2017/3/18

ちょっと気になること3つ  はなこのMEMO

■大手銀行カードローンのCM

 某大手銀行のカードローンのテレビCMに俳優の阿部寛さん(確か竹中直人さんやタモリさんも…)が出演している。阿部さんは好きな俳優さんなので、一般の人々に安易に借金を勧めるCMに彼が出演していることにちょっとがっかりしている。

 高感度の高い彼が爽やかに微笑んで勧めたら、本来なら熟慮すべき借金へのハードルも確実に低くなるだろう。

 昨日のニュースによれば、この5年でカードローンの利用総額は60%も増加しているそうだ。国内で営業する銀行を会員に持つ全国銀行協会はカードローン利用者の増加を受けて、利用者の多重債務を懸念し、改めて各銀行へ利用者の収入や(他行やサラ金業者も含めた)借入総額を確認して、その返済能力を見極めるよう注意を促していると言う。

 近年は正規の住宅ローン等も貸付の低金利が続き、大手銀行は利幅の大きな大手サラ金業者を傘下に入れる等して、貸付利益を上げることに躍起になっている。

 一方、国民の間では非正規雇用者が増えて、「ワーキングプア」と呼ばれる生活困窮者も増えているが、彼らが担保が要らない代わりに貸付金利の高いカードローン利用で多重債務に陥る危険性は高まっていると思う(全銀協が注意喚起する位だから、事態は私達が想像する以上によほど深刻な状況なんだろう)

 誰でも真面目に働けば、借金に頼らずに暮らして行ける社会になることが理想だけれど…せめて日本という国が、特に若い人が将来に夢の持てる社会になって欲しいと切に思う


■カジノ誘致の危うさ

 日本でも疲弊する地方経済の救世主としてカジノの誘致が有望視されているが、先行する韓国の現状を見ると不安しかない。

 韓国には全土に7つのカジノがあるらしいが、カンウォン道にあるカジノのみ韓国人も利用が可能だそうだ。元は炭鉱町だった街の起死回生の策として1990年代にカジノを誘致。カジノ目当てに年間300万人もの人々が当地を訪れ、そこだけで国内の収益の半分以上を占めるらしい。

 確かに街はカジノの誘致によって財政的には潤った。しかし、カジノ客目当ての風俗店が増え、カジノにのめり込んで身を持ち崩した「カジノ・ホームレス」が1,000人以上も街に留まって、街の風紀はけっして良いとは言えない。さらに街の質屋の周辺では常時50〜70台の車が質預かり品として路上に放置されているらしい。

 しかも、「カジノ・ホームレス」となった人々の前職を聞くと、それなりに高い収入や地位だったりする。そんな普通の人々がカジノに嵌ったばかりに、仕事も地位も財産も、そして家族や帰る場所も失ってしまったのだ。けっして他人事とは思えない。

 そんな街は子育てに適していないと見切りをつけられたのか、地元の小学校は在籍児童の減少が続いていると言う。街の様子を想像するだけでも寒々しいものを感じる。

 韓国では現在100人中5人がギャンブル依存症と言われ、カジノ側も1カ月に入場できる回数を制限する等して対応していると言うが、現地の賭博問題管理センターの担当者は「ギャンブル依存症はなってしまってからでは遅い。予防が一番」と訴える。

 日本でも大阪府や沖縄県がカジノ誘致の候補地として有力視されているが、それでなくても風紀や教育の面で他の自治体に比べて問題の多い両者が、カジノを誘致することでさらに問題が深刻化するのではと心配だ。

 カジノは「劇薬」かもしれないのだ。


■たった一言の台詞に歴然と出る演技力の差

 映画館で「追憶」と言う映画の予告編を見る度に感じる事がある。

 最近主演作が相次ぎ、俳優としての評価も高まっているアイドル出身の岡田准一君だが、舞台経験も豊富な小栗旬君との絡みのシーンではどうしても演技力の差が出てしまう。

 一方的にがなりたてるだけの岡田君に対し、ほんの短い台詞の中にも繊細に抑揚をつけて、登場人物の心の奥底にある哀しみを表現してみせる小栗君。「中堅二人の演技対決に勝負あった!」と、そのシーンを見る度に思うのである。

 さすがに小栗君は蜷川舞台で鍛えられただけのことはある。彼は公私共に華やかな雰囲気から、単なる人気俳優と捉えられがちだが、なかなかどうして演技巧者だと思う。

 無類の女好きとの噂もあるが、それだけエネルギッシュと言うことなんだろう。お金の使い方にも太っ腹なところがあるようだし、先輩後輩からも慕われ人望も厚いようだし、日本初の俳優の労働組合結成にも動いているようだし、人としてなかなかの器の持ち主だと思う。

 あいにく小栗君の出演(ほぼ主演?)舞台は未見だけれど、彼の出演するテレビドラマや映画は殆ど見ている。中堅俳優の中では最も期待している俳優のひとりだ。

 だから、つまらないことで躓(つまづ)かないで欲しいと願っている。
1

2017/3/16

もっと自分を信じて、自分の気持ちに正直に生きたら良いのに…  日々のよしなしごと

 何とはなしにテレビの電源を入れたら、ちょうどバラエティ番組で、「こんな人は嫌われる」と言う主旨のテーマで、SNSでの発言等、具体例が挙げられていた。

 そこで私が素朴な疑問として思ったのは、「なぜ、そんなに他人から嫌われることを恐れるのか?」と言うこと。

 現実社会では本音と建前を使い分ける日本人が、ネット上では辛辣なまでに本音を吐露するようになった今、いかにさまざまな価値観のもとで人々が物事の良し悪し、好き嫌いを語っているかが分かったのに、今更万人受けする発言や行動などありはしないのに、他人に嫌われまいと気を使い過ぎて、心を疲弊させてしまう日本人。

 他人に直接危害を加えたり、迷惑をかける恐れのある言動、極端に社会秩序を乱す言動でない限り、あまり他人の目や評価を気にする必要などないのではないか。私は生まれも育ちも日本人だけれど、私の目から見ても日本人は他人の目を気にし過ぎだ。

 アマゾンのクチコミを見ても、ある商品について、ある人は高い評価を下し、ある人はこき下ろす。絶対的な評価などあり得ないのだ。すべて評価者自身の価値観に基づく相対的評価。だから、人の評価など、殊更気にする必要などないのだ。自分が良いと思うのなら、自分の価値判断を信じたら良い。気に入ったのなら、他人の目、評価など気にせずにガンガン使えば良い。大切なのは、自分と直接関わり合いのない他人からどう見られるかより、「これから長く付き合うであろう物」との関係だ。

 服装についても同様だ。ある服の色に対して、ある人は「きれいな色ね」と言い、ある人は「年甲斐もなく派手な色」と言う。そもそも誰からも褒められる服なんてない。誰からも貶されない服もない。皆、好き勝手に自分の立ち位置から物を言っているだけなのだから、その言葉に言うほどの重みもない。だったら、他人の言うことなど気にせずに、自分の着たい服を着たらよい。自分が着て心地よいと思う服を思う存分着れば良い。それが自分の気持ちに正直な在り方であり、自分らしさなのだから(とは言え、発言者が単なる悪口ではなく良かれと思ってかける言葉を、アドバイスとして受け留める度量は持っていたい。そこには新たな自分を発見するヒントが隠されていることもあるから)

