2017/4/28

わたしは、ダニエル・ブレイク(原題:I, DANIEL BLAKE、2016、英、仏、ベルギー)  映画(今年公開の映画を中心に)

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 最近どうも世の中が殺伐として見えて仕方がない。

 特にネット上の書き込みを見ると、記事に取り上げられた人物に対して辛辣な言葉を投げかける人が少なくない。

 取り上げられた人物が人を殺めたり傷つけたりした加害者であれば、人々が義憤に駆られての発言なのだろうと多少なりとも納得が行くのだが、「少しでもより良い社会に」との思いで活動している人々に対しても、容赦ない罵詈雑言が浴びせられていたりするのでビックリする。

 何をそんなにイライラしているのだろう?どんな風に解釈したら、人の善意をそこまで疑い、否定し、非難できるのだろう?どうして、そこまで心がささくれ立っているのだろう?

 心をえぐられるような否定的な言葉の羅列に、自分自身に直接投げかけられた言葉でもないのに、何だか心がざわつき、胸が痛む。

 今から100年程前の大戦前夜も、時代の空気はこんなものだったのだろうか?

 市民の大多数が年を追うごとに日々の暮らしに余裕を失い、あらゆる社会状況から明るい未来も展望できず、閉塞感に心が荒んで行く。弱った隣人を労わる余裕すらない。


 私が小学生の頃、社会科の授業で教わった英国は、"揺り籠から墓場まで"社会保障制度が行き届いた、日本が手本とする社会であった。つい10年前には、米国の映像作家マイケル・ムーアが、先進国で唯一公的医療保険制度を持たない自国とは対照的な素晴らしい国のひとつとして、英国を例に挙げていた。

 その英国で今、何が起きているのか?

 心臓を病んで失職した59歳の男性ダニエル・ブレイクと、彼を取り巻く人間模様を通して、本作は英国の今を描き出す。

つづく…
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2017/4/26

はとバス「群馬・栃木・茨城3食対決ツアー」!  国内旅行(旅の記録と話題)

 写真で綴る「最新はとバスツアー」。

群馬県館林市 館林うどん「もり陣」
 築100年の古民家を再利用した店舗には独特の風情があります(内部天井の梁に注目!)
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ご当地「ツルシコ絹(まゆ玉)うどん」&「ナマズ天ぷら」&「焼きまんじゅう」
 到着早々、朝食です。シルクパウダーを練り込んだと言うまゆ玉うどんはやや長めですが、喉越しツルリといただけます。珍しいナマズの天ぷらは、言われなければ分からないほど、柔らかな食感の白味魚と言った印象。お好みで醤油を付けて。焼きまんじゅうは表面はパリッ、中はフワフワの食感で、醤油ダレの味が効いています。
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ぶんぶくちゃがま(分福茶釜)の茂林寺
 曹洞宗の古刹ですが、厳しい修行で知られる張り詰めた空気の本山永平寺とは違って、童話「ぶんぶくちゃがま」効果もあって庶民的で和やかな雰囲気。

 「ぶんぶくちゃがま(分福茶釜)」とは、茶釜に化けたタヌキを巡るお話。

 ある時、お寺の住職が買った茶釜を火にかけたところ、茶釜が「熱いっ!」と声を出した。気味悪く思った住職は茶釜を古道具屋にタダで譲る。茶釜はタヌキが化けた物と知った古道具屋は、元の姿に戻れなくなったタヌキの茶釜を「分福茶釜」と銘打って、見世物にして大いに儲けた。タヌキが茶釜の姿のまま亡くなると、古道具屋はそれを茂林寺に奉納して供養して貰ったと言う。

 実際にその茶釜を、茂林寺の本堂の宝物コーナーで見ることができます。分福とは、「福を分ける」と言う意味で、茶釜に向かって「私にも福を分けて下さい」と手を合わせると、ご利益があるそうです。

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本堂裏のツツジと竹林
 日本でも猛暑を記録する場所として知られる館林ですが、竹林を抜ける風は涼しく、ここだけは(体感的に)気温が1〜2度低いのだそうです。季節柄、ツツジや藤の花が咲き始めていました。
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咲き乱れる八重桜
 量感のある八重桜。ソメイヨシノとはまた違った柔らかでふくよかな美しさ。
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タヌキとツツジ
 愛嬌たっぷりな造形のタヌキ。境内にはこうしたタヌキの像が大小沢山ありました。鮮やかなツツジを背景に。
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 タヌキの像の各パーツには、さまざまな意味が込められているようです。
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栃木県佐野市 佐野ラーメン「マルウチ食品」
 佐野市の工業団地の一角にあるラーメンの製造会社。工場見学と試食と栃木名産品の買い物が出来ます。今回はこちらで昼食です。個人的には2度目の訪問。
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佐野名物「いもフライ」
 ジャガイモに衣をつけて揚げたご当地人気のおやつ。ボリューミィです。
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佐野名物「佐野ラーメン」
 あっさり醤油味のスープ&太目の縮れ麺に、ショウガの風味が効いた大ぶりチャーシューが美味でした。たっぷりのネギ、メンマと意外に具だくさん。大判の海苔も迫力有り。
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栃木県栃木市「岩下の新生姜ミュージアム」
 「♬岩下の新生姜♬」のCMでお馴染みの岩下食品(株)が作った施設。新生姜をイメージしたベビーピンクを基調とした施設の佇まいは、主力商品である新生姜への事業者の深い愛情が感じられます。
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岩下の新生姜の原料である台湾産「本島姜」
 右写真は高さ5mの巨大な新生姜の被り物(笑)。その巨大な新生姜をつまんでいるピンクの巨大な箸(笑)。
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新生姜ソフトクリーム(売店で購入)
 ソフトクリームもピンク色。ほんのり生姜風味で、ヘルシーな味わい(笑)。
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茨城県結城市 旅の駅 結城つむぎセンター
 こちらでは入場時に、試食品として茨城特産の「干し芋」を一切れいただきました。干すことで濃縮した素材の甘みが美味しく、思わず本品を買ってしまいました(笑)。確か、茨城の干し芋文化はアフリカにも伝えられて、食糧難解消の一助となっているんですよね。以前、テレ東の「ガイアの夜明け」で、そのレポートを見たことがあります。
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行く先々でいただいた、お土産の数々
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茨城県つくば市のレストラン「筑波山ひたち野」
 舗装された峠道?をひたすら蛇行して辿り着いた、山の中腹にある本格炭火焼ステーキハウス。英国の古民家<アン・ハサウエイの家など…>を思わせるような堂々とした佇まいの建物が印象的(リーフレットによれば、建物は白川郷から移築したものだそうです)
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「常陸牛しぐれ煮ひつまぶし」
 夕食としていただくのは、和食のしぐれ煮ひつまぶし。3通りの味わい方で、常陸牛を堪能します。付け合わせは野菜サラダ、大根の煮物、冷奴のゴマダレ和え、なめこの味噌汁など。
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夕闇迫る筑波山
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 スタートから観光もそこそこに食べ通しの"食い倒れツアー"でした(笑)。都道府県魅力度ランキングで下位の常連と言われる北関東3県ですが、それぞれにその土地ならではの風土と味覚を備えた場所でした(茨城の広大な田園風景が、今回は特に印象的でした)。何より人が温和な印象。しかし、立派な舗装路に車通りも殆どない。都会の混雑に慣れた自分には、住人の少なさが地方の衰退にどれだけの影響があるのか気になりました。

