2010/1/17

ぼやけた社会  日記


「こちら」。
やたらと耳するフレーズだ。キレイな女子アナが片手で右や左を指し話題を進めていく、時には切り替えに使う。30分、1時間の枠のニュース番組で何回と出てくる便利な言葉だ。
この言葉が使われると嫌悪感からかその軽さからなのか、真実味がなくなる。
主語がない。
テレビニュースだから映像を見ていれば、その話題についていけるがラジオニュースや活字なら意味が成り立つのだろうか。
何を伝えたいのかが曖昧さでぼかそうとしているのだろうか。
それが今の報道の姿勢なのだろう。

似たようなものに、「関係者からの取材で明らかになった」など平気でニュースとして明言してくる。
関係者って誰か、一番気になるところで説明責任はないの。
信用できるの、本当に言ったの。裏は取れているの。
何処の誰かも明確に言えない人の発言をニュースで事実のように報道に使っていいの。
そもそもニュース報道って、客観的事実がメインにおこなうものではないの。
解説なりコラムなり、主観で伝えていい場合とそうでない物と分けるべきではないの。
垂れ流しニュース報道の責任は誰にも取れない。

仮に報道の正義という物があるとしたら、誰の正義を持って正しいと決めるのでしょう。
仮に大きい正義と小さな正義とがあるとしたら、誰がそれを決めるのでしょう。
仮にそれが間違っていたら、誰が責任を取れるのでしょう。
それはそれによって被害を被った人が背負うだけで「運が悪い」もしくは「疑われるほうが悪い」と人事で片付けられるのがオチ。
当事者はこのことで人生さえも失う。

この現象はテレビだけではなく活字媒体でもおこなわれている。

また、ニュースネタには政治、経済、社会、文化、地域等の他に俗に言う三面記事という新聞の最後のほうに載る記事もあるが、この取り扱いが以上に大きく取り上げられる場合も多々ある。
報道と言う名の下に、マスコミによる公開捜査と公開裁判が同時に行われる有様である。
報道取材と言う名の下に検察、警察からのリークに利用され、立件前に世論操作とも取れる報道も多々されている。
報道は正義であるとでも言うかのごとくの横柄ささえ見える。
これは警察にも検察にも言える。自分たちはすべてが正しいと市民と国民を完全に上から目線での思考が見え隠れする。
この誰もが疑問に感じることが意図も平然と社会にまかり通っているのは、何故なのだろう。
誰もがおかしいと思っても、我々はすぐに忘れてしまい。日常の生活に戻り、新しいニュースを与えられ、また、「あれっと」次の話題を与えられる。
この繰り返しの中、社会は作られ人生は終えていく。
自分には起こりえない別の世界の不運な人生を見て、そこに何のリアリティーも感じきれない。万が一はわが身には起こらないものとして、共感、共有するものではなく、すべきものでもない。
1%の確率は起こらないものとして捉え、100人に1人とは感じられない。
仮に0,1%の理不尽が行われても、日常にわが身に起こる事してのリアリティーを持つことはない。その不幸を共有することはない。

検察にしろマスコミにしろ、正しいのは自分たちだけで傲慢だ
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2010/1/3

政治献金  日記

政治献金。
「政治とお金」。マスコミの論調や一般的国民感情のイメージは悪い。
それイコール=悪。という風に伝わっているのでしょうか。
政治と金それだけで嫌悪感だけが残るのは私だけでしょうか。

すべての社会活動、政治も含めて現実にお金が大きくその活動の質と量に影響し、活動への理解度にも係って来る。
個人や団体の社会への要求、欲求を達成するには多くの社会的賛同を得なければならない。
お金を使っての不正なやり方での要求実現が常であった過去の歴史から、また、戦後の殆んど自民党一党政治の歴史から政治とお金は利権と私欲の代名詞であった。
自民党じゃなくても権力の裏面として金に絡む利権政治は常であったのは事実でしょう。
お金の流れを捕捉することは難しいし、完全に捕捉されることが社会にとっていいことなのか、どうなのか。
金に対するルーズさが必要悪として社会コストして何処まで許容されていいものなのか。
税金にも言える。

