これは私のただの意見である。
ただし、最近思っていることである。
「栄養摂取の方法については、医師は家族のネガティブイメージの払拭のために、胃瘻による経管栄養のデメリットを強く説明し、自分が作らないという選択をすることも説明して、家族が正当な選択権を得られるように説明をするべきかもしれない。」
言い換えると、
「心肺蘇生を最後まで行うかどうかを語る前」とも似ている論理である。
理由は「家族は死に向かう選択肢を選ぶことが世間帯上できない。」からである。
よくよく家族と話し込んでいたら、そういう家族がいることに気付いて、患者本人とも家族の合意とも違う選択肢を選んでしまっている場合があることに気付いた。
だから、時に医師はそういう家族の罪悪感を少しでも減らしてあげ、死生観がなんたるかを再度検討する時間へ向ける必要がある。
具体的に説明すると、私がいつも気になっていることは胃瘻を作成するかどうかなのである。それをインフォームド・コンセントするときにどうするかということ。
場合に分けて考えてみる。
@原因が明らかな高齢者
A原因不明の食欲不振の高齢者
B嚥下機能を失った患者(脳梗塞や神経疾患)
C経過中に在宅にて管理しやすいため作成
私が作成を薦めるのは『90才以下の長期予後が見込める方』で、『意識がはっきりしている』、『他の疾患がない』、患者であれば家族にも胃瘻を勧めるということが正当なのではないかと思うのである。
「胃瘻作って帰せばいいじゃない。」というのは間違いなのだと思う。
胃瘻を作ることで満足行くような結果がえられないことも多く、誤嚥性肺炎を繰り返したり、作ったらすぐに胆嚢炎をずっと繰り返す人、施設には入れる数が限られていて介護できなくなる人。行き場に困る人が出てくるのは非常に病院側も困ることである。
胃瘻というのは、そういう覚悟を含めた選択肢で、未来を想定しなければいけない。
人工呼吸器も然り。
どんな状況も最終的には在宅診療になる可能性を見定めなければいけない。
それでも、辛いことを乗り越える覚悟のある家族かを私達は見なければいけないと思う。
どんな風に最愛の人に生きていてほしいか、家族に生きてほしいか、私達はあまり考えないのであろうが、私は医師として命を落としそうな患者と家族を見ていると、戦うだけが全てでは決してない。
病気を探求することが医師の仕事であるが、どこを終着とするかを決めるのも医師の仕事であり、予後が間違っていることも多々あるだろうと思う。
それであっても、病気を探求する手を止めて幸せは別にあるのではないかとふと立ち止まることを忘れてはいけないと感じる。

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