 本ツアーは日テレ昼番組の「ヒルナンデス」で、来る5月8日(月)と15日(月)の2回に渡って紹介されるそうです。

 テレビロケを終日間近で見たのは今回が初めてでしたが、レポーターを務めるタレントの皆さんのタフぶりに何より驚きました。一般の参加者が次第に口数少なくなって行く中で、終始饒舌でした(まあ、仕事ですからね)

 ヴィジュアル的には国生さゆりさんのキュッと締まった足首と岡井千聖さんの顔の小ささが印象的でした(笑)。

 私が見た限りでは、タレントさんと一般の乗客との絡みは殆どありませんでした。出発地の浜松町から夕食のレストラン到着までバスには同乗していましたが、一緒にツアーに参加したと言う感じではないですね。当然でしょうが…まあ、興味深い体験ではありました。

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 結城市公認のゆるキャラ「まゆげった」君。結城市特産の「結城紬」「下駄」をモチーフにしたゆるキャラです。真っ白で丸っこい身体は結城紬の生糸の原料である"繭(まゆ)"、立派な眉毛は下駄の"鼻緒"ですね。

 このまゆげった君、「旅の駅 結城つむぎセンター」の店頭で来店客に盛んに愛嬌を振りまいていましたご当地ゆるキャラを間近に見たのは今回が初めてですが、結構かわいいものですね。

はとバスツアー:群馬・栃木・茨城3食対決!
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2017/4/25

まずは朝ごはん?!  携帯電話から投稿


クリックすると元のサイズで表示します 最初に着いたのは群馬県館林市。

 分福茶釜ゆかりの茂林寺近くの「もり陣」で、まゆ玉うどんと鯰の天ぷらをいただきました。

 鯰は初めて食べたのですが、言われなければ鯰とは分からない、柔かな食感の白身魚の天ぷらでした。

 まゆ玉うどんは長めなうどんで、これもなかなか美味しかったです。

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2017/4/25

今日は、はとバスツアーに参加です♪  携帯電話から投稿

今回は北関東三県を巡る、はとバスの最新グルメツアーです。

今回のツアーには日テレの「ヒルナンデス」の取材が入っているようです。

先ほど、国生さゆりさんとココリコの遠藤さんを見かけました。

テレビ取材のおかげか、通常よりツアー代金が2割程安くなっているので参加を決めました。

グルメツアーと銘打っているだけあって、普段参加しているツアーに比べて観光は少なく、食べてばかりのツアーのようです。

定期健診が近いのに、太りそうです(笑)。

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2017/4/16

やっぱり深刻らしいカードローン問題  はなこのMEMO

 つい最近、当ブログでも気になることとして取り上げた「カードローン問題」だが、先日、NHKの「クローズアップ現代」でも、その深刻な状況のレポートがあった。

 興味深い内容だったので、ここにメモっておこうと思う。


1.カードローンの何が問題なのか?

@利用者に対する過剰融資→多重債務者、自己破産者の増加

 カードローンの金利は年利10〜15%と高金利な上に、月々の支払額を一定にするリボルビング払い方式を勧める為、雪だるま式に借金が増える結果となっている。
 
 例1)50万円を年利14%、6年で返済する場合、総返済額は754,720円となる。
 毎月の支払額のほぼ半分は利息と見て良い。だから返済してもなかなか借金は減らない。

 例2)離婚をきっかけに生活に困窮したAさんは年収200万円で、複数の銀行から合計250万円を借り入れ(←なぜ返済能力をチェックする審査に通ってしまうのか?)、結局7年後に返済に行き詰まり自己破産した。

 Q.なぜ、銀行は過剰融資をするのか?

 A.消費者金融業者と手を組むことで、リスクを避けつつ大きな利益を上げており、銀行にとっては正にローリスク・ハイリターンの事業だから(消費者がどうなろうが知ったこっちゃない)
 
  [そのからくり]

 消費者金融業者は銀行に代わって消費者の貸付審査を行い、さらに銀行に対して債務保証も行い(つまり、滞納者への督促も肩代わりする)、その見返りとして銀行から手数料収入を得る。 

 銀行は手数料を支払うことで消費者金融に消費者の貸付審査を丸投げし、債務保証も得て、リスクをとることなく、消費者に融資して貸付利益を上げる。

 消費者は運転免許証等の身分証明書の提示と年収の自己申告で、いとも簡単にカードローンのカードを取得することが出来る。←悪質なケースとして、銀行から保証会社の社員に対して、個別に審査を通すよう圧力がかかることもあると言う。

A銀行経営の不健全化

 例えば地方銀行では、地場産業の育成と言う役割を担っているにも関わらず、日銀のマイナス金利政策により悪化した収益の穴埋めとして、リスクのある企業向け融資を渋る一方で個人向けカードローンに注力するケースが増えている。中には今やカードローンが収益の中核となっている銀行もあり、そこの若手行員はカードローンの案件の数で評価されると言う。

 2000年代に消費者金融業者への消費者の多重債務が社会問題化し、その解決を図るため2006年には貸金業法が改正されたが、その対象は消費者金融業者のみであった。2010年には総量規制が導入され、現在では消費者金融ローン取り扱い高は10兆円減少したのに対し、銀行のカードローンは2兆円増加している(つまり、借り入れ先が消費者金融から銀行に代わっただけ。ならば、なぜ銀行は法規制の対象外なんだろう?法律が現状に追いついていないだけなのか?それとも、わざと見て見ぬフリをしているのか?)


