"のことを言っているので、物価云々は関係ないですよ」とやんわり否定していたのだが、どうも恵は、弁護士の指摘の主旨を理解していないようだった。
「割合」は確か小学校の「算数」で教わる項目だ。時代が昔だろうが今だろうが、物価がどうであろうが、収入の3%の負担と、20%近い負担とでは、後者の方が重い負担であることは中学生でもわかることだろう。後日、TPPをテーマに取り上げた際にも、彼の認識不足は明らかだった。
昼間に在宅している視聴者を年金世代や専業主婦で、全般的に経済に疎いと想定し、仮に恵の立ち位置をその代弁者としているとしても、恵がその日に取り上げるテーマについて、無知・無理解であるのはおかしいと思う。門外漢としての視点は大事にしつつも、番組の看板である司会者として、取り上げるテーマについてある程度把握した上で、番組に臨むべきではないか。滞りなく番組を進行させるだけの司会なら、わざわざ高いギャラを払ってタレントを起用する意味はないと思う。局アナで十分である。
その点、不祥事で既に引退した島田紳助は、報道番組「サンデープロジェクト」の司会に起用された際に、政治経済について猛勉強したと言われている。島田紳助は不遜なところが鼻につく人物だったが、一方で的確で鋭いコメントも少なくなかった。少なくとも一家言を持っていた。恵には果たして、それがあるのか?
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2011/11/7
思いがけず…肺炎(-_-) 日記
10月24日(月)から猛烈な喉の痛みを感じ、翌日はたまたま持病の定期検査の日だったので、病院で風邪薬を処方していただき、飲んでいたのですが、解熱剤が効かず高熱が続きました。そして、どうしようもなく体がだるい。
翌週、再び病院で診てもらったところ、胸の音と採血とCT画像で肺炎と判明。その後、ずっと療養していました。
今日、病院で再検査したところ、快方に向かってはいるものの、採血の検査数値に多少問題があり、まだ肺に影もあるとのことで、引き続き療養します。
コメントやメールへの返信が滞っておりますが、事情をご理解の上、ご容赦下さい。
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翌週、再び病院で診てもらったところ、胸の音と採血とCT画像で肺炎と判明。その後、ずっと療養していました。
今日、病院で再検査したところ、快方に向かってはいるものの、採血の検査数値に多少問題があり、まだ肺に影もあるとのことで、引き続き療養します。
コメントやメールへの返信が滞っておりますが、事情をご理解の上、ご容赦下さい。
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2011/10/23
「映画小僧」な三池崇史監督♪ 映画
今日、面白い記事を読みました。現在、ノリにノッテいる映画監督のひとり、三池崇史監督へのインタビュー記事です。まさに「映画小僧」な監督の魅力が詰まった内容となっています。これはインタビュアーの勝利かな?