しかし、お金の意義は大きい。
資金力は社会活動そのものだと思います。
政治家、力のある影響力実現力のある一般的にイメージされる政治家、そして国民が求める政治家像そのものは資金力が直接間接にある事実を見落としてはいないだろうか。

「政治とお金」その実態から目を背けてはいけない。
すべての活動はお金が必要なのです。
そのお金をどのように集めどう使うかがハッキリすればいいのではないでしょうか。
1円から誰から誰にお金が流れているのか。
そして、どのように社会に対して政治活動として還元されているのか。
それは、有権者に対して投票行動に対して重要な情報でしょう。
政治資金の量的緩和もいいのではないか。その代わり資金流れが完全に税務署にも国民にもはっきり判るようにすれば、その政治家に利権的行為及び公平性、客観性に基いた行動か有権者が判断できるようにすればいいのではないでしょうか。

どうせ、ザル法である政治資金規正法など建前の法律よりはましでしょう。

ということで今年は政治献金をすることを目標にしようと思う。
仕事もなく税金を払うことも厳しいが、まず小額だが2000円を5人に合計年1万円が目標です。

日本は政党政治の内閣制だが、今の政党の殆んどが所属政党の締め付けが強く、党議拘束で議員が政治家個人としての顔が見えないし、人気のある政治家はお金がなくテレビでわめくだけで現実味がない。
そこで、政党に献金せず、国会議員個人に対しての政治献金にする。
政党と政治家の力関係を変えれば、少しは政治が解かり易くならないだろうか。

政権交代はとても評価できる事でした。
それだけで民主党の役割は終えた。終えたほうがいい。
(当然、自民党も消滅していることが条件だが)
なぜなら、鳩山内閣はわかりにくい。鳩山首相がすべてにおいて不透明である。
三権(行政、立法、司法)の中の行政としての内閣の行動か疑問を感じる。何処まで行っても国会議員レベルの印象の行動と発言としか受け取れない。

政界再編への暫定内閣の旗を揚げて今年の選挙、参議院選になって欲しいものです。

今回まで1年交代の首相でいい。
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2006/8/23

効率化  日記

効率化の名の下に世の中が流されていく
企業民主主義の名の下に
それが唯一の価値観のごとく
効率化=民営化
この単一的な思考の弊害が出始めている

ヨーロッパでは水道事業の民営化が進み
効率化のために人員の削減・設備投資の減少による
環境・サービスの低下・負担増加・失業などが問題化している
ライフラインなどの公共サービスの効率的運営を目指して
民営化が行なわれたのだが
はたしてそれがすべての方策なのかという疑問が出始めている
そのような流れに対抗するのは住民なり市民の活動でしか
問題提起ができない状況になっている

行政部門の効率化の論議は避けては通れない状況の中で
そこにあたらしいビジネスチャンスが生まれる可能性を模索する企業も多い
効率化採算性を企業に期待する人も多い
確かに財政悪化に伴い行政公共部門の効率化は避けては通れないが
一つの方向性に大きく物事が流れていくときこそ
立ち止まって考える必要はないだろうか
無駄をなくすことは大事だがすべて市場原理に任せて効率化することに多少の疑問が出てくる
企業民主主義の下の効率化では最大目標は株主の満足度を優先すことであり
そこに住民・市民・地域の満足度の割合がどの程度保たれるかについては疑問が残る
ケースバイケースでここの公共部門の問題を十分に吟味しなければ
問題が起こったときに大きな負担や不公平が私たちを襲ってくる
地域民主主義・住民民主主義の中心となる私たち一人一人の意見や意志を表現することの大事さが問われてはないだろうか
その結果としての地域意志なり住民意志の創造はとても大事なことと考えてます
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2006/7/27