2.この問題にどう対処すべきなのか?

 専門家も不測の出費に対応するケースも少なくない消費者ローン自体を全否定するわけではないが(利用目的としては娯楽、生活費…トラブル、教育費の順に多い。1位が娯楽と言うのが意外。そんな安易な理由で借金しているのか?娯楽の中には当然ながらギャンブルも含まれるのか?)、昨今の問題を踏まえて金融業者の在り方として、リスクを適正に審査すべきだと警鐘を鳴らす→結局将来的には、銀行の本来の在り方を貫く地域経済に貢献できる銀行だけが生き残れるのではないか?

 消費者救済に奔走する弁護士は、銀行カードローンに頼る前に、地域の社会福祉協議会などが窓口となっている「生活福祉資金貸付制度(←この制度の存在自体、あまり知られていないのではないか?)の利用を呼び掛けている。

 さらにカードローン問題で困った場合は弁護士会、司法書士会、消費生活センターへ相談して欲しいと呼び掛けた。


 今回のレポートで、アベノミクスの援護射撃としての日銀のゼロ金利政策が銀行の収益を悪化させ、銀行にカードローン事業への注力を促す結果となっていることに愕然とした(後々、「アベノミクスって一体何だったんだろうね」となりかねない雲行き…)

 風が吹けば桶屋が儲かるとばかりに、ある政策が思わぬ波及効果をもたらすことは往々にしてあるように思う。今回はどう見てもマイナスに作用した形だろう。

 銀行は「お金を儲けてナンボ」の企業なのかもしれないが、同時に社会の血液とも言えるお金を円滑に循環させる重責(使命)も担っていることを忘れてはならない銀行はかつての金融危機で、公的資金を投入して救済されたことを忘れたのだろうか?
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2017/4/14

日中、我が家に居られない…  日々のよしなしごと

 今週から上階の部屋の全面改装工事が始まり、その騒音が凄まじい。

 上階の元々の所有者が身を持ち崩してマンションの管理費も滞納するなどして、結局上階は競売にかけられ、それを取得した不動産業者が全面改装の上、売りに出す予定らしいのだが、数年間誰も住むことなく、一切換気もせず放置されていたため、現状ではとても人の住めない酷い状態のようだ(人が住まなくなった家は傷むのが早いんだよね。そもそも、上階からは持ち主が家を手放す前にも、トイレ天井への水漏れ<←我が家へ一切謝罪なし>や、どういう状況でそうなるのか不明だが上階の網戸が我が家のベランダまで垂れ下がるなど、下階の我が家はいろいろと迷惑を被った)

 しかし、新築ならともかく、下階には人が住んでいるんだぞ。そのことへの配慮なしに、例えば施工業者が物を床に投げ出すように置くなど言語道断だ。我が家の天井が抜けるかと思うほどの振動がある。

 工事の1月前くらいに不動産会社の営業担当者が菓子折り持って挨拶には来たけれど、こんな状態が3カ月近く続くなんて信じられない我が家にはデメリットこそあれ、何のメリットもないんだよね。

 普段は閑静な住宅街で、心穏やかに過ごせるのに…

 精神衛生上悪いことこの上ないので、今日は午後から外出します。でも毎日は外出していられないからなあ…

 一応、営業担当者の名刺をいただいたので、トンカチの音やドリル音は仕方ないとしても、物(資材?)の置き方がずっと今のようにぞんざいなら、苦情の電話を入れるつもりだ。
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2017/4/9

NHK−BSプレミアムの「チョイ住み」シリーズが面白い♪PART2  海外旅行(旅の記録と話題)

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 上掲写真は個人的にお気に入りの「キューバ編」です。

 前の記事が重くなったので、ここにPART2をUPします。

 思い起こせば、第1回のパリ編の放送は2015年3月14日でした。あれから早2年が経過しました。

 そこで、これまでの放映スケジュールを改めて振り返ってみたいと思います。

 1.2015年 3月14日(欧) 「パリ編」
 2.      6月27日(欧) 「ロンドン編」
 3.      9月26日(欧) 「フィレンツェ編」
 4.     12月30日(米) 「ニューヨーク編」
 5.2016年 4月30日(亜) 「台湾編」
 6.      7月21日(中米)「キューバ編」
 7.      9月 3日(亜) 「ハノイ編」
 8.     10月29日(欧) 「リスボン編」
 9.     12月24日(欧) 「フィンランド編」
10.2017年 3月 4日(亜) 「釜山編」

 こうして見ると、初年度の2015年は3カ月のインターバルを置いて放映されていましたが、2016年度は最初の2本こそ3カ月のインターバルを置いていたものの、以降は5カ月の間に3本放映されています。

 そして今年度の2017年は(前年度)前回放映から3カ月後に釜山編が放映されています。もし、当初の「3か月に1回の法則」?が適用されるならば、次回の放映は6月となるわけですが、2016年の後半のような不規則放送の可能性もなきにしもあらずなので、ファンとしては基本的に公式サイトやツィッター等での告知を待つしかないようです(詳細は不明ですが、NHK−BSの1カ月単位の番組表はなくなったようです)

 滞在地の分布を見てみると、これまでは北半球に集中しているので、そろそろ南半球に行くこともあるのではと思ったりもするのですが、どうなんでしょうね?