 また、最近読んだ記事で、ママ友いじめをする人(あくまでも一部の人々)の特徴として、彼女達は総じて自分に自信がなく、ある集団の中での自分の相対的な評価を気にする傾向が強いとの分析があった。だから、ひとりでは行動も判断も出来ない、自立も自律も出来ない人々なのだ。実際、常にグループでつるんで、グループの輪から脱落しまいと汲々としているように見える。

 さらに自分達の集団の中での価値観に基づいて、勝手に他人を評価しているのが彼女達だ。その価値判断に公正さはない。斯様な"期間"も"範囲"も限られた場でしか通用しない価値観に振り回されるのは、ナンセンス以外のなにものでもない。もっと広い世界に目を向ければ、ママ友世界での問題など、取るに足らないものだと分かるはずだ。

 只中にいるとそのことになかなか気づけないのかもしれないが、ママ友を巡る関係で悩んでいる人は、出来るだけ悩みは溜め込まずに自分が心許せる人間に打ち明けて、少しでも心を軽くする逃げ道は作っておきたい。一部の人間があれこれ言おうが、それは雑音として聞き流し、自分は親としてやるべきことを着実にこなすだけだ。そのうちにコップの中の嵐も過ぎ去って行く。


 結局、社会を窮屈にしているのは私達自身だ。生きづらさの原因は私達自身の中にある。「嫌われる勇気」なんてフレーズが流行ったのも、私達日本人があまりにも他人の目を気にし、嫌われることを恐れていることの裏返しなんだろう。

 そう言えば、日本には「村八分」と言う言葉があるように、日本人は集団から外れることを何よりも恐れる。そのためには「出る杭」にならないよう自身の言動も抑制する。言動の自由を奪われることを何よりも恐れる欧米とは真逆である。「民主主義」や「言論の自由」と言う概念も近代に海外から移入されたものだから、他国の人々のように血と汗と涙を流して、長い闘いの末に獲得した権利ではないから、今一つ日本人の中には根付いていないように思う。未だに他人の目や評価を重んじる日本人は、「民主主義」や「言論の自由」にそれほど価値を置いていないようにさえ見える。

 日本の社会が、集団から外れることを厭う同調圧力の強い社会になったのは、日本という国が世界でも突出した災害大国であるがゆえに(世界の0.45%の国土面積しかない日本の災害被害総額は、世界全体の15〜20%を占めると言うのだから驚きだ)、その災害から生きながらえるため、常に集団で助け合うことが必要とされて来たからだとも言われる。しかし、そうした社会への過剰適応で、自らの首を絞めているのが、今の日本人だろう。

 もし今、この記事を読んでいる人が多少なりとも生きづらさ、息苦しさを感じているのなら、他人の目、他人の評価というしがらみから、もっと自分自身を解放して、自由に気軽に生きたら良いと思う。誰からも好かれ、誰からも評価される必要なんてないのだから。自分を心から理解し、受け入れてくれる人が、たったひとりでもいてくれさえすれば、それで十分なのだから。

 ただし、一度きりの人生をかけて、そのたったひとりの理解者を全力で探す努力だけはした方が良いと思う
1

2017/2/13


長崎に来ています。

これから墓参り。

クリックすると元のサイズで表示します
1

2017/2/11

モノは考えよう2  携帯電話から投稿

自分が生きている限り、ゴミが出る。

自分が生きている限り、ゴミを出す。

自分が生きている限り、地球に迷惑をかけている。

ゴミ出しをする度に、何だか肩身が狭い。
1

2017/2/10

土産&土産  携帯電話から投稿

今週は夫が大阪、息子が北海道へ出張に行き、今日の夜に手土産を持って帰って来ました。

夫の大阪土産は、今や我が家ではこの季節定番の高山堂の「いちご大福」。

息子は札幌の菓子メーカー石屋製菓のチョコレート菓子「美冬」。

ダブルで嬉しいなあ…
息子は二泊して、北関東の自分のアパートに戻るそうです。

明日は家族三人で、近所のシネコンへ映画を見に行く予定。

映画は、息子が3歳の頃からの我が家の楽しみです。


クリックすると元のサイズで表示します
1

2017/2/10

何かに過度に依存するのは、いろいろな意味で危うい  日々のよしなしごと

 先日のことだ。

 私は友人に会う為に有楽町駅に向かう電車に乗っていたのだが、途中駅で危うく幼児がホームと電車の隙間に転落する瞬間を目撃した。
 
 幼児が大声を上げたことで、すぐ近くにいた年配女性二人が事態に気付いて助けてくれたので事なきを得たのだが、私が目にした瞬間の幼児はお腹の辺りまで隙間に嵌っていた。あんなにいとも簡単に幼児は隙間に嵌るのかと、改めて驚いた。

 一瞬の出来事だったので詳細まで把握していないのだが、若い母親は空のベビーカーを片手に2歳位の男児の手を引き、電車に乗り込もうとしていたようだ。その背後には4歳位の女児もいた(母親が男児の手をしっかり握っていたのは不幸中の幸いであった。最近は電車であれ、バスであれ、エレベーターであれ、乗降時に幼児の手を引かない親が少なくない。今回のような危険が潜んでいるのに…)

 男児を助け出した年配女性達は「坊やが大声あげてくれたから(気づくことが出来て)本当に良かったわ」と安堵していたが、今、思い出しても、瞬間を目撃しただけの私でさえ冷や汗が出るようなアクシデントだった。ホント、心臓に悪いよ

 母親も直後は顔面蒼白の様子で、自身の内心の動揺を必死に収めようとしていたのか我が子の身体を暫くしきりにさすっていた。そんな母親とは対照的に、当の子どもは自分の身に起きたことなどケロッと忘れて、無邪気に笑顔を見せていた。

 今回の件で痛切に感じたのは、ベビーカーを利用するような月齢の乳幼児は基本的にベビーカーに乗せたまま、交通公共機関を利用する方がより安全と言うこと。母親だけで子ども達と外出するなど世話の手が足りない時には特に。電車は便利だが、転落しがちなホームと電車の隙間、手が挟まれがちなドア付近等、幼い子ども達にとっては危険もいっぱいだ。

 昔と違って少子化の昨今だが、見たところ年の離れた兄弟は少なく、1〜3歳程度離れた兄弟が多い印象だ(共働きで、育児休暇を出来るだけ効率的に取りたい、子育てをまとめてしたい、という思惑もあってのことだろう)。そうなれば当然、子ども達の学齢前、ひとりでも手のかかる乳幼児2〜3人を連れての外出は、親にとっても相当な負担だろうと思う。

 私はそうした母子を見かけたら出来るだけ声をかけて、何らかの手助け(ベビーカーや荷物をを持ってあげたり、電車の乗降時、手が足りなければ幼児の手を引いてあげたり等)をするようにしているが、周りは必ずしもそういう人間ばかりではないのが現状だ。

 そこが今の、特に都市部の問題だと思う。皆、外にいてもスマホに没入するなどして精神的引き籠り状態に近く、自分の周囲への関心があまりにも希薄だ。

 至るところでスマホに夢中になっている人々よ。少しは顔を上げて、周囲を見渡して欲しい。もう少し自分の周りの状況に関心を持ってはどうですか?