インタビューの出来の良し悪しは、インタビュアーの入念な下準備に基づく、的を射た質問の投げかけで決まるのではないでしょうか?単なる「ヨイショ」ではなく、受け手の心の琴線に触れるような真摯な問いかけこそが、その内面奥深くに迫ることができる。受け手本人の内でさえ曖昧模糊としていた思い・考えが、優れたインタビュアーのひと言によってクッキリとした輪郭を顕す奇跡が起きるのも、インタビューの醍醐味なのかも。
逆に最近、酷いなと思ったのは、東京MX『5時に夢中サタデー』内での逸見太郎による、向井理へのインタビュー。太郎クンは事前にちゃんと質問内容について考えていたのかな?インタビュー中、要領を得ない、的外れな逸見太郎の質問に、(利発で、少々短気なところがある)向井理がイライラしているのが見てとれたほどでした
(特に今回は自身の主演映画の宣伝で、何十社からもインタビューを受けていたので、向井理はかなり疲れていたはずです)。
太郎クンは人生初のインタビューで舞い上がってしまったのかもしれませんが、次回はもっと"考えた"インタビューをすべきでしょう。インタビューにも"戦略"が必要だと思います。
あと5〜6年で時代劇(映画・テレビ)の黄金期を支えた、時代劇のすべてを知る裏方スタッフが引退の時期を迎えてしまう。そのことに危機感を覚えた監督は京都に赴き、彼らの全面的サポートを得て、最新作『一命』を撮ったそうです。インタビュー中、監督の彼らに対する敬意が言葉の端々に顕れていて、読んでいるこちらも胸が熱くなりました。
このところ、テレビからは次々と「時代劇」が消えていますが(あの長寿番組『水戸黄門』でさえ消え去ろうとしています)、そうこうしているうちに、作り手さえ現場からいなくなってしまう。この事態に、テレビ業界は何の危機感も覚えないのでしょうか?ケーブルテレビでは「時代劇チャンネル」で、過去の作品を見ることはできますが、作り続けることを現場が放棄してしまったら、その時点で制作ノウハウの継承は絶たれてしまいます。それはひとつの文化を失うことに等しい。失ってから、その損失の大きさを嘆いても遅いのに…
その作品の持つ剛胆なイメージと、その風貌のワイルドさとは裏腹に、インタビューから見えて来る、監督の映画の作り手としての謙虚さ、繊細さが、私には新鮮な驚きでした。全編から、映画を愛して止まない監督の情熱がストレートに伝わって来ました。馴れ合いを嫌い、プライベートではスタッフや出演陣と一線を画す監督のクールな一面も。だからこそ、現場ではその一瞬一瞬が、プロとプロの真剣勝負たり得るのでしょう。「すべては最高の映画を世に送り出すために」〜この心意気が素敵です!
また、プライベートと仕事を明確に区別している監督の目から見た、『一命』主演の市川海老蔵評も興味深い。昨年末プライベートで問題を起こしたがために仕事に穴を空け、一時謹慎していた海老蔵。その彼を、役者として高く評価している点が注目されます。
インタビューの最後では3月11日の震災に触れて、「クリエイターとして、時代とどう向き合うのか」と言う命題に、監督なりの考えを述べていますが、常に奢ることなく、自らを省みる姿勢が素晴らしいと思いました。
久々に読み応えのある記事でした。
◆計算ずくで撮ったものが、果たして「映画」と言えるのか?(『VOICE』2011年11月号より) 聞き手:五十川晶子氏
当ブログ内「三池崇史監督関連」記事:映画レビュー『十三人の刺客』
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インタビューの出来の良し悪しは、インタビュアーの入念な下準備に基づく、的を射た質問の投げかけで決まるのではないでしょうか?単なる「ヨイショ」ではなく、受け手の心の琴線に触れるような真摯な問いかけこそが、その内面奥深くに迫ることができる。受け手本人の内でさえ曖昧模糊としていた思い・考えが、優れたインタビュアーのひと言によってクッキリとした輪郭を顕す奇跡が起きるのも、インタビューの醍醐味なのかも。
逆に最近、酷いなと思ったのは、東京MX『5時に夢中サタデー』内での逸見太郎による、向井理へのインタビュー。太郎クンは事前にちゃんと質問内容について考えていたのかな?インタビュー中、要領を得ない、的外れな逸見太郎の質問に、(利発で、少々短気なところがある)向井理がイライラしているのが見てとれたほどでした