過去の関連記事:『NHK−BS]プレミアムの「チョイ住み」が面白い♪』

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

【2017.04.26 追記】

 先週だったか、公式ツィッターに次回の滞在先が「香港」を匂わせる謎の書き込みがあったのですが、いつの間にか消えていますね。

 香港は一応予想の範囲内ですし、香港自体は面白い地域だとは思うのですが、3月の韓国の次に香港と2回続けてアジアと言うのはちょっと残念な気がします。次回は出来れば思いっきり遠くに行って欲しいなあ…

 出演者が、特に若手の方はこれまで有望株の俳優さんが多かったので、スケジュールの関係からあまり遠征できないのかもしれませんが、願わくば、まだあまり旅慣れていない、かつスポンジのように柔らかな心で新しい環境に対応できる人が良いですね。さらに短期間の滞在なので、同居するバディや現地の人々と良好な関係を築く為に、高いコミュニケーション能力も求められる。尤も次回はそろそろ久しぶりに女性の出番かもしれないし、俳優さんでない可能性もありますね。

 そう言えば、俳優&司会の谷原章介さんが「王様のブランチ」のMCを3月に卒業されたので、料理上手と言う"鉄板の条件"を満たし、かつ番組出演も多いなどNHKへの貢献度も高いので、熟年?バディの候補として俄然有力になったと思います。

 このところの不安定な世界情勢ではヨーロッパや東南西アジア、中南米はテロや暴動や犯罪の危険性が大き過ぎて、お気楽に「チョイ住み」とは行かないだろうから、ニュージーランドやタスマニア島辺りはどうなんでしょうね?

 「チョイ住み」シリーズも3年目を迎え、そろそろ南半球に進出して貰いたいなと、ファンとしては勝手な願望を抱いています(笑)。

 私事ですが、息子はGWに会社の同僚とフィリピンに行くことになりました。中東に駐在時代、フィリピン人のメイド兼ベビーシッターさんにはとてもお世話になったので、フィリピン人に対して悪いイメージはないのですが、海外への出稼ぎ労働に頼る脆弱な国家財政のフィリピンと言う国の治安(おそらく他の非先進国同様、貧富の差が激しく、それが社会不安を生んで、犯罪の温床となっている?)はどうなのかと少し心配です。

【2017.04.22 追記】

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 改めて「釜山編」を見てみましたが、多少の物足りなさはあるものの、そこそこ楽しめました。

 物足りなさの原因のひとつは、取り上げたトピックが盛り沢山過ぎたせいか、トピックひとつひとつへの"突っ込み"の度合いが浅い、と言うことでしょうか?トピックによってはもう少し深堀しても良かったのではないか?

 また、せっかくふたりでの共同生活なのに、ふたりで協力して何かを成し遂げる部分がなかったのも残念です。そのせいか、「チョイ住み」の最大の魅力である"世代も活躍するジャンルも異なるふたりの共同生活がもたらす化学反応の面白さ"が今一つ感じられなかった。

 例えば過去の「リスボン編」では、地元で愛される飲物「サングリア」の基本的なレシピを地元の人から教わり、小川氏と涼真君がふたりで試行錯誤しながら彼らなりのサングリアを作りあげるなど、ふたりで共同作業して一つのことをやりとげた達成感があり、アパート滞在で自炊できる「チョイ住み」ならではのメリットも十分に生かされていたわけです。

 さらに釜山は日本に最も近い外国の街ということもあり、町並みも異国情緒という点では、まったく風土・文化の異なる欧米よりはインパクトが弱いだけに、旅人おふたりの地元の人々との関わり方に、より一層注目して見ていました。

 昭和を知る私のような世代の人間からすれば、どこか日本の昭和を思わせる釜山の町並みには懐かしさを覚えたりもしたのですが、談笑師匠や中村君が番組の中で接した地元の人々も老若男女関係なく人情に厚く親切な人が多かった印象です。マスコミ報道やネット情報で伝え聞く、いつまでも過去の出来事に拘泥して日本を責め続ける韓国人の姿とは違うものでした。

 番組の中で談笑師匠は、過去に日韓の間で起きた出来事に関して、自身が加害者側と言う立ち位置で地元の人々に向き合う姿勢を一貫して見せておられましたが、その点については正直、違和感を覚えました。番組でも紹介された「朝鮮通信使記念館」の存在が示すように、隣国である以上、両国は長きに渡って継続的に何らかの関わりを持って来たのですから、その間に平和的な交流もあれば、諍いもあったはずです。

 何十年も前の過去の出来事について、果たして当事者でもない今を生きる人々が、個人レベルで責任を負わなければならないものなのか?そこまで負い目を感じるべきなのか?私が師匠の姿勢に戸惑ったのは、そんな疑問からでした。そもそも一介の旅行者に過ぎない初対面の師匠に、突然過去の歴史について切り出されても、師匠を客人としてもてなしている地元の人々は戸惑うばかりでしょう。

 隣国間での諍いの歴史は何も日韓に限ったことではなく、それこそ、数多くの国々が国境を接してひしめき合うヨーロッパは何百年にも渡り領土紛争の歴史を歩んで来ました。結局、人間のやることなんて洋の東西に関係なく、あまり変わらないんですね。

 人間は他者との関係において何度でも過ちを繰り返すし、その反省に立って新たな関係を築く努力もする。そもそも人類の歴史なんて、創造と破壊、築いては壊しの繰り返しと言えなくもない。

 それは国家間にも言えることで、国家間の関係において何らかの問題が生じた場合、さまざまな困難があろうとも、どこかで区切りをつけて、両者が互いに歩み寄る姿勢なくしては、いつまで経っても問題は解決しないでしょう。それは市民ではなく、「政治(家)」が果たすべき役割であると私は考えます。

 そして、たとえ国家レベルではさまざまな問題があるとしても、市民レベルでは交流を絶やさず、互いの国にひとりでも多くの友人知人を作ることが大切なのかもしれません。互いを知らないが故に陥る疑心暗鬼こそが諍いの種となるのですから(彼の国の現状を見れば、周囲から"孤立"することの危うさを感じずにはいられません)無知が生み出す偏見ほど愚かなものはありません。