 先日都内→埼玉県で、運転手がスマホに気を取られて赤信号の交差点に進入したトラックと青信号で直進して来た車両との多重衝突事故に、たまたま近くの歩道を歩いていた母子が巻き込まれて死傷すると言う、痛ましい事故が発生した。

 その事故発生時の監視カメラ映像をテレビのニュースで何度か目にしたのだが、事故そのものの衝撃の凄さもさることながら、手前に大写しになっている歩道上の若い女性の様子に私は驚いた。

 その女性は自分のすぐ目の前で大事故が発生しているのに、スマホに夢中になっているのか暫く顔を上げることもなく、微動だにしなかったのだ。当時、周辺には凄まじいい衝撃音が鳴り響いたと思うのだが、件の女性はそれさえも気にならないほどスマホに没入していたのだろうか?大事故を目の前にした人間にしては、反応があまりにも鈍過ぎるのが不思議でならなかった(それとも驚きのあまり身体がフリーズしてしまったのか?)

 スマホに依存するあまりの周囲への無関心も、ここまで来ると病理に近いと思う。何よりこれでは、自分自身の身に危険が迫っても察知できないのではないか?

 スマホの中毒性(スマホ自体は単なるツールで、厳密にはその機能を利用したあらゆるネットワークの中毒性とも言える)は恐ろしい。それ以上に、スマホへの過度の依存に抵抗感がなさ過ぎる人間の"主体性や自律心のなさ"が恐ろしく不気味だ。

 このようなメンタリティでは、カリスマ性のある独裁者が登場しようものなら、その大衆扇動の術中にいとも容易く嵌ってしまうのではないだろうか?
2

2017/2/10

権利が与えられていることの意味と重み  はなこのMEMO

 先日、英国で女性が選挙権を獲得するまでの顛末を描いた映画「未来を花束にして」を見た。

 信じ難いことだが、100年前まで英国では、女性はろくに教育を受ける機会も与えられず、社会からだけでなく配偶者からさえ、ひとりの人間として尊重されることもなく、貧しい人は幼い頃から働き詰めで、子どもを産み、ボロ雑巾のようになって死んでゆくだけの人生を送っていたようだ。

 今では英国史上2人目の女性首相が活躍している英国でさえ、つい100年前まではそうだったのだ。正に隔世の感がある。


 かつてのママ友に、成人して選挙権を得て以来、一度も選挙の投票に行ったことがないという人がいた。

 その人は働き者で、すべてに呑み込みが早く、家事全般も完璧にこなし、我が子にも精一杯の愛情を注ぐ、聡明で良き妻であり愛情豊かな母であった。

 それだけに、「選挙権を一度も行使したことがない」と言うただ一点が、とても残念に思えてならない人だった。

 「政治に興味がないのよね」と彼女は笑っていたが、私は笑えなかった。


 つい100年前の英国では、女性が命を賭して、現代のテロリストまがいのことまでして、「女性の選挙権」獲得の為に戦った。どの国であれ、その権利獲得までに多大な犠牲が払われたことは想像に難くない(サウジアラビアなんて、女性の選挙権が認められたのはつい2年前の2015年のことだ)

 その歴史的事実の重みを、後世の私達はしっかりと受け止めなければいけないと思う。
 
クリックすると元のサイズで表示します
0

2017/2/9

「僕と世界の方程式」(原題 X+Y,英、2014)  映画(今年公開の映画を中心に)

クリックすると元のサイズで表示します

 本作は、幼い頃に「自閉症スペクトラム」と診断された、ある少年の心の成長を描いた物語であるが、同時に一般には知られざる国際数学オリンピックの代表選考過程や実施状況の描写も、サイド・ストーリーとして楽しめるものとなっている。

 私の身近にも、たまたま息子の同級生など自閉症児が何人かおり、彼らの幼い頃から20年以上に渡って接して来たこともあり、興味深く本作を見た。本作では、時折挟み込まれる主人公の目を通して見るこの世界の描写が、現代アートを思わせる色彩の饗宴と抽象性で印象的だった。


 ひとくちに自閉症と言っても、個人によって顕れる症状や障害の程度はさまざまだ。

 息子の同級生のある男の子はサヴァン症候群の一種なのか、抜群の記憶力の持ち主である。とても恥ずかしがり屋の少年だったが、私のことはちゃんと「A君のお母さん」と認識してくれて、こちらから話かければ応えてくれる子であった。小学校までは地元で通い、中学からは養護学校に通ったようだが、高等部を卒業後は近所にある大手企業に職を得ることが出来た。

 一方、同じマンションに住む、共に自閉症という兄弟は兄が息子と同い年なのだが、兄弟二人共息子とは別の小学校に通っていた。だから詳しいことは分からないのだが、こちらは兄弟でも症状が異なっているようだ。

 同じマンションに住んでいるし、彼らの母親(会えば、いつも元気な声で挨拶してくれる気さくな女性だ)とも交流があるので、私も彼らとは20年以上に渡って根気強く接して来たつもりだ。

 マンションの内外で比較的よく遭遇する兄の方は最近になって漸く私の存在を意識してくれるまでにはなった。しかし、挨拶しても未だに応えてはくれない。私を一瞥すると恥ずかしがって足早に去ってしまう。母親の話では養護学校の高等部を卒業後は職業訓練校に通ったらしいが、未だ就職出来ていないようだ。

 弟の方は無口で幼い頃多動の傾向があったが、成長するにつれて多動は見られなくなり、今では一見したところでは自閉症児とは分からない佇まいである。しかし、マンション内で会っても、一貫してまるで私など目の前に存在しないかのような振る舞いで、20年以上経っても一切関係が築けないままだ。

 幼い頃から接して来ただけに私としてはその動静が気にかかる3人だが、正直なところ、未だに彼らとどう接したら良いのか迷っている。日本は欧米先進国と比較して、自閉症に関する学術的研究や社会での理解が遅れていると言われるので、多くの人が私と同様の戸惑いを感じているのではないかと思う。


 話を映画に戻すと、主人公の少年は他者とのコミュニケーションが苦手で、食事や行動、嗜好に独特の強い拘りがあり、産み育てて来た母親でさえ彼との接し方に戸惑うほどなのだが(←その様子が切なくて気の毒なくらい)、幼くして数学に特異な才能が見いだされ、小学生の頃から数学オリンピック出場経験のある数学教師の個別指導を受けることになる。

 そして、高校生の時に国際数学オリンピックの英国代表候補者に選抜され、16人の候補者から6人の代表に絞り込まれる合宿に参加することになるのだ。

 彼にとっては飛行機への搭乗、親元を離れて見知らぬ他人といきなりの海外(しかもアジアの台湾である!)での共同生活、得意な数学での優秀なライバル達との競争、と初めて尽くしの経験である。「変化が苦手」な自閉症児にとっては大変なストレスであったに違いない。

 しかし、その合宿で彼は彼なりにさまざまな経験をしたことで、精神的に大きな成長を遂げるのだ。

 本作は、合宿仲間との関わりを通して主人公の心情が徐々に変化してゆくさまを丁寧に描き出し(地元の学校のクラスメイトと違い、「数学」と言う共通項で互いを認め合う関係性が良かったのだろう)、さらに、もうひとりの自閉症児の苦悩も描いて、見る者に問いかける。

 特異な才能のない"変人"(→自閉症児はその特徴から、その理解に乏しい周囲からは"変人"と見られやすい)では、生きる価値がないのか?  

