2008年4月23日(水)
サチさんは今、たくさんの方の支えによって生きて甲斐のある人生を過ごしている日々です。
ふと、ある日の義父の法要の日の出来事を思いでしています。
ちょうど、いつもサチさんがお泊りさせていただく叔母のハルさんが私の隣の席で、いろいろなことをおしゃべりしていて、
「私は、義兄さん(義父の事)に本当に一杯お世話になったのよ。病気になって通院もいつも送ってもらえたし、義兄さんが居なかったら今の私は居なかったわ。だから、感謝しても仕切れないくらい。
だから、姉ちゃんには恩返しがしたいと思っているの。誰かに何かをしてもらう状況は辛いのよ。誰かに何かをしてあげる事の方が何倍も嬉しいし幸せなことなの。」
そんなお話を私にしてくれたハルさんでした。(以前にもこの話は書いているかもしれませんが)
自分にとっても義父の存在は大きく、子供達を一杯可愛がってくれた義父には本当に感謝しています。その意味ではハルさんと同じ思いです。そして、私も自分の病気の時、他の人に支えてもらった経験があるので、誰かに何かをしてあげることの方が幸せだという思いが本当に良くわかります。
そして、こんな風に感じるのです。
生前、義父があちこちに蒔いて行ってくれた「優しさ」の種が、今、きっと、義父にとって、大事な妻であったサチさんに、「優しさ」の花となって、降り注がれているのではないか・・・と。
サチさんの兄弟がサチさんに優しく接してくれて、無償の愛を注いでくれるのは、義父の蒔いた「優しさ」の種のお陰ではないかと。
少なからず、わたしのなかでも、自然の形で当たり前のように、サチさんに対していろいろな方法を考えようという気持ちになれるのは、義父の存在のお陰なのかもしれないと思います。
人は亡くなっても尚、人々の心の中に行き続け、何かを発信しているのでしょうか?
もしも、私達がこの世に何かの種を蒔いて行けるのだとしたら、
どんな種を蒔いて行きましょうか?