 また、町並みや、人々の外見や暮らしぶりに両国間で近似性が見られたとしても、けっしてまったく同じと言うわけではないこと、即ち"似て非なるもの"だと言うことや、現地に対して事前に持っていた情報や印象が必ずしも正確ではなかったことも、実際に旅したり滞在するなどして、現地の人々と触れ合って初めて知り得ることです。その違いを知った時の驚きも、正に旅の醍醐味のひとつと言えます。

 その意味でも、個人が自由に他国を旅することが出来るのは素晴らしいことだな、とつくづく思います。 

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2017/4/6

目黒川で花見♬  日々のよしなしごと

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 東京都心でも20度を超えたポカポカ陽気の5日(水)に、友人7人と連れだって目黒川で満開の桜を見て来ました。
 
クリックすると元のサイズで表示します まずは代官山にある、ランチタイムで広い店内がほぼ満席のメキシカン・レストランで腹ごしらえ。1000円程でお腹いっぱいになるボリューミィな一皿。私はタコスを食べました。トルティーヤとドリンクはおかわりもOK

 ホント!日本てランチ天国

 香港に一時里帰りしていたNちゃんによれば、香港行きの飛行機はガラガラだったのに、東京行きの飛行機はほぼ満席で、この時期の桜目当ての外国人観光客の多さには改めて驚いたのだとか。

 桜が満開の目黒川界隈でも、さまざまな言語が飛び交い、盛んにスマホやカメラで日本人に混じってさまざまな国籍・人種の外国人が満面の笑みを浮かべながら自撮りする姿に、日本の桜の世界的認知度の高まりを実感しました。

 連日のようにテレビ番組で目黒川界隈の賑わいが映し出されていたので覚悟はしていましたが、やはり川べりの通路と言う通路がまるで初詣の神社仏閣の参道のような混雑で、油断すると友人達からはぐれて迷子になりそうでした。
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 界隈には有名芸能人も多数住んでいるらしく、運が良ければ花見客に交じって界隈を歩く芸能人を見かけることもあるそうです。私達はあいにく遭遇せず。

 界隈の一角には、若者に人気のエグザイルのメンバーが経営していると言うカフェの前で長蛇の列が出来ていました。最初、何の行列なのか分からず、思わず並んでいる人に聞いてしまいました(笑)。年齢的にエグザイルのメンバーの名前を言われてもピンと来なくて、世代間ギャップを感じた瞬間でした(苦笑)。

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 今回はあまりの混雑に、延びた枝の上で咲き乱れる花の接写は叶わず…
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 翌日の木曜は一転して強風吹き荒れる荒天で、天気が変わりやすいこの時期に、つくづく良い日和に花見が出来たなあと思いました。本当にラッキーでした
 
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2017/4/3

論点が違うのでは?  気になったニュース

 埼玉県行田市で、神社を訪れた帰り父親(栃木県真岡市在住)が目を離した隙に、1歳半の幼児が歩道橋から5m下の歩道に転落し頭部を強打したと言う事故に関するTVの報道が気になった。

 TV局のレポートはもっぱら「幼児がすり抜けて転落したと言う歩道橋の欄干の横材を支える垂直材の設置間隔」について言及していた。

 行田市では歩道橋の欄干垂直材の間隔の基準は15cm以内と定めているそうだが、転落事故が発生した垂直材の間隔はなぜか2か所のみ20cmもあった。

 テレビ局クルーが街中の1歳半前後の幼児数人の頭の直径を計測すると、幼児の頭の直径は12〜14cmで、垂直材の間隔が20cmならば易々とすり抜けてしまうことが分かった。

 行田市によれば、その歩道橋は1960年代に設置されたもので、今となってはなぜ垂直材の間隔の一部が20cmになったのかは分からないと言う。

 取材を受けた幼児の親達も皆一様に、間隔が20cmでは危険だとの感想を述べていた。

 しかし、ここで私は思うのだ。これまで、こうした事故は何件発生したのだろうと。珍しい事件だから、ここまで大きく取り上げられているのではないか?同行していた親が幼児の手をしっかり繋いだり抱っこすれば、十分防げた事故だったのではないか?と。

 報道によれば、父親が一瞬目を離した隙に女児の姿が見えなくなり、慌てて探すと歩道橋下から泣き声が聞こえて転落に気付いたと言う。

 この父親にとっての一瞬とはいったい何秒、否、何分なのだろう?

 今回5m下に転落した女児は転落直後泣き声を上げており、これといった外傷はなく命に別状はないとの一報だが、頭部を強打したとなれば、今後、何らかの障害が出ないとも限らない。被害女児は本当に大丈夫なんだろうか?

 このブログでも何度も言及しているが、外出先で幼児の手を繋がない親は少なくない。第三者の私が傍から見てもハラハラするので、思い余って注意してもなお一部の親はキョトンとするばかりで我が子の手を繋ごうとしない。

 つい先日もバスターミナルでバスを待っている間、やはりおぼつかない足取りの幼児が周囲をチョロチョロ動き回って、親はすぐ近くにいたので大丈夫と思っていたのかもしれないが、誤って道路側に転落しやしないかと私は内心ひやひやしていた。

 車や人通りを気にせずにいられる児童公園内ならともかく、混雑したショッピングモールの通路や駐車場や駅の構内、エレベーターや電車の乗降時や、車や自転車が頻繁に行き交う道路でも、よちよち歩きや動きの活発な幼児の手を繋がない親はいる。

 日本も欧米並みに(海外で初めて目にした時には、子どもをペット扱いしているように見えてギョッとしたけれど)我が子をハーネスで繋ぐ時代が来たのかもしれない(つまり外出時、親が常に我が子に注意を向けられないのであれば、道具に頼るしかないと言うこと)