 それは、こうも言い換えることが出来るだろう…

 強くなければ生きる価値がないのか?

 役に立たなければ生きる価値がないのか?
 
 平凡では生きる価値がないのか?

 そして、人と違ってはいけないのか?

 そもそも"普通"とは何なのか?

 私には、本作で映し出される、彼のあるがままを心から愛してくれた父親との深い絆のエピソードの数々が、その問いに対する答えのひとつのような気がした。


 結局、さまざまな欲を削ぎ落して、親が我が子に望むことはただひとつ。

 自分が生きている間、そして死んだ後も、我が子があるがままで幸せに生きてくれること。

 これに尽きるのではないか?
0

2017/2/8

ものは考えよう…  携帯電話から投稿

白髪染めをして2週間と経たずに、根本に白いものが見えて来る。

白髪になっても伸びようとするその健気さに、私の細胞のひとつひとつがまだ生きているんだなあと実感する。
1

2017/2/4

久しぶりに横浜MM散歩♪  携帯電話から投稿

今日は赤レンガ倉庫広場で、「ストロベリー・フェスティバル」なるイベントが開催されているらしい。

今日は真冬仕様の服装で日向に暫く立っていると汗ばむくらい…

クリックすると元のサイズで表示します
0

2017/2/4

敢えて赤信号で渡る  日々のよしなしごと

 タイトルはちょっと非常識な話だが、これには理由がある。

 先日、40年来の友人と横浜でランチを楽しんだ。

 互いの近況を話す中で驚いたのが、友人の夫が先月、交通事故に遭ったと言う話だった。自宅近くの2車線道路の横断歩道を渡っている時に、右折して交差点に進入して来た自動車に接触してしまったそうだ。

 幸い打撲傷で済んだらしいのだが、事故から1カ月後に突然肩が痛み出したらしい。年齢的にも事故から暫く経ってから症状が出る可能性は否定できない。後遺症も心配だ。たとえ命が助かっても交通事故は恐ろしい。

 原因は運転手の前方不注意。右折時に友人の夫が死角で見えなかったらしい。運転していたのはご近所の70代の主婦だそうだ。友人の住んでいる地域は都内だが、駅からは遠く車なしでは生活できない場所。だから高齢者ドライバーも珍しくないらしい。

 相手が慌てて(パニックに陥って)ブレーキの代わりにアクセルを踏まなくて良かったよ、と友人は言っていた。友人の夫もその時はたまたまスマホを見ながら歩いていなかったので(普段は友人が呆れるほど「歩きスマホ」の常習者らしい)、咄嗟に身を避けることが出来たと言う。何れも不幸中の幸いであった。

 スマホの中毒性には要注意だ。それは運転手にも歩行者にも当てはまる。

 タイトルの「敢えて赤信号で渡る」も、スマホと少なからず関係がある。

 我が家は昔ながらの住宅街にあるので、近所にあるバス通りも一方通行(1車線)の狭さだ。そして、そのバス通りより少し広めの2車線道路と交わっている。外出からの帰り道にそのバス通りを渡る時、車は右側から迫って来る格好だ。

 ここで危険なのは2車線道路から左折する車だ。横断歩道はすこし左寄りにあるので、角の建物で歩行者は運転手からは完全に死角に入る。青信号の時、大抵の車は歩行者のことなど構わずに結構なスピードで交差点に入ってくるので、これまでに何度か私は横断歩道上で車に轢かれかけた。

 そして私を轢きかけたのも気にせずに走り去る車の運転者は、大抵スマホを見ながらの運転であった。

 それに懲りて以来、私は横断歩道の前には立たずに、交差点寄りの角に立つようにしている。それでも道を渡っている途中で、後方から猛スピードで迫って来る車もあったりするので、おちおち安心して渡れない。

 寧ろ赤信号の時の方が、大通りに出る2車線道路より一方通行のバス通りは交通量が少ないので、右側(バス通り)から車が来ないことを確認さえすれば、ほぼ安心して横断歩道を渡れるのである。

 だから、「敢えて赤信号で渡る」というわけだ。

 私が自動車運転の教習中には、横断歩道では人がいようがいまいが一時停止するよう指導を受けた覚えがある。しかし現実の社会では、横断歩道の前に人が立っていようがお構いなしに走り去る車が大多数だ。

 虎の威を借りる狐が跋扈する世の中だ。青信号であっても、横断歩道であっても、残念ながら歩行者が用心に用心を重ねて渡らなければならない
1

2017/2/3

モノより思い出  今日の言の葉

 この世で一番愉快なことは、
 何かを持っていることではなく
 何かを経験する瞬間です。
 


 これは先ごろ82歳で亡くなられた俳優でタレントの藤村俊二さんの座右の銘だったとか。

 藤村さんは父親がスバル興業社長という裕福な家庭で、6人兄弟の次男として鎌倉に生まれ、のびのびとした少年時代を送られたようです。

 母親がかなり懐の深い方だったようで、藤村さんがあまりの腕白ぶりで幼稚園を退園させられた時には彼を叱るでもなく彼の行く末を案じるでもなく、「明日から思いっきり遊べるわね」と、また、兄と激しい取っ組み合いの喧嘩をした時には、仲裁するでもなく二人の気の済むまで喧嘩させた後、「そろそろ二人とも疲れたでしょう。お茶にしましょう」と言われたのだとか。

 父親の豪傑ぶりを伝えるエピソードもあります。藤村さんが高校生の時のこと。実家の事業が傾いたのも知らずに温泉地で芸者遊びに興じ、その支払いに困って実家に戻ると、自宅は既に人手に渡っていました。そこで藤村さんは悪びれもせずに自宅にあった美術品を幾つか売り払って支払に充てるのですが、それを知った父親は当然、藤村さんを叱るのかと思いきや「お前は見る目があるな。一番高い物から売ってしまったんだから」と言われたのだそうです。

 正に、この両親にして、この藤村さんあり、と言えるではないしょうか?

 藤村さんは中高を私立暁星学園で学び、早稲田大学に進学しますが、理論主体の大学の講義に飽き足らず2年で中退すると、東宝芸能学校舞踊科に入り直して、卒業後はダンサーとしてヨーロッパ公演にも参加します。

 しかし、ヨーロッパのエンターテインメントのレベルの高さを目の当たりにして衝撃を受け、一転パントマイムを学ぶために渡仏するのです。

 帰国後の活躍は皆さんの知るところ。

 今回、私が初めて知って驚いたのが、ザ・ドリフターズの「8時だよ、全員集合」のオープニング曲の振り付けが藤村さんによるものだったと言うこと。これ、有名な話なんでしょうか?!

