2018/4/22 | 投稿者: pdo

ホームグラウンド新宿御苑で総理大臣と握手したのん
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のん、地上波に出(れ)なくて大正解と思う。

今は、SNSやネットメディアが発達しているので、テレビ見れずとも何の問題もなし。

反人権団体レフ0口エンタテイメントのHPからも漸くプロフィールが削除されたようだし、もはやのんの「やりたいこと」を阻むものなんて何もない。

テレビというちっちゃな箱の中で御人形さんでいることを強いられているタレントたちのなんと窮屈に見えることか。


どんどん牙をむいてくれ。


キヨシローがあの世に旅立った日にファーストアルバムを出すなんて

のんにしかできない芸当だよ。



天国の忌野さん、こっちは相変わらずこんなゴミ溜めのようなどうしようもない世の中だけど、

あんたのソウル・ブラザー、のんちゃんがいてくれるおかげで、

ちったあ救われたような気分になれるよ。


今まで、ふざけ半分で生きてきた。

今だって、そうさ。これからもね。

「人生」なんてコトバに、ふり回されたくないんだ。


(忌野清志郎の高校生時代のノートより)



私は、話すのもゆっくりですし、考えこんでしまうので、どうしたらいいんだろう……と悩んでいたのですが、まわりの人も、「私がうまく喋れる」とは思っていませんよね。それじゃあ、まぁいっか!って、あきらめたんです(笑)。

 「ヘタクソだからやっちゃダメ」って、誰が決めるんだろう……。結局、何が正しいのか、正しくないのかに行き着いてしまう。「どれが正しいのかを探す」ということですよね。

 でも本当は、それを見た人、聴いた人の感情がどう動いたのかのほうが大事なはず。だから、もしそれが幸せだったり、楽しかったりするような感情だったら、ステキなことなんじゃないかと思うんです。

(のん「朝日新聞TELLINGインタビュー」より)



のんに刺激されて、誰もが、「やりたいことを、やりたいだけ、やろう!」と思えばいい。

僕もそう思います。

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2018/4/7 | 投稿者: pdo



このところずっと、伝説の詰将棋作家、駒場和男氏の『ゆめまぼろし百番』を鑑賞していた。

5手詰めも解けない自分に氏の作品を解けるはずもないが、ソフトで棋譜並べしているだけでもその凄さが伝わってくる。

詰将棋の魅力というのは、指し将棋とはまた違って、のめり込むと止められない奥深さがある。

氏も、長手数の詰将棋の創作に没頭するあまり、気が付くと恋女房が姿を消していたという。

第16世永世名人谷川浩司は、おそらく現役プロ棋士として最高の詰将棋作家の一人でもある。



「光速の寄せ」と呼ばれる終盤力で将棋界に革命を起こした氏は、その卓越した読みの力を詰将棋創作にも注いできた。

氏曰く、盤面に向かって詰将棋の創作に没頭している時間が至高の時であると。

藤井聡太氏もまた、詰将棋作家として天賦の才を持つが、ある時、師匠である杉本七段が、谷川浩司氏に、弟子の詰将棋創作についてどう思うか尋ねたところ、詰将棋の創作は楽しすぎるから、しばらく止めたがよいと助言したとか。

もっとも、これは藤井氏が奨励会時代の話であり、プロになってからは徐々に創作を解禁しつつあるようだ。

とまれ、自分はこの奥深い世界の入口に立っておそるおそる中を覗いただけだが、新しい世界を発見したようなワクワク感を覚えている。

この記事のタイトル「春雷」は、次の詰将棋の題名。

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手の解説は、このページにあるので、将棋のわかる方はどうぞ。
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2018/3/25 | 投稿者: pdo

今日は藤井聡太氏が詰将棋解答選手権で4連覇ということで、自分も詰将棋の本を図書館で借りまくったりしている。





詰将棋という一人遊びをおぼえたのは小学生のときだった。そしてそのときから、永遠の夏休みが続いている。

夏休み―ただひたすら遊ぶ毎日。その記憶がしみついて、今でも抜けない。同じ遊ぶにしても、徹底的に遊ばなければ遊びじゃない。

わたしの親父は、よく「人間は何のために生まれてくるのか」という問題を語りたがった。親父の説によれば、結局人間もただの生物であり、子供を残すために生まれてくるのだという。そして親父は、その言葉どおりに、子供を残して死んだ。

わたしも、半分くらいは親父の説に賛成する。そして残りの半分は、遊ぶために生まれてくるのではないかと思っている。遊びをせんとや生まれけむ。あるいは、ホモ・ルーデンス。

わたしにとって、詰将棋は我が子のようなものだ。だから、この作品集はわたしが生きた確実な証拠である。わたしが死んでも、詰将棋は残る。

(「盤上のファンタジア」若島正 まえがき より)








その奥深さは限りがない。

すべての詰将棋作家にとっての聖典であるこの本も味わえるようになりたい。



無双・図巧は後世へメッセージを発信し続けている。それは受信者が居るからである。

私も後世へメッセージを発信したい。受信者が居ると信じて。

文面はこうである。

詰むや 詰まざるや

詰まざるや 詰むや

この繰り返し とこしえに

(「ゆめまぼろし百番」駒場和男 あとがき より)