太郎クンは人生初のインタビューで舞い上がってしまったのかもしれませんが、次回はもっと"考えた"インタビューをすべきでしょう。インタビューにも"戦略"が必要だと思います。
あと5〜6年で時代劇(映画・テレビ)の黄金期を支えた、時代劇のすべてを知る裏方スタッフが引退の時期を迎えてしまう。そのことに危機感を覚えた監督は京都に赴き、彼らの全面的サポートを得て、最新作『一命』を撮ったそうです。インタビュー中、監督の彼らに対する敬意が言葉の端々に顕れていて、読んでいるこちらも胸が熱くなりました。このところ、テレビからは次々と「時代劇」が消えていますが(あの長寿番組『水戸黄門』でさえ消え去ろうとしています)、そうこうしているうちに、作り手さえ現場からいなくなってしまう。この事態に、テレビ業界は何の危機感も覚えないのでしょうか?ケーブルテレビでは「時代劇チャンネル」で、過去の作品を見ることはできますが、作り続けることを現場が放棄してしまったら、その時点で制作ノウハウの継承は絶たれてしまいます。それはひとつの文化を失うことに等しい。失ってから、その損失の大きさを嘆いても遅いのに…
その作品の持つ剛胆なイメージと、その風貌のワイルドさとは裏腹に、インタビューから見えて来る、監督の映画の作り手としての謙虚さ、繊細さが、私には新鮮な驚きでした。全編から、映画を愛して止まない監督の情熱がストレートに伝わって来ました。馴れ合いを嫌い、プライベートではスタッフや出演陣と一線を画す監督のクールな一面も。だからこそ、現場ではその一瞬一瞬が、プロとプロの真剣勝負たり得るのでしょう。「すべては最高の映画を世に送り出すために」〜この心意気が素敵です!
また、プライベートと仕事を明確に区別している監督の目から見た、『一命』主演の市川海老蔵評も興味深い。昨年末プライベートで問題を起こしたがために仕事に穴を空け、一時謹慎していた海老蔵。その彼を、役者として高く評価している点が注目されます。
インタビューの最後では3月11日の震災に触れて、「クリエイターとして、時代とどう向き合うのか」と言う命題に、監督なりの考えを述べていますが、常に奢ることなく、自らを省みる姿勢が素晴らしいと思いました。
久々に読み応えのある記事でした。
◆計算ずくで撮ったものが、果たして「映画」と言えるのか?(『VOICE』2011年11月号より) 聞き手:五十川晶子氏
当ブログ内「三池崇史監督関連」記事:映画レビュー『十三人の刺客』
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2011/10/19
明治神宮→東京オペラシティ→都庁展望台 散歩の記録
左図は明治神宮境内図(明治神宮リーフレットより)で、今回の散歩ルートを付加してみました。IR原宿駅から神宮橋を渡り
以前、三渓園で藤棚の下で、老夫婦が奥様手作りと思しきお弁当を食べている姿を微笑ましく見た記憶がありますが、もっと気軽に散歩に出かけたいのなら、駅にある(権兵衛等の)おにぎりのテイクアウト店でおにぎりを買うのがおススメです
飲物は水筒に入れて自宅から持参するか、もし外で飲物を買うなら、明治神宮の場合、ペットボトルや缶飲料が買えるのが、南参道沿いにある休憩所か、宝物殿前の自動販売機だけで、しかも値段が少々高め(500mlで200円)なので、できれば駅の自販機で買った方がbetterだと思います。
写真は国歌の「君が代」にも登場する「さざれ石」。さすが明治天皇ゆかりの地だけあって、さりげなく宝物殿前の広場に置かれてました。「さざれ石」自体は全国各地の石灰質の山にある、ありふれた石らしいのですが、ここの「さざれ石」は国歌発祥の地とされる岐阜県春日村から持って来たものらしい。石の脇にあった解説板によれば、「さざれ石」は学名を「石灰質角礫岩」と言い、以下のような段階を経て形成されるようです。
1.石灰石が雨水で溶解する。
2.その石灰分を含んだ水が粘着力の強い乳状体となって地下で小石を集結する。
3.次第に大きくなった2が、写真のような形状で地上に出て来る。
確かにこのような形状の石はどこかで見た覚えがありますが、これがあの「君が代」で詠われている「さざれ石」とは、解説がなければ知る由もなかったでしょう。因みに「さざれ石」は漢字で書くと「細石」。読んで字の如く、細かな石が集積した石のことを指すんですね。しかし、耳で聞いただけではどんな石なのかイメージしにくい。日本語って難しい(笑)。
