2007/4/30

毎日が瀬戸際  鈴木敏文

月末なので一ヶ月続いた連載も今日が最後である。
多くのことばを拾っておく。それぞれがそれぞれで考えていただければ良いと思う。

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1.やるべき価値があると思ったら中途半端にできない。
2.「消費は経済学ではなく心理学」
3.「心理学的にどのように顧客の購買意欲を刺激するのか」
4.「出店政策に心理学がどう役立つのか」
5.「(母校中央大学の理事長を引き受け)少子化時代を勝ち抜くための学校経営の改革が民間企業から参画するわ足の役割だろう。
6.過去の延長ではなく、未来から顧みて何をすべきか考え、挑戦する。
7.成功する保証はなくても七割方可能性が見えたら挑戦してみることだ。
8.運もある。
9.仕事から手を引くまであと何段上ればいいなどと計算ずくで考えたことはない。
10.1日一日を精一杯生きる。
11.当たり前のことを当たり前に、ただし徹底してやり通す。

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月刊「商業界」2006年2月号に「言われてみれば当たり前」のタイトルで数ページにわたって「イトーヨーカ堂出身の経営コンサルタント、元部下から見た鈴木敏文」という特集を書いています。
(書店にはもうありませんが数部なら手元にあります。ご希望ならプレゼントします(^_-)-☆)

さて、上記の11個(タイトルも入れれば12)から
何番のコメントを自分に置き換えますか?
コメントに書き込んで「ブログmoreディスカッション」でもして、商売繁盛に活かしましょ。

2007/4/28

決断する!  鈴木敏文

日々刻々と変化するのは、お天気ばかりでもなく経営も同じです。

雨が降りそうなら傘を持って出かけるだろうし、台風が接近していれば外出を控え強風や大雨に備えるでしょう。そこを怠ってしまえばびしょ濡れになるし大きな被害が出てしまいます。

その判断とタイミングは自分の意思決定です。
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気の短いトップを持つとスタッフは大変だが、経営は決断したらすぐに実行することだ。

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先送りすれば、解決できるわけでもありません。


2007/4/27

最も成功した外資  鈴木敏文

セブンイレブン中国展開の責任者の一人、麦倉弘氏は、IY時代に自費で「アメリカ流通視察」へ行った時に優秀店長(確か当時の船橋店)の一人として参加していた方だ。

先方はご存じないと思うがこっちは若造で、「すごい店長がいるんだなー」と名前はしっかり覚えている。アメリカ視察中も何度かお話をさせていただいた。

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・最も苦労したのは取引先の開拓だ。
→それでも困難であればあるほど乗り越える意欲を燃やした。

・接客サービスでは文化のが立ちはだかった。
→地道な努力は開店後に大きくを結んでいった。

・「牛島君分かっているな。」
「ハイわかっています。やり変えます。」
→話はそれだけだったが、その日、責任者自ら徹夜でレイアウトをすべて変えた。(手直しされた売り場は北京の人々にセブン-イレブンがどんなお店か一目でわかるような陳列に大きく変わっていた。)

・トップと社員が一言で了解する。
→企業のDNAを共有しているからで、私がダイレクトコミュニケーションを重視する理由もここにある。

(セブンイレブン)直営店50店舗、ヨーカ堂は北京6店舗、成都2店舗。

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直接,人に会って話をすることや企業のDNA=価値観を共有することはmoreのスタイルとまったく同じ。

「奇跡の出会い」を繰り返して“会って話をする”ことがどれほど価値があるかも実感できる。


2007/4/23

限界  鈴木敏文

セブンイレブンで販売している弁当を毎日役員が昼食に試食することはよく知られている。
そこでNGが出ればすぐに販売中止する。迷いや躊躇は一切ない。
これを鈴木敏文流などど他人事に思わないことがポイント。
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そこそこ売れいている」と聞いて、それこそ問題だと担当者に問うた。
「売れているからいいのか。この程度のチャーハンが売れていることこそ危機感を持つべきだ。売れれば売れるほど信用が失われていくんだ」

「これ以上は無理だ」と思い込む限界意識を払拭する。

・妥協するのは簡単だが、妥協したときすべてが終わる。

・部下がいかに自己正当化しようと、追い詰めて今の方法では駄目だと気づかせ、を破らせるのが上司の役目だ。

・去年と同じなら必ず飽きられる。

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moreなLibrary」でもヒット書籍(これは必携です)。
クリックすると元のサイズで表示します

まだまだやれること、考えることはいくらでもありますね。セブンイレブンは全体で見れば大企業ですがお店での捉え方、考え方や実践していることはまさに個人商店です。

個人商店の時代と常々言っていますが、それは「商売の醍醐味」に他なりませんね。
良いと思ったコト」は取り入れましょう。(これで20%ですね、続ければさらに20%ですよ。)
つまり成功が見えてきます(^o^)丿。

