「代表監督」
サッカー日本代表のオシム監督に代わり、指揮を執る監督として岡田監督への打診を行っている事をJFAが発表。
俄かに「岡ちゃん」ムードが高まりそうだ。
そこで、岡田監督情報・・・。
名前: 岡田武史
前回監督就任期間: 1997年10月11日〜 1998年6月26日
生年月日: 1956年8月25日
試合数: 15
勝敗数: 5勝6敗4引き分け
大阪市出身の元サッカー選手、サッカー監督。現在はサッカー解説者、日本サッカー協会特任理事、2007年8月24日より日本エンタープライズの社外取締役。
岡ちゃんの愛称で知られる。メガネにジャージがトレードマーク。
大転機は1997年秋、フランスW杯最終予選で日本代表が大苦戦となり、アジア予選で敗退濃厚の窮地に陥り、加茂周監督が更迭。
その時点でのチームを把握していることが重視された結果、コーチだった岡田が監督代理として任命された。
当初は正式な後任が決まるまでの一時的な代理監督とされた。しかしその後、加茂によって代表から外されていた中山雅史・北澤豪をチームに再召集するなどテコ入れも奏し、土壇場から初めての本選出場を果たした(ジョホールバルの歓喜)事が評価され、本選に向けての正式に監督に任命された。
1998年の本戦直前に三浦知良・北澤豪をメンバーから外した事では当時その是非が議論を呼んだ。
本選では「グループリーグ1勝1分1敗の勝点4で決勝トーナメント入りを目指す」と表明したが、エースFWに指名した城彰二が期待外れに終わり、3戦全敗・得点もわずか1ゴールでグループリーグ敗退。大会終了後のテクニカルリポート作成を最後の仕事とし代表監督を退任した。
その後半年あまりの期間は衛星放送wowowにてイタリア・セリエA中継の解説を担当、取材で当時ユベントスを指揮していたマルチェロ・リッピ監督と対談し、サッカー観、戦術面での影響を受ける。また後に横浜FMにてJ1優勝を果たした際にリッピから祝電が届くなど交流を生むきっかけとなった。
1999年には、J2に降格したコンサドーレ札幌の監督に就任。
前・日本代表監督ということもあり注目度・期待度が高かったが、就任1年目は5位に終わった。
しかし2年目の2000年には圧倒的な強さでJ2で優勝、J1昇格を果たし自身初体験となるJ1クラブの監督となる。
就任3年目となった2001年シーズン終了時、札幌をJ1に残留させた事を区切りに監督を辞め、解説者の視点からサッカーを見つめなおすこととなる。
2003年に横浜F・マリノスの監督に就任。
念願であったJリーグで常勝チームとなりえる規模の大きさをもったクラブの監督となった。
充実した戦力で1年目の1stステージから優勝。以後、3ステージ連続優勝、2年連続年間優勝のタイトルを獲得する。
2005年は前ニ年のような好成績が残せず9位に終わったため、その責任を取り監督を辞任すると報じられたが、2006年以降も横浜FMで監督を続投することが公式に発表されて再浮上を賭けた2006年、開幕から4連勝したもののその後は急激に調子を落とし、誕生日前日の8月24日に3年半の横浜での指揮にピリオドを打ち辞任。
表面上は成績不振によるものとされているが、真の理由は強化方針を巡るフロントとの確執にあると言われている。
現在は日本サッカー協会の特任理事として活動中、次期日本代表の日本人監督として名も挙がっているが、2007年11月に日本代表のイビチャ・オシム監督が急性脳梗塞で緊急入院、2008年2月のW杯予選で指揮を執ることが困難になっているため、サッカー協会から後継監督として打診を受けている。
堅実な戦術で数々のタイトルを勝ち取った反面、若手を好み、あまりベテランを重用しない采配から試合の盛り上がりに欠けるとも言われ、評価の分かれる監督である。
タイトルを獲ったチームは比較的戦力の整ったチームであり、横浜FMではの世代交代を試み始めた時期から勝てなくなった。
逆にジェフユナイテッド千葉を自前の選手だけで下位から上位チームに育て上げたイビチャ・オシムと比較すると、若手育成の手腕には疑問の声もある。
1998年フランスW杯直前最終合宿での「メンバーから外れるのはカズ、三浦知良」発言はいまだに論議にのぼるところである。
1997年サッカー日本代表フランスW杯予選、カザフスタン戦に引き分けた結果、加茂周が更迭される。それを受け、急遽監督に抜擢された岡田はその心境を翌朝のインタビューで「ホテルがスイートルームになっただけ」、後日も「別に大したことは無かった」とひょうひょうと答えている。
だが加茂更迭・岡田代理の決まった当夜に、岡田から日本代表アシスタントコーチ就任を依頼された小野剛がそれを二つ返事で快諾すると、岡田は逆に「そんなに簡単に受けて良いの?例え話じゃないんだ、もし失敗したら本当に日本にいられなくなるかも知れないんだぞ!」と叱りとばしたという。マスコミをかわしながら、強烈なプレッシャーと戦うことになった、その覚悟の一面を見て取れる。岡田はその後のジョホールバルの歓喜となった日の前夜にも、日本の家族に電話をかけて、負けたら日本に住めなくなるから海外に移住しようという会話を夫人としている。自身だけではなく家族にまでも巨大な圧力が国民から加えられた経験から、「代表監督は外国人に限る」という発言をことあるごとにしている。
以上、大半の情報は、Wikipediaより抜粋。
岡田監督招聘の理由の一つが「求心力」とのJFA技術委員長の小野剛言葉がやけに印象的だった・・・。
私の印象は、「スーツを着ない代表監督」!?
(なんじゃそりゃ・・・)
見た目の温和な印象とは裏腹に、頭脳明晰、眼光鋭い采配は、やはり多くの選手に対し、求心力を発揮しているのだろう。
果たしてどうなるか?ではあるが、是非とも岡田采配を早く見てみたい・・・。
投稿者: Green monster
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