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2018/3/23 | 投稿者: pdo

見ましたか、糸谷VS藤井戦(見てないか)。

ヘボなので指し手の具体的な解説はできませんが、凄いを通り越して怖くなるくらいの、藤井六段の凄まじい勝ちっぷりでした。

あの剛腕で鳴らす糸谷元竜王が、一直線の攻め合いで、はっきり間合いを見切られて、完敗してしまいました。

この記事のタイトルは、糸谷八段の局後の感想(「終盤、鋭いですし、中盤に切り込んでこられる。気持ちのいい踏み込み方でした」)からとったもの。

この踏み込み方は、2年前に指していたら「ソフトとの一致率」とやらで不正を疑われてもおかしくなかったレベルです。

その前日、A級順位戦プレーオフで、羽生竜王が稲葉八段に勝ち、佐藤天彦名人への挑戦を決めました。これは、夕食休憩までは稲葉優勢と思われていた場面を、一瞬で体を入れ替え、あとは一気に押し切るという、羽生竜王の指しまわしが凄みを感じさせました。

羽生善治と藤井聡太。

今の将棋界は、この二人の超天才を中心に回っています。

片や47歳で、永世七冠、タイトル99期という気が遠くなるような実績を上げ、今度の名人戦でもし名人位を奪取すれば、通算100期という空前絶後の大記録を達成するということになります。もはや何と形容してよいやら分からないような存在です。

そして15歳の若武者は、その羽生竜王を破って棋戦初優勝を達成し、その後も快進撃を続け、一体誰が止めるのか、いよいよ分からない前人未到の領域に入ってきました。

今週の日曜日には詰将棋解答選手権が行われますが、そこで4連覇すれば、またもや大きなニュースになることは必然。

彼が3年前、小学生で初優勝したときの感想(自戦記)を読んで、その大人びた文章に驚愕した記憶があります。

詰将棋解答選手権の創設者で、日本を代表する詰将棋作家、若島正氏(昨日の糸谷戦の観戦記も担当)は、「藤井聡太という才能を見出したという事実だけで、この大会を作った意味があった」と言っているとか。

彼が8歳のとき、将棋大会で大駒をタダで取られるというミスをしたとき、悔しさをぶつけて紙に書きつけたラップ調の歌詞が残されています(彼の祖母がゴミ箱から拾ってとっておいたもの)。

それを読むと、この頃に既に自分の失敗を客観視し、笑いの対象にすらできるという、高度の人格を身につけていることが分かります。

藤井六段の素晴らしさは、天賦の才能に加えて、激情と達観、情熱と冷静の間を見事にバランス調整できる、卓越した自己統御能力にあるのだと思います。

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2018/3/16 | 投稿者: pdo

昨日、藤井聡太六段が、順位戦C級2組の最終局で三枚堂達也六段に勝利し、全勝を決めた。

横歩取りで圧勝。

そんな藤井六段の次の対戦相手は、糸谷哲郎九段である。

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圧倒的な強さを見せつける藤井聡太を止めるのは、今季順位戦B級1組を全勝してA級入りを決めた、この糸谷哲郎しかいないのではないか、と注目の大一番である。

糸谷は、2014年、六段の時に、第27期竜王戦の挑戦者になり、森内竜王(当時)から見事竜王位を奪取している。

そのシリーズの第1局、ハワイで行われた前夜祭での糸谷のスピーチが話題になった。

当時の中継ブログから糸谷のスピーチの書き起こしを転載する。

「皆さんアローハ。私はあいさつに入ると、長くて分かりにくいと言われるので手短にしたいと思います。

昨日、領事館にうかがわせていただきました。そこで一つ啓示的な話をいただきました。

母の実家が鎌倉でして、鎌倉とハワイはある共通点があるという話をいただきました。

話を縮めますと、日本とハワイは精霊信仰、シャーマニズムという点において共通しています。

父方が宮島が実家でして、宗教と縁があるのですが、一神教とシャーマニズムの違いとして、観客に語りかけるか、神に交信するかという話をいただきました。

私は中高をカトリック系の学校にいましたが、ミサなどにおいて神父は聴衆に話しかけますが、ハワイや鎌倉に行こうというのは神そのものに話しかける。一種の交信儀式を行うわけです。これは将棋と近しいのではないかと。

将棋は哲学では神、世界、真理、存在とある程度同一視される、というと怒られるかもしれませんが。一つの世界そのものが神の代わりである。

ニーチェは『神は死んだ』と申しましたが、そういった意味での存在、真理、ただ一つのくつがえしがたいものを神などと隠喩する風習があります。

そういう点で将棋はある程度真理を目指す、神の存在ですね。神のメタファーになると思いますが、どこか真理を目指しながら、しかし、神にたどり着かない。ただ、対局者同士は神を目指すという行為ですね。

シャーマンも神にたどり着くという行為自体はなしえないわけです。交信することにおきまして、ただ、それを目指す。

というわけで、真理=神に近づけますように将棋を指していきたいと思います」


これを聞いた前夜祭の参加者は、宴会や酒の雰囲気もあって、専ら糸谷による奇譚くらいに捉えて、さぞかし苦笑いでもし合っていたのであろう。

もちろん糸谷が困った奴だとか思われているわけではなく、彼の愛すべきキャラクターは将棋界に知れ渡っている。

西遊会という関西の若手棋士の将棋普及活動チームでも先頭きって引っ張っている好青年である。

僕は糸谷のような若者がハワイで「将棋を通して神(真理)を探究する」という純粋な考えをまっすぐに人前で披露した姿に畏敬の念を覚える。

何か現代世界で喪われて久しい崇高なものの輝きをそこに見る。

糸谷九段と藤井六段が、二人で神を目指して対局する日が近づいている。

見逃せない一戦である。
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