2007/4/22

消費者心理  鈴木敏文

「ものが売れないのは不景気のせいだ。」
と誰もが考えた。
しかし本当はそうではなく80年代を通して進行した消費の構造的変化、売り手市場から買い手市場への変化が本格化したと思った。

(このあたりが鈴木敏文氏の真骨頂

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「お金がないから買わないのではなく、欲しいと思う商品がないから買わない。」
実際世帯の月平均可処分所得は90年代も伸び続け、一番高かったのは96,97年ごろ。

「買い手の心理が消費を左右する時代」

その大きな特徴は画一化
多様化の方が耳に心地よいが日々膨大な販売データに接して実感するのは画一化だ。

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人間は環境が厳しくなるほど、過去の経験に縛られてしまう。

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いろいろな方とお話をしていて結局、「そうですねー、でも“(なかなか)難しい”ですよねー」と言う方がいる。
でもこの“難しい”を言った時点で先に進むのをやめているのです。自分が難しいを設定した瞬間です。

2007/4/21

子供が親を助ける  鈴木敏文

サウスランド社(アメリカのセブンイレブンの会社)から
「当社の経営を引き受けてもらえないか」
支援要請を受けたのが1990年。

実は1980年代にアメリカへ視察へ行った際に当時のセブンイレブンの店舗はかなり荒れていたことが強烈に記憶が残っている。
当時はKマートがディスカウント戦略で抜群の強さを発揮しており、それにウォルマートがひたひたと追い上げていた状況だったと思う。

日本でのセブンイレブンは調子がいいけれど、こんなお店ではセブンイレブンはチョッとヤバイなぁ〜と直感的に感じたのです。
それが現実となったのが1990年と言うことです。

そして、「日本企業による戦後最大のアメリカ企業再建劇」が始まった。
ハリケーン・スズキ」がやってきたとマスコミで言われた。何もかも今までやってきたことすべてを壊さなければならなかった。
血液を入れ替えるほどの意識改革が必要だった。

見事3年目で黒字転換、2000年にニューヨーク証券取引所へ再上場。
カッコいい!!!


単品管理は「タンピンカンリ」か「TK」の略称で定着した。

その「TK」や「業革」を最もタイムリーに現場で体験したノウハウは今も決して色褪せていない。

2007/4/17

日本初  鈴木敏文

売り手発想から「買い手の時代へ」

創業当時一店舗への納品車両は一日70台にも上った。

これは小売店を経営している人ならすぐに感じると思うがそれにいちいち検品や応対をしていたらそれこそお客様を相手することなんてできやしない。
そこで鈴木氏は担当メーカーが他社製品も混載する「共同配送」を提案した。
同業他社の製品を納品するなんて“常識を破る素人発想”で猛反発を食らう。

さまざまな店舗での実験結果などを経て1980年日本の流通史上初の(牛乳の)共同配送がスタートする。その半年後には各社の配送経費が三分の一に低減をして販売量も増加した。一日の納品台数は9台までに削減された。

コンビニの定番である「おにぎり」も
「そういうものは家で作るのが常識だから売れるわけがない」と反対された。
同様に「おでん」「調理麺」「浅漬け」なども今や“定番商品”担っているのはご存知のとおりですね。

新しい需要はお店の中ではなくにあるものだ。』

この言葉から出来上がったの「仮説と検証」である。
それを可能にしたのが1978年、セブンイレブンが着手した情報システムだった。

1983年にIYに入社したときはこれをモデルにした様々な「流通業の非常識」に取り組んでいた時期であった。新入社員の時に当たり前のように学んだ「仮説−検証」は今ではどんな業界のビジネスにも応用され役立っている。

思い込みによる「できない理由」は早めに捨ててしまうことだ!

2007/4/16

涙する  鈴木敏文

今では成長する経営基本的なキーワードにもなっている言葉が並ぶ。

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「業界の常識を破らない限り明日はない。」
ドミナント(高密度多店舗出店)戦略は地域での認知度を高めるが、物流面でも小口配送が実現しやすくなる。」
「枠を外せばになる。」
原則は崩さない。」
「決めた戦略は徹底する。」
「これから先500店、1000店に増えたらどうするか。」
「初めから仕組みを作るべきで、困難でも取引先と交渉させた。」
「僕らはもともと素人集団だ。原点だけは見失わずにいよう。」

100店舗達成記念式典で加盟店オーナーと家族の前で挨拶に立ち
感きわまり、言葉に詰まって、思わずがこぼれた。」
「何とか自信めいたものを持てたのが100店舗目だった。」

「後にも先にもこのとき以外、仕事で涙したことはない。」

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仕事をしていて感極まって涙することがあるだろうか?
そこまでの情熱と合わせた努力や困難を乗り越えていることがあるだろうか?