変わらない  日記

マヒした感性・感覚はいつからだろうか
はじめからだったのだろうか

日々の行動パターンの繰り返しの中で消えていった
こんなもんだと
繰り返し繰り返し行なわれていった過程の中で主語が消えていった
何のために、誰のためにを忘れていった
依存症的思考による業務遂行
行なうこと実行すことが目的となり
内側にのめりこんでいく
他者を受け入れず
誠実さを欠いた受け答えの言葉に渦に溺れ酔っていく姿は
一際、奇異さを引き立たせた

サンセク21、港湾ターミナル、滞在宿泊施設、ゴミ還元溶融炉
すべてに共通するものは
単なる独りよがりの思い込みとエゴ
無駄遣いとしかいえない
結果がすべてを物語っている

冷静な思考と論議がなされていれば
こんな結果にはなっていなかった
そもそも計画自体実行されたか疑問である
小さな地域を出口のない混乱に陥らせた責任は重い
ご理解をという
理解不能な言葉の繰り返しで自己の犯した失敗に目を向けようとはせず
責任逃避に走る
その無責任さはすべての無に通ずる
無計画・無策・不誠実・逃避
現実を直視すれば言葉では包むことのできない現状が見えてくる
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2006/6/9

松本邸の黒猫  日記

松本邸には黒猫がすでに住み着いていた
それを知らずに数日が過ぎた

松本邸に越してきたのは何度目の引越しだっただろう
もう4年も前のことだ
松本邸は島でも1・2番目に作られたコンクリート住宅だ
当時はモダンな建物だっただろう
それが数年空き家になっていたため傷みがひどかった
壁や天井のあちらこちらでコンクリートが剥がれ落ちている
そこからボロボロになった鉄筋と
島では見かけない4・5センチの玉砂利がむき出しになっていた

島から西へ2・3キロ先に無人島がある
戦前は銅山があり、2000余りの人が住んでいた
病院や学校もあり村で唯一電気の点く地域だった
終戦とともに銅山は閉鎖され、人は去り無人島になった

むき出しになった玉砂利を見て
島の石ではないですねと私が尋ねると
これは無人島から取って来たものだと
80を少し超えた上品な家主のオバァちゃんが答えた

古い家の周りを一緒に回りながら
この広い屋敷の管理が年寄りには辛くなってきたと上品な家主は話し始めた
昔は島で進学する女性は少なかったと女学校時代の話になり
そして、うちの父とは島で同級生であること
あなたの父は苦学して師範学校を卒業して
戦争で中国に行ったと
帰還の途中で内地嫁を連れてきたのだ
昔から内地嫁がいる島だと長い話になった
たしかにこの島は本土出身の嫁が多い
妙に納得して会話が終わった

引越す前に少々の補修が必要だった
家を探すときは補修作業が必要な家を選ぶので仕方がない
仕事の合間の作業はゆっくりと進めるしかない
風呂場はわりと近代的なタイルの貼られた造りだった
そこの天井が30センチほど大きな音をたてて落ちてきた
仕方なく柱を立て内天井を張り1ヶ月ほどを掛けて住める状態にした

松本邸の周りには猫の多い場所だった
黒猫など気にも留めなかった


写真は松本邸ではない
琉球民家の面影を残す屋敷だ
フクギの木の防風林、ハイビスカスの生垣、裏には竹とバナナやパパイヤの木が生え、ブタ小屋に隣接したトイレのある
2〜300坪の敷地にある赤瓦の家です
家の前にある素焼きの壷
憧れの空間である
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2006/6/8

オレンジ色の光  日記

オレンジ色の光
闇の中をを緩やかな曲線を描いて移動してた
オレンジの光を放ちながら、スピードをあげ上へ左へ右へ下にと
高速で飛び回った

釣りの好きな人は多少の天気でも釣りに行く
夕方、お隣さんが魚を持ってきた
釣り日和でもないがボートで釣りに行ってきたのだろう
下処理をされた小魚4匹と刺身の差し入れだ
刺身と魚料理でビールでも飲もうと
向かいのペンションの若い管理人カップルを誘った