 藤村さんは、奥様仕込みのダンディな装いで知られる久米宏さんを驚かせるような仕立ての素晴らしいジャケットをさりげなく着こなしたり、ワイン好きが高じて、わざわざ英国からパブを丸ごと一棟日本に取り寄せ、英国人大工にその移築を頼んで、ワインバーを開業する等、お金の使い方が庶民とはスケールが違います。

 そもそも藤村さんは生まれや育ちからして庶民とは違うのですから、金銭感覚も庶民とは違って当然で、物質的に充たされない生活とは無縁だったと想像します。そこが庶民とは根本的に違う。だから、冒頭の「何かを持っていることではなく」も言葉通りに受け取るのは難しく、彼が経験することに価値を見出したのは、彼が自分の望み得る最上の物を手にした上で、最後に到達した境地なのかなとも思います。

 それでも私は、いつかは朽ち果てる物質(もちろん藤村さんとは格段に違うレベルの物)で得る一時的な満足感よりも、藤村さんのように(これまたスケールは全然違うのでしょうが)経験を通して得られる充足感を大切にする生き方を目指したい。

 だって、死に際に思い出すことが「自分は○○を手に入れることができた」より、「あの時は楽しかった」「○○が経験できて良かった」の方が、ずっと現世に執着することなく心穏やかにあの世へ旅立てそうですから…
2

2017/1/27

東京ジャーミイ・トルコ文化センター見学  文化・芸術(展覧会&講演会)

クリックすると元のサイズで表示します

 今日は予定されていた友人との年明けランチ会が急遽延期となり時間が出来たので、かねてからアップしようと思っていた「東京ジャーミイ・トルコ文化センター(以下、東京ジャーミイ<礼拝所?>)」の見学レポートに取り掛かろうと思います。

 地元自治体主催の異文化理解講座のプログラムで、私が東京ジャーミイを訪れたのは約2週間前のことです。

 代々木上原駅から徒歩10分程で、東京ジャーミイは、冬晴れの澄んだ青空の下、井の頭通りにその美しい白亜の姿を現しました。季節柄、沿道の桜並木も幹と枝を残すだけだったのが幸いして、通りを隔てた場所からもその堂々たるオスマン朝様式建築の全貌を見る事ができました。

 約1時間に渡り、5年程前からガイドを務めておられると言う日本人信徒Sさんのユーモアを交えた分かり易い解説で、イスラム教とその文化についての理解を深めることが出来ました。Sさん、ありがとうございました!

 そもそも日本人はイスラム教自体にあまり馴染がなく、さらに近年はISの問題もあり、イスラム教やその信徒に対しては誤解している部分が少なくないように思います。

 こうした現状には40年近く敬虔なイスラム教徒であるS氏ももどかしさを隠せない様子で、解説中もどうしたら一般の日本人に、イスラム教やその文化について理解して貰えるか腐心しておられるようでした。
 
 この地にイスラム教の礼拝施設が初めて建ったのは、歴史を遡ること約80年前の1938年。1917年のロシア革命をきっかけにロシア国内に在住していたイスラム教徒のトルコ系民族タタール人は、迫害から逃れるべく各地に散逸します。その一部がシベリア・満州を経て日本にたどり着き、高級布地の羅紗を扱う等の商人として日本に定住したのでした。

 そして彼らは1935年には日本政府の協力で土地を取得し、まず子ども達の学校を設立。その3年後の1938年に隣接して建てられたのが、現在の東京ジャーミイの前身となる礼拝所(モスク)でした。当時、施工に携わったのはなんと金沢の宮大工だったそうです。

 しかし、1986年に老朽化で旧礼拝所は取り壊され、1997年にはトルコ政府の肝いりでトルコ全土から新たな礼拝所の建設資金への寄付が集まりました。そして2年の建設期間を経て、現在の東京ジャーミイが2000年に竣工。
    
クリックすると元のサイズで表示します 左写真は2階テラスから礼拝堂とミナレットを見上げたもの。

 東京ジャーミイ日本最大のイスラム教の礼拝場であり、2000年の竣工以来、東京とその近郊に住むイスラム教徒の信仰の拠り所と言えます。同時に、さまざまな文化的イベントの開催を通じてイスラム教徒と非イスラム教徒との交流を促し、種々の展示でトルコの文化も紹介する等、正に「文化センター」としての役割を担っている施設のようです。

 東京ジャーミイは1階がトルコ文化センター、2階が礼拝堂となっています。

 1階のトルコ文化センターにはイスラム講演会が行われる多目的ホールをはじめ、ゲストルームやギャラリー、トルコのお土産品の売店などがあります。
 
クリックすると元のサイズで表示します

 多目的ホールの奥には美しい緑と白のタイルで彩られた「聖地メッカの方向を指し示す印」が設えられ、それを挟むようにしてトルコと日本の国旗が掲げられています。あくまでも礼拝の場として聖地メッカのある方角を念頭に、この施設が建てられたことが分かります。
 
 年に一度巡って来る、1か月に渡って行われる重要な宗教的行事ラマダンの時には毎夕、ここで食事会が行われるそうです。「ラマダンはイスラム暦の第9月に行われる断食月で、その間は日の出から日の入りまで飲食・性行為を断つ他、虚言、悪口、怒りを避ける」とされています。

 因みにイスラム暦の12月は「巡礼の月」とされ、イスラム教の国では所謂「ハッジ休暇」が設けられており、毎年300万人ものイスラム教徒が巡礼月の間にサウジアラビアにある聖地メッカを訪れます。混乱を避ける為にメッカの管理者であるサウジアラビア政府は1国当たりの巡礼者の数を制限しており、さらに巡礼には渡航費も含め多額の費用が掛かる為、生涯に何度も巡礼できると言うものではないようです。

 さて、断食と言うと1日中食事を断つと思われがちですが、実は太陽が昇っている間だけのことで、日の入り後には寧ろ毎夕、普段よりも賑やかに食卓を囲む日が続くのです。私自身、中東に駐在時には、地元のイスラム教徒にホテルで開かれた食事会に招かれたことがあります。詳細は忘れましたが、何十人と言う人々と長いテーブルを囲んで一緒に食事を楽しみました。

 ガイドのS氏曰く、ラマダンとは「神に感謝する1カ月」「心身をリセットする1カ月」「施し(サダカ)をする1カ月」で、イスラム教徒にとっては、イスラム教と自身との深い絆を再確認する重要な宗教行事のようです。

 1日のラマダンを終了するとまず信徒は水を飲み、水が口から食道を伝って胃に至る感覚をいつも以上に鮮烈に覚えながらその美味しさを実感し、神に感謝するのだそうです。正に心身のデトックスですね。

 東京ジャーミイでもラマダン期間中には多目的ホールで毎夕食事会が開かれるそうで、予め申し込めば誰でも、イスラム教徒でなくても参加が可能なんだそうです。その時の料理には材料費だけでも20万円近くかかるそうですが、その費用はすべて信徒、および企業の寄付(例えば、トルコ航空が3日連続で寄付する等)で賄われるとのこと。

 参加者の食事代は寄付で賄われる為原則無料ですが、ラマダン期間中、東京ジャーミィを訪れた信徒は大人も子どもも一人当たり最低でも2,500円の寄付をする慣わしで、ラマダン終了後、その総額を世界中の困難の中にあるイスラム教徒へ贈るのだそうです。近年は戦乱に喘ぐシリアの人々に贈ったりしているようです。