 
 テレビの報道番組の論調は「歩道橋の欄干の垂直材の設置間隔が問題だ」と言う風に私には受け取れたのだが、それより何より、こと今回の事故に関しては親の不注意が最も問題なのではないか?(歩道橋では階段からの転落の危険もあるのだから、親は幼児の手をしっかり繋ぐか、抱きかかえて欲しい。)


 自ら身を守る術をまだ知らない乳幼児にとって、この世界は危険な物事が際限なくある。社会の責任として、その危険を出来る限り除去する努力は当然だが、全てに対応することは難しいのが実情である。それだけに無力な乳幼児を、周囲の大人、中でも子どもをこの世に送り出した親が、常に何を置いても守るしかないのではないか?(それでも不運が重なって、守り切れないことがあるけれど…)

 SNSでの主に母親達のコメントを見ても、父親の注意不足を指摘する声が多く、「スマホでも見ていたのでは?」との声もあった。親にしてみれば、一瞬の不注意が大きな後悔に繋がる可能性があるのだ。

 SNS上に、祖母からの言い伝えとして、年齢の数え方が「つ」で終わる年齢(「一つ」から「九つ」)までは成長毎に「目を離すな」「手を離すな」「心を離すな」と言う話が紹介されていて、「なるほど!」と思った。

 多くの親が今回の痛ましい事故を自身の教訓として(私自身、親の不注意で幼い妹を事故で亡くしている)、幼い我が子を危険から守ることに今以上に心を砕いて欲しいと心から願う。 
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2017/3/18

ちょっと気になること3つ  はなこのMEMO

■大手銀行カードローンのCM

 某大手銀行のカードローンのテレビCMに俳優の阿部寛さん(確か竹中直人さんやタモリさんも…)が出演している。阿部さんは好きな俳優さんなので、一般の人々に安易に借金を勧めるCMに彼が出演していることにちょっとがっかりしている。

 高感度の高い彼が爽やかに微笑んで勧めたら、本来なら熟慮すべき借金へのハードルも確実に低くなるだろう。

 昨日のニュースによれば、この5年でカードローンの利用総額は60%も増加しているそうだ。国内で営業する銀行を会員に持つ全国銀行協会はカードローン利用者の増加を受けて、利用者の多重債務を懸念し、改めて各銀行へ利用者の収入や(他行やサラ金業者も含めた)借入総額を確認して、その返済能力を見極めるよう注意を促していると言う。

 近年は正規の住宅ローン等も貸付の低金利が続き、また、景気の先行きへの不安もあって企業の設備投資意欲もなかなか高まらず、大手銀行は利幅の大きな大手サラ金業者を傘下に入れる等して、貸付利益を上げることに躍起になっている(ように見える)

 一方、国民の間では非正規雇用者が増えて、「ワーキングプア」と呼ばれる生活困窮者も増えているが、彼らが担保が要らない代わりに貸付金利の高いカードローン利用で多重債務に陥る危険性は高まっていると思う(全銀協が注意喚起する位だから、事態は私達が想像する以上によほど深刻な状況なんだろう)

 誰でも真面目に働けば、借金に頼らずに暮らして行ける社会になることが理想だけれど…せめて日本という国が、特に若い人が将来に夢の持てる社会になって欲しいと切に思う


■カジノ誘致の危うさ

 日本でも疲弊する地方経済の救世主としてカジノの誘致が有望視されているが、先行する韓国の現状を見ると不安しかない。

 韓国には全土に7つのカジノがあるらしいが、カンウォン道にあるカジノのみ韓国人も利用が可能だそうだ。元は炭鉱町だった街の起死回生の策として1990年代にカジノを誘致。カジノ目当てに年間300万人もの人々が当地を訪れ、そこだけで国内の収益の半分以上を占めるらしい(つまり、国の当初の外貨獲得の目論見は外れて、外国人観光客より自国民がカジノで散財しているということ)

 確かに街はカジノの誘致によって財政的には潤った。しかし、カジノ客目当ての風俗店が増え、カジノにのめり込んで身を持ち崩した「カジノ・ホームレス」が1,000人以上も街に留まって、街の風紀はけっして良いとは言えない。さらに街の質屋の周辺では常時50〜70台の車が質預かり品として路上に放置されているらしい。

 しかも、「カジノ・ホームレス」となった人々の前職を聞くと、それなりに高い収入や地位だったりする。そんな普通の人々がカジノに嵌ったばかりに、仕事も地位も財産も、そして家族や帰る場所も失ってしまったのだ。けっして他人事とは思えない。

 そんな街は子育てに適していないと見切りをつけられたのか、地元の小学校は在籍児童の減少が続いていると言う。街の様子を想像するだけでも寒々しいものを感じる。

 韓国では現在100人中5人がギャンブル依存症と言われ、カジノ側も1カ月に入場できる回数を制限する等して対応していると言うが、現地の賭博問題管理センターの担当者は「ギャンブル依存症はなってしまってからでは遅い。予防が一番」と訴える。

 日本でも大阪府や沖縄県がカジノ誘致の候補地として有力視されているが、それでなくても風紀や教育の面で他の自治体に比べて問題の多い両者が、カジノを誘致することでさらに問題が深刻化するのではと心配だ。

 カジノは「劇薬」かもしれないのだ。


■たった一言の台詞に歴然と出る演技力の差

 映画館で「追憶」と言う映画の予告編を見る度に感じる事がある。

 最近主演作が相次ぎ、俳優としての評価も高まっているアイドル出身の岡田准一君だが、舞台経験も豊富な小栗旬君との絡みのシーンではどうしても演技力の差が出てしまう。

 一方的にがなりたてるだけの岡田君に対し、ほんの短い台詞の中にも繊細に抑揚をつけて、登場人物の心の奥底にある哀しみを表現してみせる小栗君。「中堅二人の演技対決に勝負あった!」と、そのシーンを見る度に思うのである。

 さすがに小栗君は蜷川舞台で鍛えられただけのことはある。彼は公私共に華やかな雰囲気から、単なる人気俳優と捉えられがちだが、なかなかどうして演技巧者だと思う。

 無類の女好きとの噂もあるが、それだけエネルギッシュと言うことなんだろう。お金の使い方にも太っ腹なところがあるようだし、先輩後輩からも慕われ人望も厚いようだし、日本初の俳優の労働組合結成にも動いているようだし、人としてなかなかの器の持ち主だと思う。

