2012/7/8

きっかけは...  

 立ち上げのきっかけは、三原順子先生のブログで扱われ、「ねぇ、皆様どう思います?」と問題提起されたことです。何がダメなのでしょうか?この程度の自由がこの国では許されないでしょうか?私は、だてマスクをずっと愛用しています。物心ついたときに、誰かが私の似顔絵をマンガ風にしました。それはすごく上手な出来映えだったのですが、ヒゲをかなり誇張されているように見えました。その後、鏡を見ては、ヒゲの濃さを気にする毎日になりました。もしかしたら、世間の人にヒゲを剃っていないで生活しているのではないかと思うようになったのです。
 毛抜きでヒゲを抜いたり、電気剃刀やT字剃刀で何度も何度も深剃りを試みたのですが、皮膚が弱くてすぐに血が出るのです。だから、それを覆い隠すためにマスクを使い出したのです。ひじょうに不思議なことに、何か、今まで悩んでいた全てのことが吹き飛んだような気がしました。すれ違う人の視線が、ヒゲとは違うところに行ってるような気がして、とてもリラックスできるようになったのです。その後は、日常のほとんどがマスクをつけて生活することに抵抗がなくなりました。眠れないとき、なぜか気になって、マスクをつけてみたら、睡魔にみまわれて朝まで眠ることもしばしばありました。
 だてマスクと言う言葉はどなたが考えたのでしょうか。俗に言う、言った者がパイオニアになって得意顔になりたがる「レッテル張り」の一つなのかもしれません。自分も少し、気になりいろいろ検索するとマスクフェチという言葉にも出くわしました。これには、かなり抵抗があります。これは「レッテル張り」ではないとは思いますが、「あおり」に思えます。wikipediaなどを見ると、確かに思い当たることはゼロではありませんが、最大公約数的に思い当たる節があるかのようにうまく言葉をちりばめています。私、個人としては、実存しないものが定義され、辞書の見出しになったような違和感を感じます。もちろん、マスクフェチの方がいらっしゃってもその存在を否定するものではありません。
 さて、いろいろなマスクがありますが、私は、ヒゲのこともあって少しでも大きなものを使うようになりました。いわゆるプリーツ型のものが最も表面積をとっていて、気に入るようになりました。ただ一つ、大きな問題点があります。鼻と口を覆うがゆえに、取り込む酸素不足が懸念され、因果関係はわかりませんが時に頭痛をおぼえることがあります。誰も見ていない時には、マスクをしないようにすることが少し多くなったように思います。
 そんなだてマスクが、朝日新聞などの記事になり、学校の先生が、だてマスクに気付いたら「やはり声をかける」という話がありました。その学校の先生は何を知っているつもりなのでしょうか。そうやって声をかければ、人の心や命を救えるとでも思っているのでしょうか。私は、町の中でマスクをしている人を見かけると、特に思いを馳せることはありません。風邪の人も、嗅覚に過敏な人も、空調の苦手な人も、仕事上不可欠な人も、ファッションの人も、それぞれの理由があってなさっているわけです。もしかしたら、私と同じように、何がしかのコンプレックスを覆い隠すための方もいるかもしれません。頭の中で、ごく簡単に会釈をしたい気持ちになることはありますが、そこまでです。
 「怪しい」と言われることもあります。どうぞ自由に怪しんで下さい。その言葉を歓迎することも、根に持つこともありません。これからの季節、確かに室外では苦痛になることもありますが、やはり持ち歩いていなかったら不安になります。昔と違って、今ではたいがいのドラッグストアで年中手に入りますから、ありがたいです。どうぞ、だてマスクというレッテルを張られてお困りの皆さん。特に若い方は、つまらない思いをされているかと存じますが、自分が「怪しい」と思われても堂々となさってください。たかが、マスク程度でそこまで嫌な思いをする必要はこれっぽっちもありません。
 時に、気が向いたら更新します。コメントして頂ければ、返事ができる場合もあるかもしれませんが、返事がなくてもご立腹なさらないで下さい。まずは、稚拙な文章ですが最後までお読みいただいてありがとうございました。
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