 また、多目的ホールの隅にはさりげなく日本とトルコの友好の証のひとつである、精巧なエルトゥール号の縮小模型も展示されていました。しかも、今回の見学参加者の中には、エルトゥール号が遭難した際に献身的に救助を行った和歌山県の漁師町串本の出身の方がおられたり、参加者の殆どがトルコに渡航経験がある等、トルコに関心の高い面々であったことで、ひとしきり日本とトルコの友好関係についての話題やトルコ旅行の情報交換で盛り上がりました。

クリックすると元のサイズで表示します
 写真は1階から2階へと至る階段の天井。シックな色合いの中に幾何学文様と植物文様が絶妙に合わさって、その端正な佇まいはイスラム美術の素晴らしさを如実に伝えています。イスラム教では「偶像礼拝の禁忌」が徹底していて、それがイスラム独特の文様とカリグラフィの美を生み出しているとも言えますね。

クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します
 写真左は2階の礼拝堂の入り口。幾何学文様が厳粛な雰囲気を湛え美しいです。写真右は礼拝堂内部の様子。入り口から奥の壁を見ると、やはりメッカの方角を示す印が中心に据えられています。その上部にあるステンドグラスも見事。

 手前に敷き詰められた色鮮やかなトルコブルーの絨毯も美しいです。その絨毯を横断するように織られた茶色の部分に沿って信徒が横並びになり、メッカの方角に向かって礼拝をするのだそうです。私の写真の撮り方の問題で手狭に見えますが、実際の礼拝堂はかなり広く、ゆうに100人は入れるキャパシティだと思います。見上げれば高い吹き抜け空間に壮麗なドーム天井と豪華なシャンデリアですから、その美しさには見惚れるばかりです。

クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します
 東京ジャーミイには礼拝堂の入り口付近に中3階も設置され、そこは女性専用の礼拝所となっています。左写真は2階礼拝堂から中3階を見上げたところ。左下隅に入り口の扉が見えますね。写真からも分かるように、かなり高所に設置されています。

 右写真は中3階の女性礼拝所の内部。男性の礼拝所と比べると随分と小ぶりのスペースです。奥には子供用のサークルも用意されており、幼い子ども連れの女性への配慮もなされているようです。

 一口にイスラム教と言っても、国の体制や宗派、はたまた個人の見解によって礼拝の在り方もさまざまであり、女性は礼拝所に出向かずに自宅で礼拝するケースも多いようです。そういった事情等もあって、男性に比べて女性の礼拝所のスペースは小さいのかもしれません。

 男女分かれて別々の場所で礼拝するのは、男性は一般的に誘惑に弱い存在であり、女性が間近にいては礼拝に集中できないからとの理由らしいです。

クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します
 イスラム教徒はモスクのミナレットから流れるアザーンを合図に、日に5回の礼拝を行いますが、この礼拝の回数の根拠について、ガイドのS氏が分かり易い解説をして下さりました。

 「人間は朝昼晩の3度の食事以外にも何度か食べ物を口にするのが常で、結局日に5〜6回は食べています。これらの食事はいわば身体の為の栄養です。そしてイスラム教における5回の礼拝は、イスラム教徒にとって心の栄養なのです。」と。解説を聞いた見学者一同、なるほどぉ〜と頷いていました。

 東京ジャーミイ滞在時に午前11時の礼拝の場面に居合わせたのですが(その場で静かにしている限り、信徒の礼拝中に見学者が礼拝堂にいても構わないようです)、礼拝時間はせいぜい10分程度で、信徒の日々の活動に何ら支障は来さないと思います。

 中東駐在時にたまたまある人のオフィスを訪れて目にしたのですが、仕事中に礼拝所まで出向くことが難しい人もオフィスで礼拝できるように、オフィス内にメッカの方向を指し示す印が付けられており、個人礼拝用の小さなカーペットも常備されていました。

クリックすると元のサイズで表示します アザーンの終了後、写真の中央右端にある扉から指導者(「ウラマー」と呼ばれる、在家信者の中でも指導的立場にある人物。イスラム教では「神の前では人々は皆平等」との考えから、「聖職者」は存在しないらしい)と思しき人物が出て来て、3人の礼拝者と共に、礼拝堂中央奥のメッカの印の前で礼拝されました。

 ところで、イスラム教国の中でも特に戒律の厳しいことで知られるサウジアラビアでは近年まで女性選手のオリンピック参加が禁じられていた等、何かと女性に対して制約が多い印象のあるイスラム教は女性蔑視の宗教ではないか、との意見をよく耳にします。

 これに対するガイドS氏の見解は以下の通りでした。「イスラム教において女性を制約していると見られることは全て、「社会的立場においても身体面でも弱い女性を守る」と言う観点に根差したものです。」

 とは言え、男女の不倫関係において姦通の罪に問われるのは女性のみであったりするのは(何年か前にアフガニスタンで、女性が衆人環視で石打ちの刑に処せられたことがありましたね)、その思想の根底に「女性は男性を誘惑する存在」と位置付けているからではないかと思ったりもします。

 ただし、下記リンクの記事の指摘にもあるように、現代イスラム社会における女性蔑視的な考えは、必ずしも「イスラム教」に起因するものではない可能性があります。

 つまり、イスラム教が生まれた地域に元々あった圧倒的に男性優位(男尊女卑)の「部族社会」や「家父長制度」の因習に従って、長い歴史の間に本来のイスラム教の教義が捻じ曲げられたと考えることも出来るのです。リンク記事では寧ろ「元始イスラム教は女性の権利の保護を主張する」、当時としては画期的な宗教であったとも述べています。

 「イスラム教はそもそも女性を蔑視していない これだけの理由がある」(ハフィントン・ポスト)

クリックすると元のサイズで表示します

 また、実際に現地に住んだ経験を踏まえて言うならば、例えばヘジャブ、ヒマール、チャドル、ニカーブ、ブルカ、アバヤと言ったイスラム教徒の女性が肌をむやみに晒さない服装は、イスラム教の教えに則ったものと言うよりも、それぞれの地域の厳しい気候風土に対応した伝統衣装なんですよね。元々は中東の夏の強い日差しから女性の肌を守る為の物でした。

 奇異に見られる一夫多妻制にしても、そもそもがイスラム教発祥以前の中東の部族社会では部族間の争いが絶えず、戦死によって男性の数の不足が常態化していた為、寡婦とその子どもを救済し、血族を絶やさない為の制度だったようです。 

クリックすると元のサイズで表示します

 本来、多くの宗教の出発点は純粋に「人々の救済」であったはずが、時の権力と結びついて権力者の都合の良いように教義が捻じ曲げられたり、後世の人間の解釈の違いにより幾つかのグループに分裂し派閥間で争うことになったりと、対個人では十分にその本来の意義が果たされている場合でも、こと集団となると本来目指したものとは違う方向に行ってしまうことが多いように私には見えます。いざ集団となれば、それはもう信仰からは離れた人間社会の問題に帰結する。

 結局のところ、純粋な形での信仰は「個人が信仰の対象(神)とどう向き合うのか」に尽きるのかなあ…

東京ジャーミイ・トルコ文化センター

 毎日午前10時から午後6時まで一般人にも開かれているそうです。5人以上なら、予め訪問日時を連絡すると、今回の私達のようにガイドが付いて下さるようです。

【蛇足】

 私達は日々流れるニュースを見ても、圧倒的に西洋(キリスト教)を中心としたメディアを通してイスラム世界の問題を見ていることが多く、現時点での西洋社会のイスラム社会に対する優位性(力関係)で、ことの是非を判断しがちです。