 あいにく小栗君の出演(ほぼ主演?)舞台は未見だけれど、彼の出演するテレビドラマや映画は殆ど見ている。中堅俳優の中では最も期待している俳優のひとりだ。

 だから、つまらないことで躓(つまづ)かないで欲しいと願っている。
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2017/3/16

もっと自分を信じて、自分の気持ちに正直に生きたら良いのに…  日々のよしなしごと

 何とはなしにテレビの電源を入れたら、ちょうどバラエティ番組で、「こんな人は嫌われる」と言う主旨のテーマで、SNSでの発言等、具体例が挙げられていた。

 そこで私が素朴な疑問として思ったのは、「なぜ、そんなに他人から嫌われることを恐れるのか?」と言うこと。

 現実社会では本音と建前を使い分ける日本人が、ネット上では辛辣なまでに本音を吐露するようになった今、いかにさまざまな価値観のもとで人々が物事の良し悪し、好き嫌いを語っているかが分かったのに、今更万人受けする発言や行動などありはしないのに、他人に嫌われまいと気を使い過ぎて、心を疲弊させてしまう日本人。

 他人に直接危害を加えたり、迷惑をかける恐れのある言動、極端に社会秩序を乱す言動でない限り、あまり他人の目や評価を気にする必要などないのではないか。私は生まれも育ちも日本人だけれど、私の目から見ても日本人は他人の目を気にし過ぎだ。

 アマゾンのクチコミを見ても、ある商品について、ある人は高い評価を下し、ある人はこき下ろす。絶対的な評価などあり得ないのだ。すべて評価者自身の価値観に基づく相対的評価。だから、人の評価など、殊更気にする必要などないのだ。自分が良いと思うのなら、自分の価値判断を信じたら良い。気に入ったのなら、他人の目、評価など気にせずにガンガン使えば良い。大切なのは、自分と直接関わり合いのない他人からどう見られるかより、「これから長く付き合うであろう物」との関係だ。

 服装についても同様だ。ある服の色に対して、ある人は「きれいな色ね」と言い、ある人は「年甲斐もなく派手な色」と言う。そもそも誰からも褒められる服なんてない。誰からも貶されない服もない。皆、好き勝手に自分の立ち位置から物を言っているだけなのだから、その言葉に言うほどの重みもない。だったら、他人の言うことなど気にせずに、自分の着たい服を着たらよい。自分が着て心地よいと思う服を思う存分着れば良い。それが自分の気持ちに正直な在り方であり、自分らしさなのだから(とは言え、発言者が単なる悪口ではなく良かれと思ってかける言葉を、アドバイスとして受け留める度量は持っていたい。そこには新たな自分を発見するヒントが隠されていることもあるから)

 また、最近読んだ記事で、ママ友いじめをする人(あくまでも一部の人々)の特徴として、彼女達は総じて自分に自信がなく、ある集団の中での自分の相対的な評価を気にする傾向が強いとの分析があった。だから、ひとりでは行動も判断も出来ない、自立も自律も出来ない人々なのだ。実際、常にグループでつるんで、グループの輪から脱落しまいと汲々としているように見える。

 さらに自分達の集団の中での価値観に基づいて、勝手に他人を評価しているのが彼女達だ。その価値判断に公正さはない。斯様な"期間"も"範囲"も限られた場でしか通用しない価値観に振り回されるのは、ナンセンス以外のなにものでもない。もっと広い世界に目を向ければ、ママ友世界での問題など、取るに足らないものだと分かるはずだ。

 只中にいるとそのことになかなか気づけないのかもしれないが、ママ友を巡る関係で悩んでいる人は、出来るだけ悩みは溜め込まずに自分が心許せる人間に打ち明けて、少しでも心を軽くする逃げ道は作っておきたい。一部の人間があれこれ言おうが、それは雑音として聞き流し、自分は親としてやるべきことを着実にこなすだけだ。そのうちにコップの中の嵐も過ぎ去って行く。


 結局、社会を窮屈にしているのは私達自身だ。生きづらさの原因は私達自身の中にある。「嫌われる勇気」なんてフレーズが流行ったのも、私達日本人があまりにも他人の目を気にし、嫌われることを恐れていることの裏返しなんだろう。

 そう言えば、日本には「村八分」と言う言葉があるように、日本人は集団から外れることを何よりも恐れる。そのためには「出る杭」にならないよう自身の言動も抑制するほどだ。言動の自由を奪われることを何よりも恐れる欧米とは真逆である(子どもの躾けにおいても罰として、日本の親は子どもを自宅から追い出して突き放すが、米国の親は逆に子どもに外出禁止令を出して子どもから自由を奪う傾向が強い)

 「民主主義」や「言論の自由」と言う概念も近代に海外から移入されたもので、他国の人々のように血と汗と涙を流して、長い闘いの末に獲得した権利ではないから、日本人の中には今一つ根付いていないように思う。未だに他人の目や評価を重んじる日本人は、「民主主義」や「言論の自由」にそれほど価値を置いていないようにさえ見える(だから為政者からその制限の動きが出ても一部を除いて危機感が希薄で、市民レベルで殆ど何のアクションも起こさない)

 日本の社会が、集団から外れることを厭う同調圧力の強い社会になったのは、日本という国が世界でも突出した災害大国であるがゆえに(世界の0.45%の国土面積しかない日本の災害被害総額は、世界全体の15〜20%を占めると言うのだから驚きだ)、その災害から生きながらえるため、常に集団で助け合うことが必要とされて来たからだとも言われる。しかし、そうした社会への過剰適応で、自らの首を絞めているのが、今の日本人だろう。

 もし今、この記事を読んでいる人が多少なりとも生きづらさ、息苦しさを感じているのなら、他人の目、他人の評価というしがらみから、もっと自分自身を解放して、自由に気軽に生きたら良いと思う。誰からも好かれ、誰からも評価される必要なんてないのだから。自分を心から理解し、受け入れてくれる人が、たったひとりでもいてくれさえすれば、それで十分なのだから。

