【晴】
戦争中捕虜になっていた人達が、ぼちぼちと復員して来始めると、我が家にもよく戦地帰りの人が、挨拶に訪れるようになった。
その中の一人に、出征前は父の元で仕事をしていた正さんという人がいた。
正さんは負傷兵となって身動きの出来ないところを、連合軍に救助されて命拾いをしたのだという。
自分が隊について行けなくなった時、当然自決するつもりでいたのだが、その前に気を失ってしまい、気が付いた時には、もう捕虜の身になっていたのだそうだ。
負傷兵であった事も帰還が早まった理由なのか、皆より一足早く日本に戻れたのだが、傷の後遺症で元の仕事に復帰するのは無理となり、仕方なく納豆売りで当座をしのぐ事になった。
独身という身軽さもあって、朝の納豆売りが終わると、昼間は紙芝居をやって稼ぎ、その内に屋台のヤキソバ屋を始めた。
これが美味しいと子供達の間で人気が出たのは良いのだが、以前からこの辺りを流していた人につかまって大ゲンカとなり、とうとう緑町界隈では商売が出来なくなってしまった。
とにかく正さんのヤキソバは、今までのヤキソバ屋のおじさん達とは違って、まず第一に量が多かったし、具も自家製の野菜や切りイカや干しエビなどかなり豪勢だったし、上にかけるノリもたっぷりだった。
だから、ソバを入れる新聞紙も、他のおじさんのものより倍近く大きくて、何だかすごく得をした気分になれた。
ソバが焼きあがると、正さんは糸を通してぶらさげてある新聞紙を、親指をペロッとなめて一枚引っ張り取ると、それをさっと丸めてじょうごを作り、そこへヤキソバを素早く入れて渡してくれる。
「ホレ、あちいから気をつけな。あわてて落とすんじゃねえぞ」
両手で受け取ると、新聞紙を通してヤキソバの熱が伝わってくる。
少し湿っぽい新聞紙の入れ物を抱えるように持ち、上に刺さった楊枝を使って食べるのだ。
ソースの何とも言えない香りに、少し新聞紙の香りも混じって、しばし至福の時を楽しむ事になる。
正さんはヤキソバの他に、どんどん焼きとポテトも売っていた。
どんどん焼きはヤキソバより美味かったが、少し高いのであまり買う事はなかった。
父は正さんのどんどん焼きが好きで、三時のお茶休みの時など、職人さん達の小腹を満たすのに沢山買った。
そんな時、正さんはわざわざ工場の庭まで屋台をひいて来てくれたので、ついでにとヤキソバを頼む職人さんもいて、けっこう良い商いになっていたようだった。
そんな正さんがこの辺には来られなくなって、私達はとても淋しかったが、代りに同級の友達のオヤジさんが、ヤキソバとおでんとシュウマイを売りに来てくれるようになったのだが、その屋台は今まで目にしたものに比べて、物凄くきれいなのと、おじさんの服が上から下まで白ずくめなのには、子供ばかりでなく、大人も驚いてしまった。
それに、正さんのように鼻水をすすりながら指をなめて新聞紙を剥したりはしないで、ヒゲッ皮で作った舟のような形の入れ物に入れてくれるので、子供より大人達が喜んで買うようになった。
値段はおでんは一本5円から10円、シュウマイは2つで5円、ヤキソバは他のおじさんと同じで、5円から売ってくれた。
その頃の子供の小遣いは、沢山貰える奴で10円、ほとんどは5円だったから、何とか無理すれば買える値段だったが、中には5円はおろか1円の小遣いも貰えない奴もいたので、買える奴の大半は、自分の口に入るのは半分位のもので、あとは仲間へのおごりになってしまった。

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