 ヨーロッパの難民問題は、中東アフリカの問題が解決しない限り解決しない。

 移民と言う形で他国で平和な暮らしを目指すよりも、自国で平和に暮らすことが、多くの人々の願い。

 冷たい言い方だけれど、現在のヨーロッパの混乱は十字軍遠征まで遡っての因果応報。傲慢な優越意識による他地域への侵略行為がもたらした災禍。

 ゆめゆめ「"自分の方がより優れている"と他人を見下してはいけない」「他者の思想・信条・価値観を軽んじてはいけない」と言う苦い教訓を、私達に示している。

 
 しかし、歴史を振り返れば、中世ヨーロッパが暗黒の時代と言われた頃、イスラム圏は世界有数の科学技術を誇っていたわけで、歴史が証明しているように時代は常に動いており、さまざまな地域における文明の勃興と終焉も例外なく繰り返されています。

 西洋中心主義の価値観がいつまでも続くわけがない。西洋社会が築いた秩序が絶対であるはずもなく、EUの混乱ぶりを見ても今は確実にそれが崩れつつあり、時代は転換期を迎えているように思います。

 次の世界の盟主は誰なのか?対立する世界のキャスティング・ボードを握っているのは誰なのか?

 あからさまに独善主義、利己主義に陥りつつある米国が今後どのような道を辿るのか?その追従者、否、盲従者である日本は今後どうすべきなのか?日本人としては気になるところです。

 国民のひとりとしては、日本政府はもっと主体的に判断して、米国に対しても主張すべきことはきちんと主張して、自国の国益と国民を守って欲しいです。

1

2017/1/12

東京ジャーミィ・トルコ文化センター訪問  日々のよしなしごと

クリックすると元のサイズで表示します

 もうとっくに松の内も過ぎてしまいましたが、遅まきながら…

 明けましておめでとうございます 
(どれだけの方々がこのブログを読んで下さっているのか分かりませんが) 
 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます

 
 年末年始の忙しさ(←家族が休みの時ほど主婦は忙しいものです)からの疲れもあって、私は年末にひいた風邪を今もズルズルと引き摺っている状態で、日々の予定をこなすのに精一杯と言ったところです。

 身体の芯に力が入らない状態で、ちょっと予定が立て込むと寝込んでいます(どんだけ弱っちぃーんだよー)

 そんな私ですが、今日は昨年から受講している市民講座の一環で、東京の代々木上原にある東京ジャーミィ・トルコ文化センターを他の受講生の方々と共に訪ねました。

 西暦2000年に竣工したと言うオスマントルコ様式の壮麗なモスクの美しさに圧倒されました。新しい分、本国トルコで見たどのモスクよりも内部の装飾が色鮮やかでした。

 都心にこのようなモスクが堂々と建っているなんて、しかも初代のモスクは1938年に建てられたという話に、日本はつくづく(基本的に)宗教や異文化に寛容な国だなあと思いました。

 2時間近くモスク内を案内いただいた日本人教徒のお話が大変興味深く印象に残ったと共に、多数の写真を撮影したので、体力が回復次第改めて今日の見学レポートをこちらにアップしようと思います。

 近年はISの問題もあって、イスラム教については懐疑的な人も多いかもしれませんが、こと私にとって今回の訪問は、キリスト教の22億人に次いで16億人もの信徒を抱えると言うイスラム教について(←つまり、イスラム教の何が、これだけ多くの人々を信仰に向かわせるのか?おそらく、近年の信徒の増加率はキリスト教を上回っているでしょう)、改めて知る機会が与えられたと言えるでしょうか。

当ブログ内関連記事:トルコ共和国についての概要
0

2016/12/27

市民講座「異文化交流」その2  文化・芸術(展覧会&講演会)

クリックすると元のサイズで表示します

 8日(木)から始まった地元自治体主催の市民講座「異文化交流」の第2回を、15日(木)に受講しました。折しもこの日は、ロシアのプーチン大統領来日の日でもありました。

 今回のテーマはロシア共和国で、日本人男性と結婚後来日して10年の白系ロシア人女性によるスライドを使った講義と、同じく日本人との結婚を機に来日して3年の白系ロシア人女性によるロシアの民俗楽器バラライカ生演奏の2本立てでした。

 最初のスライドトークでロシアの人々の日常の暮らしをご紹介くださった講師の女性は、ロシアの伝統的な刺繍が施された綿地の民族衣装を身に纏ったナタリアさん。小学4年生を頭に3人のお子さんを持つ母親で、地元の国際交流センターで講師も務めておられる方です。人柄の良さが窺える優しい顔立ちと静かで丁寧な語り口が印象的。日本で3人の子育てをされて来ただけあって、達者な日本語でのトークでした。

 ロシアでも比較的南のシベリア南東部に位置し、「世界一透明度の高い」ことで知られ、1997年には「世界(自然)遺産」にも登録された神秘の湖、バイカル湖畔にある町で生まれ育ったナタリアさん。1時間近くに渡ってロシアの風土や人々の暮らしについて、豊富な写真を交えながら楽しいクイズ形式で紹介してくださいました。

 まずロシアの国土面は17,125,187㎢(日本の45倍!)、人口は1億4,600万人(日本:1億2,700万人)ですから、ロシアの国土がいかに広大で、人口密度が低いかが分かるかと思います。

 ロシアは182の民族から成る多民族国家で、人口の約80%は白ロシア系なんだそうです。確かにオリンピックでは白人からアジア系まで多彩な人種がロシア代表として顔を見せています。

 旅行記や映画でも有名な、極東のウラジオストックから首都モスクワまでを結ぶシベリア鉄道は、ウラジオストックーモスクワ間を時速80kmと比較的のんびりとした速度で走行し、始発から終点までの移動に1週間を要するそうです。時速80kmなら、車窓の景色を楽しめそうですね。

 私もかつて長崎−横浜間やトルコのアンカラーイスタンブール間を列車で移動したことがありますが、何れも夜行列車で一晩限りだったので殆ど車窓の景色を楽しむことは出来ませんでした。車窓の景色の移り変わりを楽しむことができるとは言え、7日間かけての列車の旅なんて想像もつかないですね。

 さて、話題はナタリアさんの故郷にあるバイカル湖へと移ります。バイカル湖は世界屈指の生物多様性を誇るそうで、約355属1,334種が生息し、内1,017種が固有種なんだとか。

 近隣には私も小中学生時代の「地理」の時間に学んだ森林地帯「タイガ」が控えており、その総面積は世界の森の20%にも及ぶそうです。このためタイガは「世界の肺」と呼ばれているのだとか。もう片方の肺はアマゾンでしょうか?