グチグチ言っている場合でも、むやみやたらに不安がっているのとは訳が違う。
まだまだ、やれることはたくさんありますね。

2007/4/15

開店の前の気持ち  鈴木敏文

アメリカでの研修3日目でマニュアルが使えないと感じてサウスランド社に怒りをぶつけてみたものの後の祭りだった・・。

採用活動でも苦労し求人をするが小売業経験者はいなく素人集団でスタートした。結局自分たちで作り上げることになる。
「素人が日本初の本格的コンビにチェーンに挑戦する」

・・・っと覚悟した時に酒販店経営者から加盟希望の手紙が来た。
74年の正月に初めて会い(後5月15日開店)熱意にひかれ「ぜひ一緒にやりましょう。三年後に失敗していたら責任を持って元通りにします」と決めた。
三千品目の選定、冷蔵庫の改良など何もかも初めて、開店前夜は店の二階に泊り込んだ。
早朝の雨の中開店。男性客はカウンター横の¥800のサングラスを買った。

「第一号のお客は今も忘れない。」

お客様がお店に来て商品を買っていただいて初めて商売になる。
今でこそ1万2000店舗の世界一のチェーンであるが、日々商売に改良に改良を重ねてきた結果でしかない。

その表面だけ見ないでしっかりと自分の商売を見つめるしかないでしょう。

2007/4/14

セブンイレブン  鈴木敏文

アメリカのサウスランド社との交渉は困難を極めた。
それでも持ち前の粘り強い交渉力で相手の譲歩を引き出し契約をした。
(後にサウスランド社は経営破綻をする)

しかし、鈴木敏文氏が実際に研修に言ってみると「失敗した」と感じたそうだ。やっと契約までして、さぁこれからだと言う時に・・・。それを社内では猛反対に合っていたために誰にも言えず「悶々としていた」と言う。

そのあたりの裏話は以前から知っていたが、現在のセブンイレブンの実力は最初からあったわけではないと改めて知ることができる。

どんな企業だって最初はひよっこだ。
そこからどうやって一人前になるように努力するかだ!

2007/4/8

弱みは必要  鈴木敏文

日経新聞の人気連載、「私の履歴書」が進んでいる。

鈴木敏文氏の生まれた時からの生き様が書かれており今は大学生の時代までが明かされた。

務改会議」で25年以上前から欠かさず毎週月曜日の午前中に全店長100人以上を前に繰り返しスピーチをし陣頭指揮をする姿は有名だ。

それが子供の頃は「人前で話すのが苦手だった」と明かされている。「だから弁論部へはいった。」
「走るのが遅かった、だから陸上部へ入った。」

自分の苦手な弱みを避けるのではなく自らの課題として克服してきた考え方が垣間見える。
そして克服だけではなくいずれもそれを“得意分野”にしてしまっている。決して逃げていない。

政治家を志していて学生運動にも関わっていたので就職先がなく紹介で東京出版販売(=現トーハン)へ合格して入社している。
そこからいよいよ社会人としてのスタートが始まるが、そこまでの学生時代で出会う様々な経験をすべて受け入れてそこから「どうすればいいか?」を常に考えている姿勢を感じることができる。
決して愚痴らず正義感を持って生きている。

2007/4/2

統計学と心理学  鈴木敏文

最初に就職したトーハンで、徹底的に「統計学」と「心理学」を学んだ。
これを“大学院”と振り返っています。

仕事をすることは常に何かを研究して身につけているのだと感じます。自分を成長させているのでしょうね。

毎日経験することがとても大切なことで、それが様々な場面で仕事に活きてくるあるいは(良いも悪いも)影響を及ぼしているのですね。

必要なもの」が必ずしも売れるわけではなく(お客様が)「欲しいもの」は売れるんですね。

2007/4/1

私の履歴書  鈴木敏文

日経新聞の楽しみの一つです。

3月は「宮城まり子」さんでした。昨日の最終日に「履歴書を書くのだからこれから面接をして就職、・・・新入社員。」とお茶目に結んでいました(^_^;)。

今日4月1日から一ヶ月は
鈴木敏文」氏です。
尊敬する経営者で大学の先輩(お会いしたことはありませんが・・・(^^ゞ)

数年前は「伊藤雅俊」氏の「履歴書」も全部切り抜きスクラップして保存してあります。

今月は毎日欠かさず読んで気になるキーワードをアップしていこうと思います。



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