2009/10/1

携帯変えました  

携帯いじってたらブログ投稿用のアドレスを登録していたを発見。試してみました。でも他の人のブログにアクセスできず
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2009/7/24

若者とともに  

最近うちのパソコン調子が悪い。「送信」ボタンを押すとネットが切れる。そのため
ブログも投稿できなかった。今、まさに夜中。こんな時間ならつながりやすい。困ったもんだ。
さて、今日は若者に登場してもらおう。先日、大阪府知事と懇談した高校生(いまはもう卒業している)が神戸に来てその様子を話してくれた。あの懇談のビデオを見たが勿論腹も立つが、あまりの知事のレベルの低さゆえ失笑がおこる。どこでも同じ所で笑いがでるらしい。こんなレベルの知事では高校生も浮かばれない。この人たちが選挙権を得たら、こんな知事を当選させないようになるのだろうか。
話してくれた若者いわく、自分は自分のために私学助成を増やす運動をやっているのではない。お金がなくて勉強を続けられない人がいることを知って、こういう運動をするようになった。信念があるのでバッシングも乗り越えられる、と発言した。私は去年から子どもの貧困に目が向き、大人が子どものために何ができるかなどとかっこよく言っていた。しかし、今日この若者の話を聞いて、その間違いに気付いた。運動の主体はあくまで子ども。大人が何かをしてあげる運動ではだめだ。少なくとも高校生はもう動き始めている。私たち大人はあくまでもこの高校生たちと一緒に運動することである。これこそ子どもの権利条約の立場であろう。子どもを主体にすること、これを今日は学ばされた。
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2009/7/20

但東町の戦争展  

昨日、但馬の但東町に行ってきた。ここは出石郡但東町だったが何年か前に平成の大合併により、豊岡市但東町となった。豊岡市が超ビッグになったんだ。
ここにシルク温泉と言う10数年前に掘削された泉質の良い温泉がある。ここから戦争展をするので資料を貸してほしいという連絡が「兵庫の戦争」展に入った。資料を持って行ってきた。若い女性が責任者で2年前には広島の原爆資料館から資料を借りて展示されたそうだ。毎月テーマを決めて展示をしておられるそうだ。私は付いて行っただけだが、思わず母親大会をご存知ですか、と尋ねた。こんな問題意識を持っておられる方にも母親大会が届いていない。京都にも近い但東町に日本母親大会が伝えられたのに間に合わず残念だった。但馬の母親大会をお知らせして、仲間になったもらおう。とても良い人との出会いがであった。お土産に珍しい白なすやかわいいかぼちゃをもらって帰ってきた。
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2009/7/20

民主主義  

最近ある会合で私の発言が大きな問題になった。大きいというのは全員の認識かどうかは分からない。知事選についての話し合いの中で、私は母連の会議の中での労働関係の団体から出てきている方の発言を勿論そのままではなく、意訳して発言した。わが団体の会議中で気になっていたので、丁度労働界の重鎮がご出席だったので良い機会と思って発言した。元の発言を書いておくと、構成人員の20倍くらいのチラシが降りてきて、地域まきもしたがまだまだ残っている。組織のトップの人と、組織の実態がずれている。チラシがもったいない。というのと、また、別の組織からは、選挙活動が一人一人の構成員までできたか、もっとやることはできた。幹部批判になってしまうかもしれないが。というもので、地域の会で活動した人と発言のトーンがずいぶん違っていた。実際の人の名も出ていた。それで、この会では労働関係の人はもっとできたかも・・とやりきったという発言ではなく、地域組織とギャップがあったと要約して発言した。私もメモを残してはいないので、一字一句そのままではないが大かたそんなところである。会議が終わるとき、労働界の重鎮が「他の組織を批判する時、そのやり方に習熟する必要がある」と突然言われた。私は驚いたが、なるほど他組織を批判したことには違いないし、ここは謝っておこうと思い「すみませんでした」と言った。
この会議の主催者から終了後取りなしの言葉があったが、それは書かない。
なんかすっきりしない気分で続く会議でもこの方にあった。(狭い範囲の活動だねと誰かさんに言われそう)出会い頭にまた「先程はよくわからず申し訳ありませんでした」とまた謝ってしまった。私は案外気が弱い。相手はあいまいに笑っていた。これは何を意味するかは知らない。
帰宅後つい夫にこれを話した。夫いわく「あぁそんなこともあるのか」と言うように受け止められんのやな」と言いながら、会議で言わなかったらどこで言うんや。それはおかしい、と言う。勿論前記の人は「言うな」とは言ってない。習熟しろ、言い方に注意せよとの発言であるから、これは少し違うが、発言の封じ込めには違いない。そういう組織もあったのか、くらいに受け止められると思ったのが大間違いだった。夫に「私も物の言い方を練習するわ」というと「そんなことに慣れることはない。率直な発言が良いんや」と言われた。どの団体も対等平等にというのが私などの考えだが、大組織になるとそう甘いことは言ってられないのだろう。組織の権威を傷つけたことを黙って見過ごすことはできないのだろう。もっともだ。しかし、大組織に気を使って、そういうところは目立つ所に立たせるやり方ばかりが目立って気になっていた矢先なので、これで良いのかと思ってしまった。私の受け取り方にひがみ根性があるかもしれない。しかし、ひがませるようなことがあってはならないだろう。
昨年、わが県で大きな集会を受けるかどうかの話し合いの中で労働団体ではないが、一応一緒に運動しているなかの大組織と思われている組織と他の組織がうまく話しあえなくて残念な結果になったこともあったので、大組織に寄せられる期待の大きさから辛いとは思うが、民主的と言われる団体間の(思っているだけかもしれないが)付き合い方が本当に民主主義かどうか、民主主義が徹底する世界を作らないといけないのではないか。気をつかって付き合うような関係はあってはならない。
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2009/7/14

久々の「慰安婦」仲間  

昨日13日は病気以来ご無沙汰の「慰安婦」仲間に会いに大坂は大正へと出向いた。神戸女学院I川ゼミの沖縄学習会。大坂大正の93歳親川さんと77歳仲吉さんのお話を聞く。親川さんは戦前、大正10年、沖縄から大阪の築港に上陸し小学校3年に入学。琉球人と呼ばれ、差別された。一週間で学校にも行けなくなった。大正に住まいして20歳医で徴兵検査。甲種合格。昭和13鹿児島6師団に入隊し。中支・南支に出兵。負傷兵を運んで道なき道を進んだとのこと。15年に帰国。十三の警察務め。大阪空襲にも会う。戦後沖縄に帰り沖縄人民党で活動。瀬長亀次郎さんとも一緒に活動。沖縄祖国復帰運動にも参加。戦争末期の集団自決はたくさんあって、政府が何と言おうと打ち消すことはできない。
仲吉さんには沖縄の壕での生活のお話を聞く。・・・などのお話を聞く。
高齢になっておられ、方言もあるので少し分からないところもあったが、祖国復帰の運動には情熱を燃やされたということがにじみ出ていた。
お話の後は夕飯。会館(大正沖縄会館)のすぐ近くの仲順で。いつものうるま御殿は月曜定休日のためここに。ここもうるま御殿に負けない、三味線のおじさん(このお店のオーナー)と踊りの名手。ここでも盛り上がって私は9時ごろ退散。仲間はいつも通り11時まで語っていたようだ。これくらいまでなら病み上がりの私もついていけた。
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