そこでふと思い出したことがあります。先日、NHKーBSの海外情報番組で、日本語における漢字使用に反対を唱える一橋大学名誉教授がゲストに招かれていました。その先生は、自身の長年に渡る留学生への論文指導経験から、「漢字によっては複数の読み方があり、それぞれが異なった意味を持っていることが、海外からの留学生の頭を混乱させ、日本語理解の障壁になっている。だからいっそのこと漢字使用はやめて、ひらがなとカタカナだけにした方が良い」との主張を展開していました。
確かに先生の実体験に基づく懸念も一理あるのでしょう。しかし、既に発祥の地では改変してその原形を留めていないケースもある「漢字」と、漢字から一部を抽出して日本が独自に編み出した「ひらがな」「カタカナ」が、日本語の中で併存していることこそ、まさに長い年月の間に培われた日本独特の言語文化なのだと思いますし、上に挙げた「さざれ石」の例でも明らかなように、表意文字としての漢字の優れた長所は捨てがたいものです。このブログだって、すべて「ひらがな」「カタカナ」表記になったら、却ってどんなに読みにくく、理解し辛くなることか。そもそも、それぞれの国の文化の独自性は、汎用性や効率性を理由に破棄される謂われはないはず…
ここで改めて「君が代」の歌詞を(ウィキペディアより)。「さざれ石」の実物を見たことで、歌詞の内容がより具体的にイメージできるようになったと思います。
「君が代」
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌(いわお)となりて
苔(こけ)のむすまで
東大文学部でも教鞭を執った、19世紀後半から20世紀前半に活躍した英国人の日本研究家、バジル・ホール・チェンバレンは、「君が代」を英訳したようです。
A thousand years of happy life be thine!
Live on, my Lord, till what are pebbles now,
By age united, to great rocks shall grow,
Whose venerable sides the moss doth line.
汝(なんじ)の治世が幸せな数千年であるように
われらが主よ、治めつづけたまえ、今は小石であるものが
時代を経て、あつまりて大いなる岩となり
神さびたその側面に苔が生(は)える日まで

国歌の「君が代」については、何かの式典で耳にしたり、歌ったりする程度で、実は詳細についてあまりよく知りませんでした。「君が代」と言うタイトルが示す通り、「天皇の時代が長く続くように、栄えるように」と言う歌であることを認識している程度(厳密に言うと、たぶん以前も調べたのだろうけれど忘れてしまった
今回改めて調べてみると、「君が代」の歌詞そのものは和歌として平安時代から存在し、「古今和歌集」を出自としていますが、西洋近代において国歌が外交儀礼上必要となったのに伴い、日本も西洋諸国との外交上必要に迫られた結果、明治13年に曲が新たにつけられ、以後国歌として扱われて来たようです。国歌として正式に定められたのは平成11年(国旗及び国歌に関する法律)と、まだ間もないのが意外と言えば意外。そこに至るまでにさまざまな議論があったことは報道で知っていますが、考えようによっては、日本人の国家意識(国としての在り方への関心)はその程度(この案件について歴代政権が先送りして来た=曖昧にして来た=優先順位が低いと見なした)のものなのかなと思いました。
国歌としての「君が代」については、特に歌詞に関して、その意味するところに、作られた時代(平安時代)と現代とでは些か齟齬があり、国歌として正式に認められた今も、その是非についてさまざまな意見があるようですが、世界の国歌を見渡しても同様の議論はあるようですね。例えばフランスの国歌「ラ・マルセイエーズ」は(元々国歌として作られたものではなく、作られた時代が時代だけに)周辺諸国に敵意を剥きだしにした、戦意を高揚させるような過激な歌詞で、フランスでも「国歌として相応しいのか」度々議論が沸き起こっているのだとか。
もし国歌を新たに制定するにしても、現代は明治時代以上に国民の合意形成が難しそうで、現時点で「君が代」に優る国歌を新たに作る(作詞作曲を誰に依頼するかでも一悶着ありそう)のは、革命でも起きて日本の国家体制が大きく変わり、国民の意識も大きく変わらない限り無理なんでしょうね。現状は、誰が詠んだかさえも分からない、千年以上も前に作られた歌詞」が「長い伝統を誇る国家」を象徴する意味合いで認識されていると見るべきでしょうか?