 ただし、一度きりの人生をかけて、そのたったひとりの理解者を全力で探す努力だけはした方が良いと思う
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2017/2/13


長崎に来ています。

これから墓参り。

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2017/2/11

モノは考えよう2  携帯電話から投稿

自分が生きている限り、ゴミが出る。

自分が生きている限り、ゴミを出す。

自分が生きている限り、地球に迷惑をかけている。

ゴミ出しをする度に、何だか肩身が狭い。
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2017/2/10

土産&土産  携帯電話から投稿

今週は夫が大阪、息子が北海道へ出張に行き、今日の夜に手土産を持って帰って来ました。

夫の大阪土産は、今や我が家ではこの季節定番の高山堂の「いちご大福」。

息子は札幌の菓子メーカー石屋製菓のチョコレート菓子「美冬」。

ダブルで嬉しいなあ…
息子は二泊して、北関東の自分のアパートに戻るそうです。

明日は家族三人で、近所のシネコンへ映画を見に行く予定。

映画は、息子が3歳の頃からの我が家の楽しみです。


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2017/2/10

何かに過度に依存するのは、いろいろな意味で危うい  日々のよしなしごと

 先日のことだ。

 私は友人に会う為に有楽町駅に向かう電車に乗っていたのだが、途中駅で危うく幼児がホームと電車の隙間に転落する瞬間を目撃した。
 
 幼児が大声を上げたことで、すぐ近くにいた年配女性二人が事態に気付いて助けてくれたので事なきを得たのだが、私が目にした瞬間の幼児はお腹の辺りまで隙間に嵌っていた。あんなにいとも簡単に幼児は隙間に嵌るのかと、改めて驚いた。

 一瞬の出来事だったので詳細まで把握していないのだが、若い母親は空のベビーカーを片手に2歳位の男児の手を引き、電車に乗り込もうとしていたようだ。その背後には4歳位の女児もいた(母親が男児の手をしっかり握っていたのは不幸中の幸いであった。最近は電車であれ、バスであれ、エレベーターであれ、乗降時に幼児の手を引かない親が少なくない。今回のような危険が潜んでいるのに…)

 一刻を争う場面で男児を電車とホームの隙間から引き上げた年配女性達は「坊やが大声あげてくれたから(気づくことが出来て)本当に良かったわ」と安堵していたが、今、思い出しても、瞬間を目撃しただけの私でさえ冷や汗が出るようなアクシデントだった。ホント、心臓に悪いよ

 母親も直後は顔面蒼白の様子で、自身の内心の動揺を必死に収めようとしていたのか我が子の身体を暫くしきりにさすっていた。そんな母親とは対照的に、当の子どもは自分の身に起きたことなどケロッと忘れて、無邪気に笑顔を見せていた。

 今回の件で痛切に感じたのは、ベビーカーを利用するような月齢の乳幼児は基本的にベビーカーに乗せたまま、交通公共機関を利用する方がより安全と言うこと。母親だけで子ども達と外出するなど世話の手が足りない時には特に。電車は便利だが、転落しがちなホームと電車の隙間、手が挟まれがちなドア付近等、幼い子ども達にとっては危険もいっぱいだ。

 昔と違って少子化の昨今だが、見たところ年の離れた兄弟は少なく、1〜3歳程度離れた兄弟が多い印象だ(共働きで、育児休暇を出来るだけ効率的に取りたい、子育てをまとめてしたい、という思惑もあってのことだろう)。そうなれば当然、子ども達の学齢前、ひとりでも手のかかる乳幼児2〜3人を連れての外出は、親にとっても相当な負担だろうと思う。

 私はそうした母子を見かけたら出来るだけ声をかけて、何らかの手助け(ベビーカーや荷物をを持ってあげたり、電車の乗降時、手が足りなければ幼児の手を引いてあげたり等)をするようにしているが、周りは必ずしもそういう人間ばかりではないのが現状だ。

 そこが今の、特に都市部の問題だと思う。皆、外にいてもスマホに没入するなどして精神的引き籠り状態に近く、自分の周囲への関心があまりにも希薄だ。

 至るところでスマホに夢中になっている人々よ。少しは顔を上げて、周囲を見渡して欲しい。もう少し自分の周りの状況に関心を持ってはどうですか?

 先日都内→埼玉県で、運転手がスマホに気を取られて赤信号の交差点に進入したトラックと青信号で直進して来た車両との多重衝突事故に、たまたま近くの歩道を歩いていた母子が巻き込まれて死傷すると言う、痛ましい事故が発生した。

 その事故発生時の監視カメラ映像をテレビのニュースで何度か目にしたのだが、事故そのものの衝撃の凄さもさることながら、手前に大写しになっている歩道上の若い女性の様子に私は驚いた。

 その女性は自分のすぐ目の前で大事故が発生しているのに、スマホに夢中になっているのか暫く顔を上げることもなく、微動だにしなかったのだ。当時、周辺には凄まじいい衝撃音が鳴り響いたと思うのだが、件の女性はそれさえも気にならないほどスマホに没入していたのだろうか?大事故を目の前にした人間にしては、反応があまりにも鈍過ぎるのが不思議でならなかった(それとも驚きのあまり身体がフリーズしてしまったのか?)

 スマホに依存するあまりの周囲への無関心も、ここまで来ると病理に近いと思う。何よりこれでは、自分自身の身に危険が迫っても察知できないのではないか?

 スマホの中毒性(スマホ自体は単なるツールで、厳密にはその機能を利用したあらゆるネットワークの中毒性とも言える)は恐ろしい。それ以上に、スマホへの過度の依存に抵抗感がなさ過ぎる人間の"主体性や自律心のなさ"が恐ろしく不気味だ。

 このようなメンタリティでは、カリスマ性のある独裁者が登場しようものなら、その大衆扇動の術中にいとも容易く嵌ってしまうのではないだろうか?
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