 近年は森林火災により、この貴重なタイガの内、日本の面積の30%に相当する面積が1年間で焼失し温室効果ガスの発生源になっているだけでなく、海外への木材の輸出を意図した森林伐採でも、その減少が危ぶまれているとのことです。

 ところで、バイカル湖は3つの世界一を持っていることをご存じでしょうか?実は世界一は「透明度」だけではなかったのです。

 「世界最古」の湖で、元は海溝であったものが地殻変動等で約3,000万年前に海から独立し、徐々に淡水化したのだとか。

 そして「世界一深い」湖でもあり、その深さは1,647mにも達するそうです。

 周知の通り、ロシアは冬の寒さが相当厳しく、ロシアの人々には周到な冬支度が欠かせないのだそうです。厳冬に備える為、特に衣服では動物の毛皮・皮革を多用するのが伝統的なので、被服費が大きな出費となるらしい。そんなロシア人のナタリアさんが来日して驚いたことのひとつが、1種類の靴で1年の殆どを過ごせることなんだとか。

 草木も凍る冬季でも子ども達は皆元気で、屋外でスキーやスケート、さらに各町に氷で作られた冬季限定遊園地で遊ぶのだとか。

 また、ロシアでは多く家族が町から離れた山裾に「ダーチャ」と呼ばれる菜園付きのセカンドハウスを所有しており、そこで春期から秋季にかけて収穫した野菜や果物や木の実を保存食として加工し、地下のカーブに貯蔵して冬に備えるのだそうです。

 因みにロシアの主食はパンとジャガイモで、ロシア伝統の料理や食材であるボルシチピロシキ、カテージチーズやサワークリームは日本でも既にお馴染みですね。

  ロシア独特の祝日としては、2月23日にメンズデー、翌3月8日にウーマンズデーと、日本のバレンタインデーやホワイトデー(そもそもどちらも海外から伝来の記念日ですが…)に相当するものがあるようです。

 また、イースターの9日後は「両親の日」と定められ、この日は家族総出で墓に出向き、そこで食事するのだそうです。ちょうど同時期に隣国の中国や中国から伝来した習慣を持つ沖縄でも「清明祭」と呼ばれる行事で同様のことをするので、何だかんだ言っても地続きなロシアと中国は、「死者を尊び、家族の絆を重んじる」と言う意味では同じ文化圏なのだなと言う印象を持ちました。

 最後に、ロシアの文化で日本とは大きく異なる興味深い事柄は以下の3つでしょうか?

 1.ロシアでは結婚する際、カップルは「ザックス」と呼ばれる戸籍登録機関に正装で出向き結婚の申請をしても、その後1カ月間は仮登録期間とみなされ、互いを十分に吟味する時間に充てられる。

 そして1カ月後、互いの関係に納得した上で再びザックスに出向き、申請書にサインをして初めて正式に結婚が認められるのだそうです。

 それでも、統計によれば結婚したカップルの実に8割が離婚してしまうロシア(離婚率の高さは世界一)。平均寿命の短さ、学生結婚の多さ、アルコール依存の問題、大家族制度等、ロシアならではの事情がありそうですね。

 2.ロシア人は知らない他人にはけっして笑顔を見せない
 それを聞くや否や、会場にいた人の何人かが「道理で、ロシアに旅行で行った時、店員さんが一様に不愛想だったのね」と納得していました。

 多民族国家ゆえなのか、ナタリアさん曰く、人々は他人を基本的に信用せず、互いに自己主張して譲らないせいでケンカになるケースも多いのだそうです。だから来日10年を超えたナタリアさんは故国から日本に戻って来た時に、日本の穏やかな雰囲気に思わずホッとするのだとか。

 3.ロシア語で「こんにちは」に相当する挨拶は「ズドラーストヴィチェ」と言い、これは「健康でいて下さい」と言う意味。

 世界で日本語の「こんにちは」に相当する言葉はさまざま存在しますが、意味としては大きく3種類に分類されるようです。

 1.「あなたにとって今日と言う日が良い1日でありますように」(英・伊・仏・西・韓、ヘブライ、アラビア等)
 2・「よく食べましたか?」(中国語)
 3.「あなたが健康でありますように」(ロシア語)

 それぞれの言葉の背景に、それぞれの国の歴史や文化や価値観を感じますね。日本語の「こんにちは」は「今日はご機嫌いかがですか?」が語源とされ、相手の気分や体調を気遣う表現から、1〜3の何れの意味も含んでいるような気がします。

 講座最後の3グループに分かれての参加者間の意見交換では、「他人に笑顔を見せない」と言うロシア人の文化的特性が、「性善説」に基づく人間関係が構築された社会に住む島国の日本人には衝撃的だったようで、皆さん一様に「驚いた」と言っておられました。

クリックすると元のサイズで表示します 左写真がロシアの民俗楽器バラライカ。デュオグループ、パフィの「アジアの純真」(井上陽水作詞、奥田民生作曲)の歌詞にも登場するバラライカ。印象的なフレーズで、初めて聴いてから20年以上経た今もその名はしっかりと記憶されていましたが、実物を見るのは今回が初めてでした。

 講座の途中と最後の2回に分けて披露された、もうひとりのナタリアさんによるバラライカの生演奏も、私は生まれて初めて聴くもので、貴重な体験となりました。

 演奏者のナタリアさんは1歳になったばかりのお嬢さんを連れての来場。まだ20代前半と言われても違和感のない、一児の母とは思えない比較的小柄で可憐な女性でした。本国では音楽教師をされていたそうで、バラライカは8歳の頃から演奏を始めたのだとか。

 初めて聴くバラライカの旋律は優しくも、どこか哀しげでした。女性のたおやかな歌声のようでもありました。受講者のひとりで元学校教師の年配女性曰く「かつては学校の音楽の授業で数多くのロシア民謡が紹介された」おかげか、演奏されたどの曲も聞き覚えのあるメロディーでした。

 また、70代以上の年配層の方々は所謂「歌声喫茶」世代で、若き日に夜な夜な都心の歌声喫茶に集っては、ダークダックスを代表とするヴォーカル・グループが世に広めたロシア民謡を全員で唱和した思い出がおありのようで、皆さん、懐かしそうに歌を口ずさんでおられました。


 講座の冒頭でファシリテーターの「ロシアに対する皆さんの印象は?」の質問に、ある年配男性が「北方領土問題があるから、あまり良い印象はないな」と答えておられました。この男性、社会の一線から退いて何十年も経ち、もう何も怖いものなしなんだろうなあ…にしても、こうした場では普通なら躊躇われる発言。間髪を入れずファシリテーターから「この講座では政治的な話題は…」のダメだし?も出た中(後で「人にはさまざまな考えがあって当然」と訂正)、その後の講師のナタリアさんの返答が立派でした。

 慎重に言葉を選びながらナタリアさんはこう言われました。

 「ふたつの国にはさまざまなネガティブな話題があります。私も講師を引き受けるに当たってそのことで悩みましたが、夫には(あまりネガティブなことには拘らずに)未来志向でポジティブな話をすれば良いんじゃない?と言われました。」

 「先の戦争であった悲しい出来事については、ロシア人のひとりとして謝ります。」


 草の根での、個人レベルでの交流の大切さをしみじみと感じた瞬間でした。

 国家間ではいろいろと難しい問題が横たわっているとしても、個々の人間に「違いに理解し合おう」と言う前向きな思いがある限り、相互理解は可能だと思います。出来ることなら、争いのない平和な世界を築きたいですね。 
クリックすると元のサイズで表示します


0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