南の魚は白身の淡白な魚が多い
薄いピンク色かかった白身の刺身はミーバイ(ハタ)」だろう
小魚は塩焼きと煮付けにすることにした

刺身を食べながら若い管理人が2・3日前の釣りの話を始めた
釣りに行ったことは知っていた
釣りに行く前に一緒に行ったdannaHが家に遊びに来ていた
潮に合わせて暗くなってから若い管理人と釣りに行くのだと言っていた

若い管理人はdannaHについ島の西のハズレのポイント近くに車を止めた
dannaHが先に釣竿だけを持って車を降りた
それを見た若い管理人が釣りに行くのにアイスボックスも持たずに行くのかとdannaHに勝負ありのごとく問いかけた

dannaHは俺はいいとスタスタと歩き始めた

若い管理人は始めてのポイントであるためアイスボックスを抱え空いた指で竿を持って遅れないようについていった
途中で若い管理人は気づいた
海岸までの坂道を降りて岸沿いを1キロ近く砂浜を歩き岩を登り降り
悲惨な目にあった

dannaHの後姿を見ながら、ホッとため息をついて腰を下ろした
蛍が飛んだ
足元の崖下を見ると、打ち寄せる波が岩に砕け
夜光虫が光ってた

不思議な雰囲気を味わいながら、めったに人の来ないポイントについて
短時間でタマン(ハマフエフキダイ)を2枚釣り、帰ろうとしたとき

海の沖に、闇の中にオレンジの光を見た
高速で物理的には考えられない動きの不思議なものを見てしまった

若い管理人いわく、UFOだ
光る移動物体あれは確実に地球上の飛行物体では考えられないと
若い管理人は言った
5月30日午後9時26分ですと
島の人に話すけど誰もリアクションがなく、悔しい
どう思います
これから毎日UFOを探しに行きます
と,熱く語った

釣った魚はアイスボックスに入れ
若い管理人がトボトボと車までの道のりを持って帰ることとなった

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2006/6/5

島の犬  日記

島で犬は飼ってはいけなかった
飼うことはタブーだった

それでも数匹の犬はいた
犬を飼ってる人に犬が欲しいと相談すると
島で犬を飼うことはダメだと答えが返ってくる
子供たちは納得する
島で犬を飼ってはいけないのだと
他の大人も飼ってはいけないと誰もが納得する
そういう島だった

私が生まれる前にとなり村の島に親が仕事で転勤になった
幼い兄は犬が欲しかった
その島は犬に対して寛大であった
念願の白い犬を飼うことができた
当然、シロという名が付いた
賢くお使いもできる犬だったそうだ

数年して島に戻ることになった
帰る日の前日、大人たちが集まり送別会が始まった
ヤギ汁が出ていた
遊びから帰った兄はシロがいないのに気が付いたが
何も言わず泣きながらヤギ汁を食べたそうだ
私が大きくなってからも母親はその白い犬を賢い犬だったと自慢していた

時が経って
マリリンにシロが恋をした
2キロの海を渡る恋だった
それが新聞に載り、映画になった
犬の飼えない島で銅像にもなった

例外を認める余裕はあった
強い意志で飼う者には時間はかかっただろうが

今では犬の糞の問題が取り上げられるほど犬がいる
どこの地域でも離し飼いは禁じられている
社会性を見につける機会のない犬も多い

犬の飼えない時代の犬と自由に飼える今の犬とどちらが幸せだろうか
私も犬を飼っているが後悔している
ちゃんと面倒が見れないのである
本人は気づいてないが彼は不幸である
犬を感情ある生き物として飼える環境が作れる余裕がない

最近、島では犬の高齢化が進み足腰の弱った老犬が増えた
ドックフードで育った彼等は長生きだ
成人病の話も聞く、路で会う犬の年は15・16・17と答える
医療費も大変高い
長いお付き合いだ




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