…なんてことを、宝物殿前の広場に鎮座していた「さざれ石」を見て、考えたりしたのでした。散歩道の途中には、このように予想だにしない興味深い発見

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テーマ: ウォーキング・ハイキング
2011/10/17
若者よ、岡本太郎を読むべし! はなこの好奇心MEMO
岡本太郎はその著書『自分の中に毒を持て』(青春文庫)の中で、こう述べている。「成人式は文明社会では祝うべきものだけど、本来はただ祝って楽しんですむものじゃない。厳粛に、きびしく、「社会」と言うものをつきつける、イニシエーション(通過儀礼)であるべきだ。」
日本では毎年恒例のように、マスメディアで「荒れた成人式」の模様が報道される。成人としての自覚に著しく欠けた幼稚な新成人の醜態を、ここぞとばかりに見せつけて、マスメディアは「イマドキの若者批判」を展開する。
しかし、成人年齢に達した青年男女を、いつまでも子ども扱いしているのは、周りの大人や社会に他ならない(って書いている私はかなり自虐的
成人式の式典や、その後に開催される同窓会用に、スーツや豪華な晴れ着を用意してあげることに、何の疑問も持たない大人達。大都市では式典も形骸化し、来賓の祝辞に、最初から最後まで真摯に耳を傾ける新成人は、果たしてどれだけいるのだろう?
祝賀ムード一辺倒の先進国の成人式では、これから立ち向かう社会への畏れも、成人としての覚悟も、新成人に対して持てと言うのがそもそも無理な話なのではないか?
太郎は昔取った杵柄で「民俗学(文化人類学的?)」的見地から、その対極にある南米アマゾンの成人式を紹介している。
「南米アマゾンの奥地のある種族では、蜂をいっぱい袋にいれて、この袋を若者の皮膚にぱっと押しつけたりする。一匹に刺されても痛いのに、失神するほどの猛烈な苦痛だ。その痛みをもって、大人社会の〜生きていく責任とはこういうものだと教えているわけだ。またなかには深い森に若者を放って、若者はそこで自分ひとりの力と知恵で生きぬいて、帰ってこなければならないとか。奇怪なマスクをかぶった祖霊におどかされたり、恐ろしい儀式を課している種族もある。
そのほかに入墨をしたり、割礼をおこなったりさまざまだ。入墨をされる若者はその痛さに耐えながら、成人のきびしさと誇りを知るわけだ。」
そして、文明社会の成人式のふがいなさを嘆いている。
「文明社会の成人式は、あまりにも形式的で、甘すぎる。はたちになれば、もう腐った大人だ。<中略> こんな形式的な儀式で大人としてきびしさに立ち向かっていく感動がわいてくるわけがないじゃないか。」
岡本太郎の著作には、熱く鋭い芸術論に混じって、こうした辛辣な、(正直言って耳が痛いと言うか、マゾッ気が刺激されるというか…)しかしかなり的を射た、文明批評や人生訓が数多く散見される。私など、もっと早くに出会っていたなら、また違った人生を歩んでいたかもしれないと思わせられる、力強いメッセージがてんこ盛りなのだ。
だからこそ、太郎の著作は是非、若者は読むべきだと思う。きっと自らの現状に納得が行かず、進むべき道に迷っている若者の背中を、力強く押してくれることだろう。
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