α
成範民部卿〔信西入道の子、平治の乱後、流された〕が、ある事件があった後、(地方から都に)呼び戻されて、内裏に参上なさったところ、かつては女房たちの詰所への出入りを許された人(成範)が現在ではそういうことはできない立場であったので、女房たちの中に昔を思い出して、(歌を詠みかけたものがあった)
雲の上(宮中)は昔と変わったところもありませんが、あなたがかつて見慣れていた御簾の中を御覧にな
りたいのではありませんか。
と詠んで御簾から差し出したので、返歌しようとして、照明具のそばに近づいていったところ、小松の大臣(平重盛)がいらっしゃったので、(成範はその場を)急いで立ちのこうとして、照明具の火を掲げるための棒の端で、(女房からの歌の)「や」の文字を消して、その隣に「ぞ」の文字を書いて、御簾の中へ差し入れて退出なさった。女房が取ってみると、文字一つを変えて返歌をなさったのであった。(一字を変えただけの返歌は)めったにないことである。
β
昼御座の方では、お食事をご用意する蔵人たちの足音が高く響いている。最後の食膳を持った蔵人が参上して、お食事の準備ができたことを一条帝に申し上げると、帝は中の戸を通って昼御座の方にお移りになる。お供として、廂のところから大納言伊周殿がお送りのために参上なさって、先ほど座っていらっしゃった花の所に戻って座りなさった。中宮定子様は几帳を少しずらして、長押のところまで進み出なさったりなど、なんと言ってよいかわからないほど素晴らしいのだが、お仕えしている女房たちも何の悩みもないような気持ちがするが、大納言殿は「月日は移りゆくけれど、永遠に時を刻む三室の山の…」という和歌をとてもゆったりと口ずさみなさるのは、とても優雅に思われるが、本当に千年間も続いてほしいようなご様子だよ。
帝のお食事の給仕をする者が、御膳を下げるために蔵人たちを呼ぶ間もなく、帝はこちらにお越しになる。中宮様は私に「少納言よ硯の墨をすれ」とおっしゃるので、私は視線もうつろで、ただ帝と中宮様がいらっしゃるのだけを拝見しているので、手元も狂いがちになり、危うく墨をはさんでいる墨挟みのつなぎ目が今にもはずれてしまいそうだ。白い色紙を畳んで中宮様は「これに今思い出せる古歌を一つずつ書け」とご命令になるが、簾の外にいらっしゃる大納言殿に「これはどうすればよいでしょうか」と申し上げると、大納言殿は「早く書いて差し上げよ。こんな時には男は口を出してはならないのだ」と言って、簾の外から色紙を中に押し戻しなさった。中宮様は硯を私の方にお渡しになって「早く早く、深く考えることなく、難波津の歌でも何のうたでも、ただふっと思いつくままに」とせき立てなさるので、なぜそのように怖じ気づいてしまったのだろうか、全員顔までも赤くなって途方に暮れるのであるよ。
春の歌や、花の趣の歌など、そうは言いながら、上臈女房が二つか三つほど書いて「これに書き加えなさい」と回ってきたので、
年月が過ぎると年齢は老ける。そうではあるが、美しい桜の花を見れば、何の悩みもなくなる。
という歌を「中宮様を見れば」と書き換えて書いたのを御覧になって「私は、少納言のこの気持ちがただ見たかったのだよ」とおっしゃった。